2018年02月27日

わからないことで損したりだまされる (それがひいては社会をゆがめ社会の損失になる)


わからないことで損したりだまされる

(それがひいては社会をゆがめ社会の損失になる)


現代社会は複雑である。これを理解することはもう不可能である。どんな才能があり優れた人でもほんの一部しか理解できない
それは理系の科学技術分野でもそうである。
そこから何が起きてくるのか?人間の無力化である。それはイリイチが言っているように専門家に牛耳られ無能化される
そして金でも奪われるし奴隷化されるのである。
それはあらゆるところに起きている社会全般の問題である。

なぜ弁護士に相談に行っただけで百万もとられたのか?
それは相談に行った人が弁護士のことも知らないからである。
相談だけでそんなに金をとることはない,何かそこで弁護とかの仕事をすれば払う
最初から何もしないのに百万とることはありえないのである。
実際に何かしたのは仕事したのは交通事故の保険会社の人であり
弁護士は何もしていない,これは今考えると悪どいとなる

渡辺病院でMRIで認知症の写真をとったけどそんなもの何の役にもたたない
それは写真をとる人が知っていたのである。
そこは払うのが3万だったから払う方にしてそれほどでもない
でも実際は十倍払っている,その負担は国民の負担ともなっていたのである。
そもそも認知症の治療などその原因もわからないのでできないのである
わずかに郡山市とかに二台ある機械ではわかるというがこれも認知症のこと自体わからないのだからそれで何かわかることもない,第一治療方法がないのが認知症なのである。

次に銀行がすすめる投資信託もその仕組みが複雑でわからない,そのわからないことが銀行とか証券会社にとって都合がいいものだった
あなたにはわかりませんとなれば銀行側の言いなりにされる
説明してもあなたにはわからない,現代は複雑だからそうなることが多い

みんなあなたはわからないい,説明してもわからない,だから支持通りにしなさい

原発事故でもそうだった,あなたは原子力とか核のことはわからない
だから私たちの支持通りにしていればいいのです
私たちが専門家が安全だと言えば安全なのです,そこで「安全神話」が作られたのである
そういうことが社会にどう影響するのか?

社会の健全性とかモラルをゆがめるのである。そして国民自体がその影響を受けて原発事故だったら大損失になる,個々人が損しただけではすまないのである。
そうしてわからないことで利益を得たからいいと思っていても回り回って社会に影響して社会自体が損なわれる,何もそうしてもうけることは悪いことではないと会社では思っている,その会社員だったそうしてもうけなければ会社が成り立たないともなる
そんないいことばりでこの世は生きていけないと主張する

でも公益的観点からするとそれが社会全体を損ねる,ゆがめる,損失を与える結果となるなぜこれが大きな問題なのか?
それは公益性の高いもの権力を有するものだからである。
弁護士だってやはり社会の正義を看板にしている,でも金のために悪徳弁護士にもなる
病院も公益性の高いものである。それは国民保険とかで成り立っているからである。
そこで病院がもうけても国民の負担となってゆく
銀行も証券会社でも公益性が高い,それも自分たちの会社の利益だけを追及すれば社会自体がゆがめられるのである。

ともかくわからないいうことが人間を無力化させられるのである。
それは宗教だって同じである。宗教も詐欺になりやすいのはわからないということでそうなる
宗教にすすめに来るのは自発的に信仰へ向かわせるものではない
最初から悪い意図でくる,ある団体は一票をとるためでありある団体は会員を増やすために勢力拡大するために一軒一軒回って歩く,そして会員にして奴隷にするのである。
宗教は会員にして勢力を持つの好都合なのである。
やめると罰があたるとか脅されるとやめられなくなるからである。
それでカトリックでは免罪符を売りつけたのである。
商売にしたのである。そういうことは特に現代のカルト教団に受け継がれている
だから宗教にも歴史があり歴史はくりかえすとなる

つまり人間は死後のことはわからない,病気のことはわからない、法律のことはわからない、原子力,核のことはわからない・・・・わからない・わからないということで
そこにつけこまれて致命的な損失を受ける,わからないということをいいことに金を奪われたり精神の自由が奪われたり遂には原発事故では故郷に住めなくさえなったのである。わからないこと人間を不安にする,そこでおびえる,そこにつけこむ
週刊誌でも絶えず株が暴落するとか大地震が来るとか不安をあおる,すると読む人も不安になり増えるということもある
情報社会でも不安をあおる,それは結局わからないということに由来しているのだ

投資の世界もわからないことが多すぎる,そこで常に不安になる,銀行員や証券会社の人がプロでわかっているかと思ったらそうでなはい,自分たちの都合のいい投資信託を買わせて手数料をもらう商売である。
ただ前に書いたように投資でもわかることはあった
そのわかることをやれば損してしょうがないとなる
ただかわらないものをしているとただ銀行や証券会社のいいようにされる
だからわからない人,経験しない人はやるなとなる

三方よし(売り手よし 買い手よし 世間よし)/近江商人

無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ

商売にも教訓がありモラルがはぐくまれた,客のためになるものを売れ・・・それが銀行のためになるもの証券会社のためになるものしか投資でもすすめないし売らないのである江戸時代の方が何かモラル的には良かったのである。
だから外国人が来た時日本人はみんないい顔していたというのである。
それはモラルとしては安定していたからである。
今は安心できない,安心できると思った銀行自体が安心できないものになった
それは社会が変わりやすいからそうもなる,江戸時代は多少変化して変わらない社会だから安定していたからモラル的にも安定していたのである。
そして現代は遠くの人とグローバルに交わったり見知らぬ人と交わることが多いのも信用ができないとなる,信用は簡単に築けない,時間もかかるしやはり近くに長く住むと作りやすい,それで農家の人は三代になってはじめて仲間入りさせられるというのもわかる
そういう社会は信頼できるし安心であり安定していたとなるからだ









posted by 老鶯 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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