人間を見る心理学
(ギャンブルでも最初にもうけさせてあとで負けさせるのが定理)
今回の自分の投資信託でもうやる気がなくなったのは最初から負けたからである。
それは予測しないことが起きたこともある
カナダの国債が石油が急激に下がって損した
石油は今までずっと高かったのに急激に下がったのである。
まずこのことを予測できないから失敗したとなる
先を見ることができなかったとなる
もう一つの大きな失敗はリーマンショク前から株をもっていたのである。
それが15000円になったとき回復して元にもどった
でもその時株は上がり調子だから上向きのトレンドだからそういうときはチャートを見て専門家は売らないのである。絶えずチャートのグラフを見ているからだ
でもなぜ自分の担当の銀行員は売ったのか?
それを投資信託に回したのは手数料がとれるからだったのである。
その時自分は売らなくてもいいではないかとも思った
上がってきているからそう思った,しかし相手はプロだと思いまかせたのである。
でも前に書いたように大手証券会社でも銀行は特にプロでも何でもないのである。
プロとはプライベートファンドのように利益を上げたらその10パーセントはもらうという商売である。最初から手数料をとるということはすでに損は投資信託を売った時点で損はしない仕組みになっているのである
ただそこで手間隙かかるからその分とるということはわかる
でも損はしないのだからそれもいいわけにはならないだろ。
ともかく人間の心理として最初にもうけるとまたギャンブルでも賭ける
これは人間の善悪の問題ではない,人間の心理が古来変わらないのである。
そういうふうに人間が変わらない心理がありそこから人間を見るということも必要であるそれで中国とかでは絶え間なく戦乱であり人間を策略で陥れる
そういう非情を見てきたから孫子の思想とかがが生まれる
マキャベリもそうである。
人間はだいじに扱うか、叩きのめすか、どちらかにすべきである。小さな傷を受けた者は復讐するかもしれないが、重傷を負えば復讐できない。人を傷つけるときは、必ず復讐のおそれを断っておくべきである。
これを日本にあてはめると日本は原爆を落されて完全に打ちのめされて抵抗できなくなったのである。だからアメリカでは容易に日本を支配できるようになったのである。
日本人はあれほど鬼畜米英になっていたのにすんなり原爆をおとされて従順になったのを不思議がるが原爆の影響が大きかった,この言葉のように完全に打ちのめされたのである
日本が戦争に突入した原因としてギャンブル的に考えれば日本は日清日露戦争で一応勝ったので傲慢になった
それはギャンブルで最初に勝ったことによりそうなったともいえる
もし日露戦争でも負ければ日本は弱いのだという自覚をもつから次の戦争でも躊躇したことはありえる,つまり最初に勝つことは人間の心理としてかなり影響する
次もまた勝つという奢りが生まれるのである。
だから日露戦争に反対した内村鑑三などいたが後は日露戦争を賛美する人が今でも多いし当時は国民がロシアに勝ったと熱狂していたのである。
それも実は危険なことであり奢りとなり次の太平洋戦争に突入した
信長は桶狭間で勝ったけどその後は同じ戦法を使わなかったというときそこに信長の優れたものがあった,同じ戦法では時と場合がありケースバイケースであり勝てないのであるともかく人間は一回勝利するとその成功体験に酔う,次も同じように勝つと奢りになるのである。
だから必ずしも最初から勝つということはその後がありいいとういことはない
要するに日本の戦争でも日露戦争で負けていたらうちのめされていたらアメリカと戦うようなことはしなかったのである。
ともかく自分はとてもまた投資信託などやる気がしなくなった
これだけ負ければやる気がなくなる,ただもし勝っていたらまたやることは間違いないのである。
だから株をすすめる人は最初いいものをもってきて勝たせる必要があると思った
ただそういうことは投資信託ではない,ほとんど手数料をもらう商売であり客にもうけさせるということはないのである。
だからもうそのことを客がわかってくるとやる人がいなくなる
投資信託は7割がもうかっていない,でも3割はもうかっているとなるがその3割は大手証券会社とか銀行にすすめられたものではない,別な証券会社であり手数料をとらないものとかいろいろある,まず大手証券会社と銀行にすすめられるものはもうかる人がいても一割くらだろう。だからほとんどは損しているのである。
つまり投資信託の仕組み自体がそうなっているからもうからないのである。
いづれにしろ自分の場合は人間の心理として最初に負ければ損すれば次にまた賭けるということはしなくなる,それは人間の心理でありどうにもならないとなる
だから人間の心理というのを良く知ることも必要だなと思った
悪知恵にしても最初はもうけさせない限り人はもうその後は賭けないからである。
結局全敗だったからやる気がなくなったとなる,分配型は知らぬ間に元金からひかれていたのも錯覚をもたらしていたし収支決算もしないしすべて投資信託をすすめる人が有利になっている仕組みなのである。
だからこそすすめるのである。
ただネットでもどこでも様々な情報がでる,では投資信託の情報で気をつけねばならいなのは投資信託をすすめる商売をしているものとそれを買う側とに分けるべきである
投資信託をすすめる商売の人は投資信託を言いも気としてすすめるからいいことを書いている,でもそれで失敗した人はそうは書かないのである。
でも失敗した人は一部だとも言うことはできる他の人に言える
でも統計的にも7割しか成功していないし3割が成功しても大手証券とか銀行にすすめられたものは成功していない確率が多いのである
だから統計的にも合理的なものである。一人一人はいろいろあってもやはり統計的に答えが出ているのからだ
ただわからないのはどうして投資信託のようなものが世間に出回りそれがもうかるような錯覚をもたらしているのか?
それになぜ銀行までが加担して広めているのか?
それは一時的にはもうけをだしてもみんなもうからないとか損したとなると信用がなくなる,なぜこんなものをすすめたのだと客が銀行でも不信をいだくようになるとあと何をすすめてもしんようできないとなる
信用を損なうようなことをして将来的に成り立つのかという疑問である。
別に銀行員が悪いということはない,銀行の方針としてノルマを課して投資信託をすすめさせているからだ
こういうことは自分も経験している,カルト教団では会員を獲得することがノルマである一票をとるために毎日奔走する,それはなぜだったのか?
それがその団体が権力を得るためにそうしている,数が増えれは社会的勢力となり影響力をもつのが民主主義だからである。
そういうふうに圧力をかけているのは誰なのか?
それは上に立つものだともなる,若い人は別に従わなくてもいいが銀行に勤める限り従わざるを得ないのである。
だからそもそも銀行自体が問題視される,そういう経営で社会のためになるのか?
社会の中で存在意義があるのかということにもなる
なぜなら会社とは会社の利益だけを追及するものではないからである。
必ず公益的なものがありそれでなければ存続しえないからである。
それで金融庁から投資信託のことで注意されたのである。
つまり銀行自体が実は問われているのである。
ただ銀行側にすると投資信託はもうかるものだからそうしている,でもそれが信用を失うことになり社会的公益性からして銀行はすでにもういらないとされるようになる
そういう危機に直面しているのが銀行だともなる