2018年03月04日

人生老後の誤算 (百歳の人生はイメージできない)


人生老後の誤算

(百歳の人生はイメージできない)

何故今これほど老後が問題になるのか?それは人生百歳とか言われるようになったためである。
百歳となれば60で退職してそれから40年もある,するとどうなるのか?
それをイメージもできないのである。
まず人間は若いとき老人になることをイメージできない
だから若い人はたいがい50とか60で死んでるよと死にたいとかなる
でも実際はもう現代は70で死んだら早いなとなる
ただ70は一つの区切りのような気がする
還暦が60というのは今の時代に合わない
60は普通に働ける時代である。個人差があるけど一般的にはそうである。

明かに現代では十年は若返っているしこれからも寿命は伸びる
なぜなら細胞を若返らせる研究がすすんでいるしそれは空想の世界ではなく現実となるとか投資されているからである。
すると百歳は普通に生きる時代がくる
それはいいとしてそれに備えるものがない,社会的にも個人的にもないのである。
金銭的な面でもそんなに長く生きることを想定していないからである。

だからこそ退職してから余裕ある生活をするには一億円かかるとなる
ただもし百歳生きるのが普通になれば人生設計を変えねばならない
それは金銭的な面でもそうだし精神的な面でもそうである。
会社勤めを終えて今までは人生は終わりだとなっていた
でも会社を退職してから30年40年もの人生があるとしたらどうなるのか?
精神的な面では趣味もなにもない人はその長い年月を有意義に過ごせないという問題もでてくるしでている
会社一辺倒で働いていた人達は社会で役割もなくなりただ早く死んでくれと今でも言われる
社会ではもう高齢化社会で老人に金を使っていられないからそうなる
そして年金とか保険も破綻すると真面目に言われる,それは数が多いし確実に長生きするからである。その財源も日本は少子高齢化や経済の衰退でなくなる
そういう深刻な状態が年金が破産するのが後三年だという人もいる
そういう危機的状態が迫っている

そして不思議なのはAI化で人間は働く無くてもよくなる,人間はそこで何をするのか?
それは人間にしかできないことをする,芸術とか創造的分野で才能を開発するとか言われる
それはなんのことなのか?今までは働くことが美徳とされてきたし強制もされてきた
働かない奴は無職は社会の敵であり排除されてきた
ただフリーターとかニートとか増えたのは何かそうしたことを奨励するためだった
創造的個性的生き方を奨励した結果そうなったとも言われる
結果的にその人たちは悲惨なものとなる,それは誤っていたとしている

そもそもそんな考えが堂々と言えることが理解できなくなる,価値観は絶えず変わるにしてもそうである。自分などはそれに対して別に驚きもしない
なぜなら自分は無職だったし働いていないからである
でもベーシックインカムとかがまことしやかに語られる時代が来るのも何なのだろうと思う
自分のように生きた人はアウトサイダーであり極少数だった,フリーターとかニートなどが増えた時代とは違うからである。ただ今でも無職ということは犯罪者と同じなのであるだから暴力団の方がニートより増しだと激しい憎悪をいだいている人がいる

いづれにしろ人間は人生はみんな誤算である,それは70年の人生だったとしても時代が変わり価値観が変わり思わぬことが津浪や原発事故が起こる
何かのために備えてもそれも無駄だったとかもなる
事業しても成功しているのは20人に一人であったり常に誤算がつきまとっているのである自分の身内でも最後まで優秀だったと言って死んだのは認知症になったためである。
人生の最後に認知症になるのも最大の誤算だったとなる
優秀な人でも最後は馬鹿になるのかという恐怖を介護してまざまざと見たからである。
人間は金でもなんでもそんな長い人生で計算できないのである。
思わぬ出費があったりいろいろある,それが人生百年になったら余計にそうである
社会的にも個人的にもとても備えられないのである。
ただでは個人的には金銭的に余裕があるからいいやとはならない
回りはそうして金銭的に苦しい人が増えると余裕ある人も危険になる
そういう目に自分はあったからだ,老人の犯罪も十倍以上に増えているからだ
その問題はその負担はみんなにのしかかるのである。

人間の最後はやはり生物と同じである。天命を全うして死ねばいいとなる
そして苦痛もなく死ぬのがいい,90から百歳とかなると老衰がいいとなる
95以上生きたらたいがい老衰で死ぬからあまり苦しみはない
樹が枯れるように死ぬ,欲も消失してそうなるのがいい
ただこれも個人差があり人間の欲はそう簡単には消えないのである。
いづれにしろ百歳となると本当に老後も長いしそれをどう生きるのかが課題になる,でもそれに物心共に備えることはもうできないのである。
ただその結果として何か社会が変わる,価値観が変わることは確かである。


樹齢千年の桜
そは十分に花を咲かせた
暴風に倒れたが
その命は全うされた
老木は枯れて朽ちてゆく
痛みもなく命は尽きて
逆らうことなく
天命を全うし森に還る

樹齢千年の大玉村の馬場桜が倒れる
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