相手を見て商品をすすめないのは誠実
(銀行はただ投資信託をすすめることしか頭にない)
スマホをやろうとしたがやめた、自分はパソコン20年とかしていると説明しても
実際は携帯もほとんど使っていない、遠出しないし旅にも10年くらい出ていないからである
だから携帯も最低の月2000円のでしていた,ただソフトバンクのはつながりふにくいauはつながりふすいということで聞いてみた
ケーズ電気でも聞いてみた、そしたら女の人がしない方がいいと言ったのでやめた
普通なら金になるのだからすすめるがすすめない
何か自分の話を聞いてこの人はスマホはしない方がいいと判断したのである。
前にもそういうことでしない方がいいと言われてやめた
パソコンでしているから必要ないと判断したのかもしれない
それとどうしても毎月5000円くらいかかるから無駄だと判断した
契約をとれば店の利益になるのにすすめなかったのである
かえってそのことがケーズ電気でもほかの店の人も誠実だなと思った
実際自分にしてもスマホは今は旅もしないし必要がない
やはり二年間くらい契約するから途中解約がむずかしいからすすめないということがあった、それは対応が誠実なのである。
とにかく契約をとればいいんだというのではない、相手をみてすすめないのである。
相手の話を聞いてすすめないのである。
一方で銀行では投資信託を強引にすすめる、それは客のためではない
銀行のためであり自分の利益を優先してそうなっている
とにかく契約すれば手数料が大きいのである。
その後も手数料が入る仕組みになっている、銀行にとっては損しないのである。
銀行は今窮地にたたされているから投資信託をすすめる
銀行は金を貸すの商売だけど貸さないと批判される
実際銀行でいくらでも金を集めても有効に使えないとする銀行に金をあずける意味があるのか?それは貸金庫なのかとなる
銀行でもうけを出せないということがあり金をただ集めてどうするのか?
銀行が社会でどういうい役割を果たすのか?それが問われている
客のことを考慮しないで投資信託をすすめる、それは銀行では絶対に損しない商品だからである。手数料が確実に入る銀行が得するものなのである。
家電の量販店の人はスマホを相手を見てすすめない,銀行では相手など見ていない
考慮していない、ただ投資信託を売ることで契約をとることである
だから株が上がったのに投資信託に回したのである、そのままにしてた方がよかったのである。銀行は不誠実である
ただ自分はそのとき銀行にまかせたのである。
でも銀行が投資を知っていると思ったし時間がないからまかせたのである。
いちいち調べるのが手間だからである。それが仇になった
ケーズ電気で相手の話を良く聞いている,若い女性だけど落ち着いて聞いていたのである銀行では相手の話を聞かない、ただ頭に契約をとることしかないのである。
それはノルマが課せられているからである。その重圧がありもう客のことを考えないのである。話でも聞かない、まず投資信託をすすめて手数料をとればいいだけなのである。
それも銀行は投資のことはほとんど素人と同じレベルだったのである。
結局個人的に余裕がない人は相手の話など聞けない、相手の身になって聞けない
追い詰められた人はただただ自分が苦しいことしかないからだ
そういう人が自分が病気で介護の時来たから最悪だったのである
要するに自分のところに来た人はそうして余裕がない人たちばかりだったからひどいめにあったし損もしたとなる
営業とか医者とか介護士とか人と直接接する人は相手の話を良く聞く、相手のことをしる必要がある、相手と通じ合う必要がある
これはなかなかむずかしい、相手のことを知るにも話を合わせるにもみんな違っているからむずかしい、だからトラック運転手は同じトラック運転手と話が合うし同じ仕事をしている人はその仕事で同じ経験しているから通じあわせやすいのである。
自分も工事現場で働いたから危険なことを知っているから話を合わせるとなる
結局現代は職種が無数に増えて他者のことが理解できなくなったのである
江戸時代ならみんな農民だとすれば理解しやすいしやっていることがわかる
これだけ職業がふえるともう理解できない、何しているかもわからない
だから現代は意思疎通がむずかしい時代なのである
そもそも銀行の仕事は本来何なのかということもわかりにくいのである
地銀は地元の中小企業を育てるために金を貸すというけどそういうことを具体的に理解することが経験ないものにはむずかしい
銀行は今どういう役割を社会でになっているのかもわかりにくい
銀行とか証券会社とかは理解しにくい、それは虚業なのかともなる
頼母子講などはわかりやい、相互扶助の組織であり銀行の基になっていた
江戸時代だと人間のしていることはだいだいわかっていたのである
代々後継いで仕事していたし農民だったら農民が集まり代々暮らしていたからである
そこで人心も安定していたのである,それで江戸代の日本人はいい顔していた、幸せそうな顔していたと外国人が見ていたのである
それは相手のことをとにかく誰でもわかりあえるという社会だったからではないか?
今はわかりあうことが難しい社会なのである
いづれにしろ現代はいらないものを多量にすすめられる時代なのである。
医者にしてもいらないくすりをすすめる、それで金になるからだ
でもそのことで医療負担も増えてくる
いらないものはすすめるべきではないし売るべきではない、現代は多くのいらないものをすすめられる社会なのである。
いらない需要が宣伝も作り出されて買わされる時代なのである。
だからすすめないということがかえって誠実になる
売らないということが誠実になる、でもそうなると売れないから商売あがったりだともなる、経済が停滞するとなる、無理に売らねばならない,買わされるのは会社でもうけるために強制されるからである
需要というのは自ずと生まれるのであり強制するものではない
そういうことを言う人がいた
医療自体が本当に病気でないものまで病気にしている、つまり無理やりそうして医療で需要を作り出して患者にして医療関係者もうけているとなる
強制的に医療でも患者が作られているという側面があるのだ
なにかすすめないということも現代では必要である。カルト教団なでも勧誘して会員にするためにすすめる
ところがそのすすめることが社会悪になっている
裏で信者を操作している、背後に韓国とかアメリカがかかわっているのではないかとも疑われる
今や現代ではなんでもすすめる時代であるがすすめないということが社会悪にならないともなる
それは何も成さずして成るとかの老子の思想に通じているのである