2018年03月06日

AI化自動化が人間を幸せにするのか? (便利さ効率化を求めて不孝にもなる文明人間)


AI化自動化が人間を幸せにするのか?

(便利さ効率化を求めて不孝にもなる文明人間)

人間の歴史は別に幸福を求めてきたわけではない,第一幸福というのは計ることができないからである。
原始人と現代人の幸福を計ってもできない,原始人が日本なら縄文人が現代人と比べて不孝だったのかというとわからない
そんな時代は食べるに精一杯で幸福もなにもないという見方もある
でも原始人は縄文人は自然に則って生活していて幸福だったという見方もある
原始人ならもう病気になったら死ぬ他なかったから不孝だったともなる
現実に縄文人の寿命は30歳とか言われているからだ
そうなると百歳生きる現代人は幸福だとなる
長寿は人類の願いだったから今実現しているとなるからだ

ともかく人間は幸福を求めてきた歴史ではない,便利さを求めてきた歴史である。
鉄を発明したとき農耕は飛躍的に発展して収穫量も増えたし開墾も容易になり
人間が住む土地が広がって人口も増えたのである。
鉄の発明はそれだけ人類を変えて便利にして生産量をあげたのである。
それで幸福がましたともみるしまた鉄を発明した結果,それが武器となり殺傷力がまして人間が戦争で多く死ぬようになった
それで鉄の時代は人間を不孝にしたという見方もある

人間の歴史はまちがいなく便利さをもとめるのが文明である。
駕籠で人間を運んでいた江戸時代から急激に鉄道ができて蒸気機関車で物でも人でも運ぶ時代になったことの変化はあまりにも大きかった
その技術によって社会もまるで変わった,それは車社会で変わったのと同じである。
通信でも飛脚が手紙を運ぶ時代から電話の時代からインターネットの時代,携帯からスマホの時代と飛躍的便利になった
そういう技術の変化が日本だと明治以降から世界的には19世紀から起きてきた
その変化も激しかったのである。
遂には飛行機の時代となり世界は一気に狭くなったのである。
戦艦大和などは船の時代の産物でありそれが太平洋戦争で飛行機の時代となりアメリカに敗れたとなる
その時原爆が落されて原子核の時代に突入していたのである。
それは恐るべき殺戮兵器であった,人類を滅亡させる威力があることで恐怖した

つまり人間はこうした科学技術を追及してきたのは便利さのためである。
でもそれが幸福を追求するためのものではない,幸福とは何かわからないからである。
ただ便利さとか効率とか生産の増大とかを追及してきたのである。
人間がその科学技術によって幸福になるか不孝になるかなど考慮していない
だから核が発明されてそれが核戦争になって人類が滅びるとしたら最悪であり科学技術は人間に最大の不孝をもたらしたとなる

人間は便利さ効率さ生産の増大とかを求めるが幸福は求めていない
もし幸福を求めるとしたらその幸福とは何なのかが問題になる
でもそれを定義することはできない
飢えるよりはうまいものをたらふく食べるのがいいし寿命が伸びるのはいいとかは幸福として定義はできる,でも寿命が伸びたら伸びたで苦しみも増してくるとしたら寿命は長いのが幸福ともならないのである。
だから本当に幸福とは何かなど計れないわからないからそうなる

人類の願望として飢えとか貧乏とか病気の克服はテーマとしてありそれは克服することは幸福度が増すということは言えた,だから科学技術はそういう点では貢献して幸福度を増したとは言える
でも人間の幸福は計れない,なぜ20世紀に世界戦争で何千万もの人間が日本では300万人も死なねばならなかったのか?
それで人間の幸福度が増したのかとなる,戦争はあったにしても近代以前は局地戦争だったからである。犠牲者も少なくてすんだともふりかえり見る
人間にとって幸福とは何かとなると戦争などないことが幸福であることは間違いないのである。

飢えない
食料は豊かであり保証されている
戦争がない
病気がない
長寿である

この辺が幸福を計ることができるものとなる,でもその他は幸福を計るものがない
便利になったから効率的になったからとかなってもそれが幸福にはつながらないのである旅行でも新幹線で一日で京都まで行ったとしてもそれが幸福な旅だったのかとなるとそうはならない,江戸時代のように江戸まで歩いて旅した人は本当に旅していたと見る
だから旅をするという観点から見るとこれだけ旅しやすいのに不孝だともなる
要するに人間の幸不孝は計れないからである。
何が人間を幸福にするのか不孝にするのか?それは様々な要素があり計れないからである

ただはっきりしていることは人間は幸福を求めてきたのではない,便利さや効率さ生産の増大を求めてきた,その結果として幸福とはなったとはいえない,第一幸福とは何か定義できないし個人的にも違ってくるからである
さほど金にならなくても働きづめなのは嫌だ,のんびりしたいとなる人もいる
でもがつがつ働いても稼ぎ贅沢な暮らしをしたいう人もいるからである。求める幸福はそれぞれ違っているから計ることはできないのである。
幸福というとき苦は楽の種というときもそうである。
苦があって楽があるからだ,楽ばかりだと楽は楽でなくなる
うまいものばかり食べていると本当にうまいものの味もわからなくなる
腹が減っていればなんでもうまい,そういうとき何を食べてもうまく幸福になる
このように人間の幸福はわからない,幸福を求めて生きている訳ではないからだ
また人間は幸福をいくら求めても幸福にならないともなる
幸福を求めたが不孝になったということもある,思わず意外に幸福を感じたということもある,つまり幸福というのはそれぞれ違ったものでありわからないからである。

人間は便利さ効率や生産の増大をも求めても幸福になるとはかぎらない,別に幸福を求めてそうした科学技術を利用するわけではない,科学技術でも人間を不孝にすることがあるだ,何かそれでAI化自動化がバラ色だと見ているがそれも嘘だと思った
それによってもう人間はいらない,ロボットだけでいいとなる世界は人間砂漠であり
悪夢の世界になるかもしれない,なぜなら人間の幸福を求めてそうしたAI化自動化になるのではない,便利さや効率化を求めてそうなっているだけだからである。
これだけは知っておく必要がある,AI化自動化は人間を幸福にするとは限らない
不孝にすることもある,人間はいらない,人間は効率的ではないとかなり人間はAIより無能だとなりもうそういう人間は始末すべきだというSF的な悪夢が実現するかもしれないのだ
そうなるとそんな科学技術は人間を不孝にするのだからいらないとまでなる

車より自転車や歩く方が人間的だとか幸福にするとか今でもある
だからいくら科学技術が発展しても人間は幸福にはならない,必ず悪い面が生まれ人間を不孝にもすることは確かなのである。
そういうことは20世紀で経験済みだからである。
むしろ非効率でスローの方がいいとかもなる,それが人間的だなと人間として幸福だなともなる,スローライフが言われるのも今の高速な極度の効率を便利さを追及するものが決して人間を幸福にはしていないからである。
高齢化社会になると価値観が変わる,なぜなら老人の価値観と若い人の価値観は違うからである。
どうしてもめまぐるしく変わる早いとか効率的だとか合理的だとかよりスローで変わらない世界とか非効率でもそこに人間的なものを見いだす社会がいいとかなる
経済合理性だけを追及することに合わなくなる,人間的なもの金だけではない,情ある社会がいいとかなる,高齢者と若い人の幸福とするものが違ってくるからそうなる
そして現代は高齢者の価値観が優位になる,それは悪いことではない
それは別に年齢に関係なくそういう時代の価値観に転換する時代だともなるからだ




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