盛岡短歌十首(秋から冬)
(盛岡は芸術都市:詩人の街(続2)
中津川の瀬音を聞きつ岸歩む秋の日の石にさして休みぬ
長々と柳しだれて白壁の商家も古りて秋の日暮れぬ
上の橋わたりてあわれ芒かな晩菊映えて夕暮れにけり
擬宝珠の古きやあわれ芒かなその色錆つ秋の夕暮
上の橋わたりてあわれ夕ぐれや盛岡の街の青きともしび
啄木に賢治歩むや盛岡のともしびあわれ秋の夕暮
盛岡の銀行古りて秋の薔薇咲きつつあわれ心にしみぬ
盛岡に三色の秋の薔薇咲くや煉瓦の銀行古りて残りぬ
盛岡の城跡歩みて紅葉映え散りて美し流れの音聞く
盛岡の川の岸辺にコスモスのゆれて歩むも街のにぎわい
長々と柳しだれて白壁の商家の古りて秋の日さし暮る
盛岡は詩の街であり浮世絵のような版画のような絵になりやすい街である。
二つの川が流れていて中津川は浅い川であり瀬音がする、一方北上川になると
流れが速く深いからまた別である。
一番情緒があるの東北では盛岡市である。あとは東北で盛岡市のように感じる街がない,全体的にみて乱雑ではないし一応自然が街の中にあるたかもしれない
街が仙台のように拡大化すると情緒が失われるのである。
古い煉瓦の銀行が未だに残っているのもいい,あの銀行は貫祿がある
銀行というのはそれだけ文明の象徴だったともなる
何かそこでは質実な感じになるし銀行は今とは違っていた
ともかく盛岡市は啄木が住んでいたり賢治が来たりしていた街である
東北では仙台と並んで都会だったのである。
相馬市となるとそういう都会になっていない,仙台市は大きすぎるが盛岡はちょうど30万とかで大きいしまたそれほど大きくないということで情緒がある
岩手山とかもまじかに見えるし川が二つあるしそれがいいのである。
散歩するにもいいのである。
そして今は自分は介護を十年するようになってから遠くへ出かけない
ついに去年から春まで一回仙台に行ったきりで行っていない
ほとんど近間を回っているだけなのである。
ただこうして思い出す旅をしているのも不思議だとなる
盛岡はもう新幹線で50分でありここから仙台へゆくより近い
だからいつでも行けるのだけど回想の旅をしているのである。
ただ春の桜は盛岡では見ていないのである。
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