2018年07月16日

すべてが金で得られるのか? (最後に鏡に映せないような醜い姿になった恐ろしさ)


すべてが金で得られるのか?

(最後に鏡に映せないような醜い姿になった恐ろしさ)

ダークネス

●真善美を見る目は金では買えない

このサイトで資本主義とは何か?金だということを言っていることはわかる、きれいごとではなく金によってあらゆる価値が図られ決められる、その人がどんな人かとか関係ない、金をもっていればその人は資本主義社会では優遇される
だから一億円持っいる人は投資していれば配当金があり永遠に働かないで暮らせるとなるだから資本を金をもつことが資本主義では一番大事なことであり
きれいごと言っても金なしでは何も得られないとなる
それはそれで筋が通っているからとやくか言うことはない

例えば芸術にしたって金で計られる、どんないい絵を描いたとしても市場に出して売れなければ価値がないとなる、現実に一億円の値段の絵と数万の値段の絵があるとしたら一億円の絵が価値があるとなるからだ
ただ絵の場合は新人などではその絵の価値がわからないから最初は安い値段で買える
あとでそれが馬鹿高くなったりする
でも最初はその絵の価値がわからないのである。
その価値がわかる人ならその絵を買って損はないのである。

ところがここで問題になるのは絵を見る絵の価値を芸術の価値を見分ける人はまれなのである。芸術は創造する人がいるがまた鑑賞する人もいる
その鑑賞する目をもつことが至難なのである
その価値を見分ける鑑賞する目がないとそもそも鑑賞すらできないのである。
ただ投機的に絵を買う人がいる、それはその絵の価値が決まってからそうしている
ではその絵が画家でもわからないことがある,ゴッホの絵は生前は一つも売れていない
その時その絵を見分ける人がいたら億万長者になっていたのである。
安くその時買えたからである、でも誰も買わなかったのである
つまりその価値を見分けることがむずかしいからそうなったのである
芸術というのはそれだけ鑑賞することがむずかしいからそうなる
他の商品だと食品だとかうまいとかうまくないとかわかりやすいから市場化しやすいのである、たいがい高いものはうまいし品質がいいのである
他の商品でも高いものはたいがいいいものであり値段通りになっていることが多いのである

でも芸術に関してはすべて金で買えるとはならない、芸術は鑑賞すること自体むずかしいのである、確かに家にピアノがあれば自ら演奏していれば音楽を鑑賞する力がつく
でもそもそも一つの楽器を習得するには時間がかかる
ピアノがないなら今なら電子楽器があり買える、でもそれを習得できる人とできない人もいるし時間がかかるのである。
だから才能がなくても何か一つの楽器でも時間をかけて覚えれば音楽を深く知ることができる、鑑賞もできる、でもそれには時間が必要になるのだ
その時間はみんな平等に与えられている、金があるからと多くの時間は与えられていないのである。だから時間では平等なのである。
時間も買えるということは確かにある、大金持ちだったら家事を頼めば自由な時間をもてて何かに没頭できるということはある
だから時間は金で買えるということはあるにしてもその時間でも何倍にも増えるとうことはないのである。時間はみんな同じ時間しか与えられていない、多少増減はあってもそうである

だから人生は才能というより何に時間を費やしたかで決まるのである。
それが人生だったとなるのだ、会社勤めするにしても職業でも経験するのは転職したとしてもいくつか限られている、経験することは限られているのである
それは時間がないからなのである。もし無限の時間が与えられていればいろいろなことを経験できるからである。
いくら金があっても金持ちの家でなんでもしていいからは言われてもその人が何か特別な人になるのかというとそうでもないのである一億円で何もしないで暮らせることは本当だとしてもではその時間を何に使うかでその人生も決まる、毎日ギャンブルして暮らせるしゲームしていてもいいし何もしなくてもいいでも時間は確実に過ぎてゆく、それが意外と早いのである
金がなくても社会で会社でも就職して何かスキルを身につけたり会社で働いて社会のことがわかるということもある
でもいくら金があっても何もしなくてもいいとしてもそこで時間を有効に使わない限り何も得られないのである。

確か金があれば留学できたりとか特別な経験を積むことはできる、すると語学も覚えるようになったり国際感覚が身についたりする
学歴も金で買えるとかもなるのは金持ち階級なら本当だろう
でもそうできたとしても本当に何かを身につくということはまた別である
医師の免許をとれて社会で地位があり収入もいい安定した生活を送れるということはある
それで最初から格差社会では階級社会であり資本がある、金がある家に生まれれば将来が約束されたのだとなる

でも人間はみんな医者になることが人生ではない,それも向き不向きがありいくら金になる社会的に評価されるとしても向いていない人がなればその人生は誤ったとなるかもしれない、その人なりの人生を生きればよかったとかなる
それは意外と老人になってからみんな悔やんでいるのである。
老人で過去を人生を悔やまない人は一人もいない
なぜなら人間は意外と何もできない、あれをやりたいとか何かになりたいと希望をもっていてもたいがい何もできずに終わっているのである。
それは人間の時間があまりにも限られているからである。
なんだこれだげで終わりかとなるのである、そのことにみんな愕然としているのである

それは金持ちでも何もしなくて生きることができた人でも同じなのである。
金はもっていたけどその金を活かすこともできなかった
ただ無駄に時間を過ごして何も得られなかった、これなら働いていた方が良かったとかなる、何も経験しないから何も身につかなかったとなるのである
だから金があっても時間を有効に使わないものは何も残らないのである。
まず金があっても芸術に関してはまた学問でも雑学でもそれを習得するには時間がかかり簡単に身につかないのである。
芸術だと絶えず見る目を育てる必要がある、それにはまた時間がかかるのである
別に今はインタ−ネット上にいくらでも写真とか絵が出ているから学べる
でも見る目を育てるには時間がかかるのである 

●モラルを失うことの怖さ

そして人間は金があってもモラル的に堕落するとこの世にある自然でも真善美が見えなくなる、金があるからと放蕩する人もいるがそういう人は何もこの世にある善きものを探求したりできなくなる、見えなくなるのだ
この世の悪に染まってもそうである
だからカルト教団みたいなの所に入っていてもそうである
銀行でも今や何かブラックになっていた、この世は宗教を看板にしていれば崇高なものを求めるているのかと思えば全くそうではないただ数を集めて権力をとり利権を得るためだとなる
拝めばそうした利権が得られるからとすすめている、それは世俗と同じなのである。

だからそういうところに勤めていれば自ずとこの世の汚れに染まってくる
そしてこの世にある自然でも良きものが見えなくなる恐怖があるのだ
ただこのことはあまり考慮しないのである。
月給が高くなればいい、金になればいいとしか考えないのである。
銀行などはそうして地方でも真面目な働き場だと思っていたがそうではなくなっていた
カルト教団もそうだがそういう会社もブラックになっていたのかとなる

そうなるとそんな会社をやめて別なことを追求すればいいともなる
でも金がないからできないのが資本主義だということにもなる
ブラック会社であれ金を得なければ生きていけないからである。
一億円たまれば遺産でもあればそんな会社に勤める必要がないとなるからだ
ただ別にすべてがブラック会社ではない、社会がそもそもそんなブラック会社ばかりだったら成り立つのか?   

今は人手不足になり働く人がいなければ会社もつぶれる、そんなブラック会社には働く人がいなくなる、現実に銀行をやめる人が多いというとき何か疑問を感じたこもある
こんな仕事していいのかと疑問になる人もいてやめる
そうしてブラック会社は消えてゆく、それは社会がモラルなしでは成り立たないからである。不正して人をだましてもうけて栄えるようなことは神も許さないからである。
一時的にはいいとしても世界でもそういうことはありえないのである。
戦争で他国を蹂躙して金持ちになる国は栄えないだろう
アメリカにしてもそういうことがあっても発明したりいろいろと先進技術をせ世界に普及したから金持ち国家となったのであり戦争に強いからとそれだけで世界をリードできないのである。

人間は確かに金は必要だし金の力は大きいから否定はできない、でもそれだけですべてが決まるのか?
モラルに反して金儲けする会社が生き残れるのか? 社会的に認められて繁盛するのか?
そして自分は常に感じてきた、この世の自然でもそうしてモラルに反したことをしていると善きものが見えなくなる、これは本当はかなり怖いことである。
そのことを真剣に考えている人は意外と少ない、ただ金があればいいしか考えない
つまり人間は悪魔に魂を容易に売り渡す存在なのかもしれない
金を得ればいいとして魂を悪魔に売り渡す、ちょっと嘘ついてもいいではないか
そんな固いこと言うなよとかなり容易に魂を売り渡す、そうするとこの世の自然でも良いものが目に見えなくなる、それは濁った水であり花でもなんでも美しいものが映せなくなるのである。

● 真澄鏡(まそかがみ) の意味

なぜ日本では鏡が三種の神器なのか?

真澄鏡(まそかがみ) は「見る・照る・研ぐ・懸く・清き・向ふ・面・影」などにかかる。

『池水に 左の目を洗ひ 日霊に祈り 右の目を洗ひ 月に祈り イシコリトメが マス鏡 鋳造り 進む』4文

鏡は何かを写すというとき実は姿だけではない、心も写すから畏れたとなる
悪しき心も写すからそれで畏れた、鏡は姿だけではない心を写すから畏れたのである
左の眼を洗い右の眼を洗いそして太陽に月に祈るという信仰は自然信仰である
太陽でも月でも清いものであるからだ

あさか山かげさへ見ゆる山の井の浅くは人をおもふものかは

 とよみて、木に書きつけて、庵に来て死にけり。

 とあるが、文中あさか山の歌は早く万葉集巻十六に出るもので、説話はこれにヒントを得て面白く構成されたものであろう。筋は京都の某大納言の娘で世に優れた美女が、男のためかどわかされて陸奥国|安積山《あさかやま》に棲んでいて鏡を持たない儘に過していたが、或る日男の留守中の佗しいままに、山の井の水鏡に姿を写し余りにも変り果てて恐ろしげな己の容姿を歎き恥ぢて、男の帰りも待たないで死んで行くというのである

 この物語はまさにそれを示している、井戸の水も鏡の代わりになっていた
その井戸水に姿を映す、そしたらその姿があまりも恐ろしいものとなっていた
それでショックで死んだとなる
こういう恐れを自分は常に感じてきたのである。何か悪徳に染まりこの世でも自然でも良きものが心に映らなくなることである。
そこで悪魔に魂を売ってもそうなったときその姿まで変わりショックで死んでしまうともなる、それほど恐ろしものとして鏡でも山の井でも神聖視されていたのである。

金の力は資本主義社会では本当に大きいから金がすべてだとなる
それもわかるがだからといって金のために魂まで売っていいのか?
その時自分の姿を心を鏡に山の井に写すことができなくなる、その醜い姿を見てショックで死んでしまうとなる
確かに金でなんでも買えるとしてそうしてたら自分の姿が鏡に山の井に写せないものとなっていたとなる、その罰の方が怖いのではないか?

その罰は確実にある、そんなことを言ったらこの世を生きることすらできないともいう
でもまたどっちが怖いことなのかと人生をふりかえれば真善美が見えなくなる
鏡にも山の井にも写せない姿になる、それが怖いとなる
ただこれは金だけで起きてはいない、別に金だけではない、人間は金があっても金と関係なく変わり果てることには驚く、現実に悪魔のように普通になってしまうのをみんな見ているだろう、自分でもそのことを常に恐れていたし今でもそうである
ただこの世が汚れているというときそれに染まって感じてなくなる
若いときは感じてもやがて感じなくなる、世の中はそんなものだよとなり世渡りする
でも最後にその姿を見れないような恐ろしげな姿になっているとしたら怖いことである
天国だ地獄だというけど地獄とはこのように真善美とかが見えなくなることなのである。
地獄とはそういう場所なのである。それはすでにこの世で始まっている、それが天国まで継続している
この世と天国でも地獄でも断絶しない、継続している

●この世の富は一時的で永続性がない

だからこの世でいくら金持ちになったとしてもこの世で善きものが真善美が見えなくなっていたらその人は地獄に行く
ただカルト教団とかに入っていたとしても教会に入ったとしてもそれは外面的なものであり真実はわからない
ただ目安として何か真善美が創造されるのならそこにはいいものがあるとなる   
そういう外面は宗教となっても中味は教祖でも悪魔の場合が普通にあるからだ
一人の教祖を異常に崇めいてるのはその教祖がサタンの場合がある,偶像にもなる
その教祖のコピ−でありその大量生産だからである
ただ数ばかりであったり数で誇示してもそこから真善美が生まれないとしたらその団体には価値がない
それでルネサンスがあれほどの美を創造したということに驚嘆する
やはりそこには下地となるのもがあり生まれた、なぜなら現代文明からもう生まれないからである。
そういう下地が時代的に喪失したからもう生まれないのである
ただ個々人的には生まれるが全体としての真善美は生まれないのである。

 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むこともなくまた盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
(マタイによる福音書六章19節021節)

この世にいくら宝を積んでも最後は虚しくなる、いくら金があっても老人になると使うことすらできない,病気になって健康を失えば金があっても特等室でも寝たきりで天井を見ているだけになってしまう
そしてこの世に生きる時間が短すぎることである、王様であっても生きるときが短いのである
栄華の時は短いのである。だから豪華な宮殿に住んでいても宮殿は残りそこに住んでいた人は死んでしまうから宮殿が建物の方が寿命が長いのである。この世の栄華はたちまにち消えてしまう、煙のように消えてしまう、人間も死んだら煙のように消えてしまう
人間の作りだした栄華には永続性がないのである。文明でもみんなジャングルに埋もれたり砂に埋もれたりしている
海に沈んだという文明都市もあるらしいとかなる
つまり人間の作り出した富には永続性がないことは致命的なのである
力も富も権力でも女性の美でも永続性がない、たちまち色あせて衰退して見る影もなくなる
人間はいくら力を権力を誇示しても一時的なものにすぎないのである。
地上の富は永続性がない、人間は建築物より寿命が短いがその建築物でも錆びついたりしてやがては朽ちてゆく
ピラミッドは永続性を維持しようとして時間に抵抗したものだという見方もできる
それだけ長い時間でも残っているからだ、人間はせいぜい百年生きてもみんな地上から消えているからである。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/183908609
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック