2018年03月18日

銀行は江戸時代の金貸しにもどった? (投資信託はだまし的要素があり危険)


銀行は江戸時代の金貸しにもどった?

(投資信託はだまし的要素があり危険)

日本古来のクラウドファンディング「頼母子講」とは

銀行というのがかかわってわからない,わからないのは金融業がわかりにくいからである自転車屋とかでもわからないことがあったがインターネットで調べるとそういうものかと納得する,でもまず銀行とか証券会社とかは理解できない
このサイトでは頼母子講から銀行が分化したとある,保険や投資もしていたのが頼母子講でありこれは相互扶助組織だった,何か協力するものとして生まれた
それは明治以降も活きていたという,つまりまだ銀行はそれほど普及していなかったのである。
自分の父親は酒屋をしていて暖簾分けした,それが双葉の新山だった,そこに姉が良く行っていてそこに銀行があり遊んでいたという,その時銀行はめずらしいものだったのである。

もともと金貸し業が基になっているのが銀行だというのもある
すると江戸時代のようなあこぎな金貸しの面もある
消費者金融の親になっているのが出資しているのが銀行だからである。
ヤクザまがいの人間を雇ってとりたてをするのは江戸時代と同じだとなる
ただ裏でいい顔して役人のようにしているともなる
今までは銀行をそのように見ていない,やはり高度成長が終わって利子がつかなくなったときから銀行は変質した
金を貸すもうけさきがないからそういうあこぎな金貸し業に先祖返りしたのかとなる

ただ資本主義社会では銀行は必要欠かせぬものとしてある,だから銀行の役割はある
ただ資本主義がもうこれ以上投資先がないとかなりただ金をためていても銀行にとっては負債を抱え込んでいると同じだとなる
金をあづかってもかえってそれで投資してもうけが出ている場合良かったのである。
それで地元でも助かった会社いるし育てられた会社もある
ただそれは高度成長時代に銀行は別に悪いものではなく良いものとして機能していたのである。

だから銀行が今地銀などでも苦境にありどうしてもうけるのかとなり投資信託とかすすめることになった,これはとてももうけられる仕組みになっていないのである。
ではなぜすすめるのかというと手数料を高くとれるからである。
銀行自身が投資して株をしているがそれは失敗したら損になる,リスクをかぶらざるをえない,でも銀行が手数料をとって買わせる株でも投資信託でも手数料がとれるから損することがないからである。

でもこうして自分でもそうだが投資信託は詐欺的商品だというとき何かわかりにくいからそうなっている,わかりにくいとごまかしやすくなるからしている
株だと意外と買った時点で安ければ株が上がればもうかるということは子供でもわかる
だから株の方がわかりやすいのだが投資信託をすすめるのである。
それは銀行や証券会社にとって都合いいものだからである。

銀行側にすれば借金している人のように追い詰められている,だからノルマも課せられているから押し売りのようになっている
そもそも貯金をしてもらってもそれは銀行の債務だというときそうなのだろう。
なぜならその金をあづけられても活かさなければただもっているだけでも費用がかかり事務費をとるということにもなる
では銀行自身が投資してもうければいいが銀行とはいえ株の世界では簡単にもうけられない,リスクがあり損することがあるからだ
だから投資信託でも株でも手数料を確実にとるのが一番楽なのである。

銀行はもう社会の中で正業として機能しなくなったのではないか?
それは銀行だけではない,官僚が経営する財務省でも不正が行われていた
財務省とは金融庁であり銀行を監督する立場にある
その大元が不正していたのである。そのために自殺した人まででてきた
財務省そのものが国民から税金をとりたてて不正しているとなる
金融資本主義は世界的にも格差社会を産みわずかの人達が私腹を肥やすものとなっているだから資本主義自体が危機になっているのだ
資本主義はもう機能しなくなっりつつあるのだ
すると銀行も機能しなくなりたまった金を活用できないのである。
もうけ先がなくなり預金者に投資信託などをすすめて手数料で稼ぐ
つまりあこぎな江戸時代の高利貸しのようになっている
銀行はこうなると社会にとっての悪であり必要ないともなる
銀行の役割が喪失したともなる

時代の変化で永続するものなどない,銀行もそのために変質した
何か変化しなければならないのだがそれができない
だから消滅の危機にあるのかもしれない,誰もそんなことしていたらかかわりたくないとなる
最初はいいにしてもいづれみんなそのことがわかる
得するのは銀行だけであり金をむしりとられるだけだとなる
そうなると預金者も銀行にいい顔をしなくなる
かつての銀行のイメージとは違う、あこぎの高利貸しにもどったともなる

そういうところで働いていると人相まで悪くなるかもしれない
消費者金融の人達とにたようになるかもしれない,紳士面していてもその中味はもう高利貸しと同じだとなる
銀行の社会的使命があったがそれが時代が変わり変質してもうその役目は終わったのかとなる
何か正業として利益をあげる方法がないのかもしれない
となると社会にとって害悪な存在ともなる,そういうことが預金者も気づきはじめたらどうなるのか?
銀行は信用されなくなりいらないとなる,でもどこに金をあづけるのかタンス預金なのかとなるとこれも危険である。
するとそれぞれ株をやればいいのかとなるとそれも危険である。
ただ銀行はかつての銀行とは違っていた,それだけはみんなも知るべきである。


posted by 老鶯 at 07:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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