2018年05月18日

飯館を掘る(天明の飢饉と福島原発(佐藤昌明著を読んで)



飯館を掘る(天明の飢饉と福島原発(佐藤昌明著を読んで)

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宝暦の飢饉の時飯館村の被害が大きかった、明和-安永とつづき天明が最大の被害にあった

相馬藩の飢饉の歴史(宝暦から始まっていた)

相馬市(日立木の薬師堂の宝暦の碑−甲子塔の謎)


1751年宝歴1年
1763年宝歴13年
1764年明和1年
1772年安永1年
1781年天明1年
1788年天明8年戊申

人口が三分の一に減ったのが天明飢饉だった,だから鹿島の秋葉神社に「天明」の碑があるのかもしれない,ここは町内でもやはり農家が多いし農作物の被害が大きかった
神社の隣も農家だし街のはずれだから農家の集落だったともなる

飯館村は標高が高いから夏は涼しくていいが冷害に合いやすい場所だったのである。
それで米を作るより牛を飼うようにしたというのもわかる
なぜ越中とか越後とかから飢饉で空家となった荒廃した相馬藩にそれも江戸時代は自由に移動できないから命懸けで移民してきたのか?
それは江戸時代と今はあまりにも社会が違っている
米所である新潟県は人口が東京より多かった,江戸は百万都市としてあったが新潟県は
166万人いたのである。

@新潟県 165万人
A兵庫県 151万人
B愛知県 143万人
C東京府 135万人

江戸から明治の人口がこうなっていたのである。つまり稲作中心の社会だとこうなっていたのである。
だから越中でもなぜ飢饉で荒廃した相馬藩に移住してきたのか?
それは稲作とは土地中心の社会である。土地がなければ何もできないのである。
そういう社会のベースになっているものを理解しないと時代を理解しないとわからなくなるのだ
それは芸術でもそうだった,時代を反映するからその社会をわからないと芸術もわからないという人がいたからである。
人間は時代の子であり時代を越えて生きられないのである。
その時代も次々に変わってゆくからその時代時代の社会がどうなっていたのかわからなくなるのである。
自分にしても子供時代は炭がエネルギー源であり井戸水を使っていたということ時代をもう感覚的にわからなくなる,そういうことを経験していてもわからなくなる

こういう土地中心の農業中心の社会では土地が一番大事である。土地の価値が高いのである。それで村人が逃散した荒廃した土地に移住しようとしたのはその空いた土地が得られるとういことで命懸けで移住したとなる
またそこで謎なのが今だったら東京とか都会に行った方が食料があると思うだろう
江戸に行った方が食料があるからそっちに移住した方がいいと思う
今なら食がないと東京に行くからである。
これも時代の差である,農業中心の社会では土地があれば生きられるという感覚だったのである。
なぜ満州に日本人は進出したのか?明治大正昭和の人口の増え方は江戸時代の倍になり三倍になりと増え続けたのである。
それで江戸時代からつづいた開墾,開拓はゆきづまっていたのである。

すると農業中心の社会では土地を求めて満州に進出した,広大な土地があるということで移住しようとしたのである。そしてやはりそこでも米を日本人は作ろうとしていたのである。
この満州への移民が戦争のきっかけにもなっていたのである。
それはゲルマン人の移動とか移民は世界史も変えてしまう大きな要因となっているからである。モンゴルでも食料を求めて食料の豊かな中国に侵入するから万里長城を作ったのである。
つまり土地が与えられればとにかく食えるという時代だったのである。
自給自足が基本の社会だからである。
それにしても飯館村の被害が今回の原発事故の被害と似ている面があることも不思議である。

農民が土地を求めた満州に戦争の原因が・・・
http://www.musubu.jp/jijimondai38.html#man

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 原発事故の被害状況                    天明の飢饉の被害状況


飢饉の被害にあった地域と原発事故の被害とが相似形になっている重なっているのであるこれも何なのだろうとなる,何か人間の歴史にはカルマがある
歴史は繰り返すというときそれも人間個人でもそうだが社会全体でもその土地にカルマがあり繰り返すということもあるのか?
津浪もそうだったのである。400年前の被害を忘れていたがその土地のカルマが40年後に現れたのである。
個々人でも自分のカルマのことを書いたけど必ずカルマは苦しみとなって現れるのである家々にも必ずカルマを背負っていてそれがある時必ず苦しみとなって現れる
これはもう逃れようがないのである。

この時の飢饉で一番困ったのは人口が三分の一まで相馬藩で減ったことなのである。
それを穴埋めすることが最大の問題だったのである。
それで山形県から女買い入れまでしていたのである。

相馬藩は赤子養育仕法で間引き禁止,子供を大事に育てようとした,あるいは五人組制度を強化したのは領民互いに助け合うように説いたものだった,囲米は各村に郷倉をつくって食料を備蓄,飢饉に備えた
相馬藩の復興策は人々の暮らしの視点を大事にした
ハード事業よりソフト事業を優先した

ここで著者が指摘することは原発事故の復興をどうするかの示唆を与えている
例えば飯館村には立派な老人施設とか道の駅も本当に立派である。
学校でも新しく建てた学校は立派である
でもそこに通うのは村外からであり住んでいる人はいないとかなる
村長でも福島市にマンションを買ったとか住んでいない
浪江町でも町長は二本松に家を建てたとか肝心の地元には住んでいない
そんなこと江戸時代ならありえないしイメージもできないのである。
つまり殿様が地元に住まないで外に出ようなどできないからである。

現代ではこうしたハード面では充実している
でもソフト面ではそうではない,五人組など古いというが近隣で助け合うということは苦しいときだからこそそうなる
逆に原発事故では再三しつこく追及してきたがそういうソフト面は何もないとうより
補償金だけをもらいたいとなったのである。
金ですべて解決する,人の絆だとか助け合いなどより金だとなったのである。
だから家族すら老人は残ってもその息子娘所帯は外に出て家を建て別な生活をはじめたのである。
まず江戸時代とかとはあまりにも違った社会なのである。
土地にしがみついて自給自足で生きる社会とはまるで違った社会である。
金さえあればどこでも豊かな生活ができる
江戸時代は金ではない,土地が一番価値あるものだったのである。
その相違があまりにも大きいから復興の比較はできても今の復興にはつながらない

いづれにしろ時代は違っているけど何か似ているのも不思議である。
この時子育てが重んじられたのは子供もいなくなったら藩も維持できないからである。
それで子安神社が建てられたというのもわかる
原発事故でもまさに子安神社が必要になる
放射線の被害から神様守ってくださいとなるからだ

相馬藩は飢饉かから立ち直ったのは人々の助け合いとか越中や越後や加賀からの移民があってできた
それは何か現代でも移民というとき外国の移民を受けいるれか受け入れないかでもめているが共通している,人がいなくなった土地で誰が村を維持していくのかとなるからだ
若い人は流出していて一体誰か復興の主体となるのか?
補償金もらったらみんな村を出てゆき村に残ったものは老人だけだとなる

だから江戸時代が貧乏だからすべて悪いとはらない,豊かになってもかえってその豊かさが復興させなくさせているともなる
金をもらったらもう金のことしかない,補償金で暮らせればいいとしかなくなったのである。
かえって貧しくても村は維持できたが豊かになりすぎて維持できないということもあった金をもらえば貧しい村不便な村に住む必要はない
一億円もらったら村には住まないとなったのである。
実際は一億円の価値の方が現代では高くなっていたという証明なのである。

それだけ金の社会になり五人組など古い封建的束縛社会のものだとなっていたが
もう村人の絆もなにもない,金さえあればいいという社会で分解したとなる
それはここだけではない,南相馬市でもそうであり小高と鹿島は分断されたのである。
飯館村でも金をもらって外に出た方がいいという村人と残るべきだという村人に分断されているのである。
そうなったのはすべて高額な補償金のためだったのである。
これはもしかしたら現代の社会と意外とその絆が弱いからもろい,何かあったときこうして簡単に崩壊してゆくのではないか?
確かに広域的グローバル社会でありそれは世界的である。
でも意外とその核となるコミニュティは喪失して何かあったら簡単に分解分離して崩壊するということがこの辺を見れば
具体的なものとして提示されたともなる

現実に原発事故後七年すぎても避難した人は以前として働いていないのである。
パチンコ屋に若い人も多いと聞いたときその人たちは原発避難者なのか?
そういう人達は今も働かないで遊んで暮らしているのかとも思った
老人は多いのがわかるが昼間からパチンコしているのが若い人も多いとなるとそうかもしれない。
そういう人はもう働く気もなくなる,俺たちは被害者だと訴えつづける,韓国や沖縄の人達と同じになる,そういっていれば通る社会でもあるだ
そしてそれは一代でも終わらない,被害者だということは次の代にも受け継がれるして韓国と沖縄と同じになる
そして何かうまくいかなければ原発のせいだ、政府のせいだ,東電のせいだとしていれば言い訳になるから扱いにくいのである。
だからそういう人達とはなるべくつきあいたくない,距離を置くとなってしまう

とにかくかえって江戸時代のような貧乏な社会で飢饉かから立ち直ったが今回の原発事故では豊かな社会なる故に復興できないというのもなぜだろうともなる
そうういことを考えさせられる本だった
金やハードや事業がすべてでないということを言っていたのは共感できる
人々の心のつながりが絆がしきりに言われたがその絆が断ち切られたのである。
絆は外部のものとはあったがそれも一時的なものである。
肝心の復興の主体になる内部のものが分断されて離散してばらばらになったのである。
その原因も時代にあったといえばそうなる,だからこそ時代を越えて人間はありえないともなるのである。
posted by 老鶯 at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
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