2018年06月08日

逃れられないカルマ (和歌山ドン・ファン事件もそうなのか?)


逃れられないカルマ

(和歌山ドン・ファン事件もそうなのか?)


この人自体が普通から見たら異常である。でも資本主義の世の中ではとにかく金があれば認められもてはやされる,金の力が露骨に現れる社会である。
江戸時代なら金ではなく身分でありその身分にふさわしいふるまいをしなければならなかった
今は身分など関係ない,金をもっていなかったら身分も地位もなにもない
何の力もないのである。だからどんな悪辣な人でも金さえもっていれば人はよってくる
でもそれはあくまでも金によってくのでありその人がどういう人格などとかそんなこと関係ないのである。
だから今の社会は「金の切れ目は縁の切れ目」ということがどこでも現れる
昔からそういうことがあったとしてもそれがあまりにも露骨になりすぎたのである。

とにかく自分もそうだったが60以降はカルマが具体的に苦しみとなって現れる
若いときの不品行とか別に犯罪として罰せられなくても人間はなにかしら後ろめたいことをしている,それで心の中で責められるのである。
ただ心の中で責められるならいいが具体的に苦しみとなって現れるのがカルマなのである60以降は人生の総決算のようなことが起こるし死ぬときもそうである。

だからこの人の死にざまはそのカルマの総決算として死だったのかとなる
溺愛していた愛犬も殺害されたのか苦しんで死んだ,そしてすぐに自分も殺害されたのか死んだ,なぜ犬まで殺されたのか?
カルマはその回りにいる人に及ぶからである。だから一番かわいがった犬もそのカルマを受けたとなる,そんなことがあるのかというがカルマは親戚と深く関係して影響するから怖いのである
結婚して相手の家のことなど関係しないと思っても結婚すれば相手の家のカルマを受けることになる
ただそのカルマはすぐに現れない,それが60以降とかでも現れるから怖いのである。
そのカルマが身に降りかかったときはじめてその怖さを知るのである。

自分もそういう目にあってきたことを書いてきた,これとにたことを経験してきたからである。
この人は金があっても金の亡者であり女性を物ののように扱う人だった
だから誰からも本当は愛されていない,信頼されていない,愛しているのは犬だけだったとなる
そして金目当てなのかどうか殺害されたともなる
こういう会社に勤める人の気持ちはとをなのか?
そんな人が社長になっている人の気持ちはどうなのかと思う
社長を見習いとなるとなるとそんな社長についていけるのかとなる

ただこの人だけではないカルマはみんなもっている,もたない人はないのである。
では良く通り魔殺人とかいろいろあるけどそれもカルマなのか?
犯罪にあうのもカルマなのか?それはただの偶然ではないか?
強盗に入って殺されるとかあるけどそれもカルマなのかとなる
多分にカルマはそこにある,金があるということでもカルマとなるからだ
カルマは多様なのである。人間が複雑なようにカルマの種類は多様であり計れないくらいある,だから犯罪にあうのもカルマだということはある

ただ例外はある,人間は苦しむのはカルマがかかわっていることが多いのだ
障害者をもってなぜ苦しんでいるのか?
それは前世で誰かを苦しめていた虐待していたためだとかなる
そうでも考えないとどうしてそんなに障害者の子供や病気で障害者となった人を障害世話しなればならなくなったのか?
それはおそらく前世で虐待していたためではないか?
自分が弱者化したとき責めてきたのはそういう前世の宿縁だったのか?
それが一応親戚だからその苦しみを自分も受けることになったともなる

ただこうしてカルマだと考えるとき自業自得だとなり相手を呪ったり恨んだりしない
自分がこうなったのはあいつのせいだとか恨み呪いつづける人がいる
でももしこれも自分のカルマだとすればその人は自分のカルマを自覚しているから自分のせいだとなるから他者を恨んだりしないのである。
でもそれに納得いかない人は今度は他者を責めるのである
ただ殺人までになるとそれはカルマなのかどうかわからない
それは相当に重いカルマとなるから軽々には判断できない
ただこの人の場合そうしたカルマを積んできて最後に総決算としてカルマが具体化して苦しみとなって悲惨なの結果となった
それは自分もにたようなことを経験しているから他者のことは言えない
殺されかかったということでは同じだったのである。
それは金にまつわりそうなった,金はそれだけ今の社会では怖いものでありもめごとの大半は金にまつわるものだからである。

自分の家族の一人は悲惨な死に方をした,それもカルマだったのか?
それも良くわからないにしろ一部は多分そういうことがあった
ただ善行もあり家のために尽くしたのだからすべてがカルマだったとも思えないのであるでもなぜ頭がいいとか最後まで優秀だと言って死んだ
実際は馬鹿になっていたのであるからこれもをと考えていいのか?
何か奢りがあってそういう無惨な死に方になったのだろうか?
カルマは死にざまに現れるのだろうか?
ただ人間は死ぬときはみんな苦しみ悲惨なのだからわからない
カルマは法則のようにあるとしても数式のようには現せないからである。

いづれにしろ今回の事件はわかりやすい,カルマがわかりやすい,誰が見てもあんな死に方するのが当然だとか見ているかもしれない,金の亡者であり金で女性をもてあそびそして死んだのだからまず女性の肉体を愛しても人として見ていないからである。
そういう人がもてはやされるのも金をもっているからなのだ
出版社も金儲けのために自伝を出させたり金が目的でみんな寄ってきているからだ
人間はやはり金があると金を目的でしか寄ってこなくなり金でもめるのが定番である。
金というのは怖いものでありそれで殺されるのが普通にある
今の世の中は特に金をもうければい得ればいいしかない社会となっているからその典型的パターンとしてこの事件が起きたと誰でもわかりりやすいから見ている


















posted by 老鶯 at 08:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/183468313
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック