人間は有能だから成功するのか?
(有能な人間が危険にもなる-文明は有能な集団により作られたが滅びる)
人間の社会は謎である。なぜ老子とかの思想家が生まれたのか?
文明社会のアンチテーゼとして生まれた
人間が道具をもつこと自体否定した
なぜなら人間は道具をもてば道具に使われる
それも今になると人間は機械に使われるというときそうなっている
道具にしか過ぎないものが道具に使われている
人間はまた有能になることを求めている,それも荘子になると否定している
無用の大木を称賛しているのはそのためである。
人材とか材は森全体ではなく木をその一部を材料として切り取ることである。
そういう意味があるとき人間は今や無数の材として一本の木であるものが森であるものが材として切り取られて使われる,部品化して使われているともなる
そして足の悪い人や障害者が戦争に行かずにすんだがかえって丈夫な人は戦争に兵隊としてとられて死んだ,障害をもった人は生き残った
それは日本の戦争でも言える,甲種合格とか体の丈夫な人は率先して兵隊としてとられ死んだ,それでわざわざ病気になり戦争に行くことをまねそがれた人もいる
それは非国民なのだけど戦争が終わると日本人はほとんど戦争を否定するようになった
その価値を認めなくなったからそういう人を非国民とも言わなくなったのである。
むしろ戦争した人が悪いとされる方が多かったのである。
だから別に戦争に病気を装い行かなかった人を今では責めないのである。
そもそも戦争になると戦争に有能な人が偉いとなる,戦争に有能ということは人殺しが平気でできる人間でもある,冷酷な人間が戦争に適しているし有能なのである。
だから有能だということは一面怖いことにもなる
何かブラック会社でも営業で成績をあげるのは有能だとなるがそういう人は果たして推薦できる人間なのか?あくどいやり方で成績をあげている人もいるかもしれないからだ
でもノルマを課せられているから営業成績をあげる人が有能だとされる
それは社会にとってもいいものでもない場合がある
銀行でも投資信託を強引にすすめて成績をあげれば銀行では有能な人としてみる
でもそれをすすめられて損している人も多いから社会にとってはいいとはならないのである。
人間が有能だということは一面危険なことなのである。
科学者がそうである。科学者は今では一番有能な人でありエリートであり支配者にもなる政治家とか他は今は低く見られるが科学者は聖職者のように今では見ているからだ
でも有能だということは歴史をふりかえっても強力な殺戮兵器を産み出すことにもなる
それは技術者とか科学者のすることである。
そして現代の核に結びつく結果となった,核兵器を発明したのはアイシュタインとか科学者であり最高の知性をもつ有能な人だったとなるからである。
原発を作ったのもそうした有能な優秀な科学技術集団だったともなる
だから有能だということは一面危険なのである。
人間の歴史をふりかえるとなぜ宗教が生まれたのか?
宗教とは何であったのか?そもそもなぜ東西の宗教,キリスト教でも仏教でも聖職者は僧侶でも出家して社会から離れ社会的には無能集団のように暮らしたのか?
生産活動をしない集団になった,乞食が一つの行となる
生産活動をせず布施といえば乞食ではない,僧職につくものは食料を無料で与えられるのである。社会的に見れば何の生産活動もしないのだから否定されるはずなのである。
そういう人が社会的に偉いとどうしてなったのか?
今では僧侶とかはさげすまされている,牧師だってそうである。
なんの生産活動もしない無能だとされている,宗教は世俗的価値を否定するが故にそうなったのである。
人間がそもそも有能だということは何なのか?
それ自体がわからないのである。
だから宗教ではキリスト教でも仏教でも人間が有能であることを疑問をもち否定している人間が有能であるとうことは神から見れば奢りになるからである。
その奢り故に人間の成したことは罰せられる,道具を作ることは人間として優秀なことであり有能だからできたことだがその道具によって核のように人類自体が滅亡するとまでなる
要するに道具といってもそれは最初は石器である,でもその石器でも自然界ではありえないものであり強力なものなのである。それで動物と対抗できたからである。
石の斧でも槍でも動物を殺せた,それに動物は負けたのである。
だからどれほどそうした最低の道具でも強力なものであったか知るべきである。
ヨーロッパとか西の石器は最初から大きかった,ということは歴史の出発点からして西洋は殺傷能力を高いものを作っていたともなる,兵器も西洋では発達したのである。大砲が城の時代を終わらせたというのもそうである,鉄砲でもそうである。
それが石器が鉄となり現代の核兵器までになったのである。
石器でも強力なものでありそれが核兵器までになる,そして人類はその有能さの故に滅びるともなる
一身上のことになるが自分の姉は従軍看護婦になって4年間シンガポールで働いた
戦前は看護婦になること自体相当優秀でないとなれない,それで東京まで行って試験に受かりなることができた,体も健康優良児のようであり頭も太っていたが切れていた
なんでもパキパキとする行動的な女性であった
だからいつも感心して自分はいろいろ劣っているから見ていたのである
でも最後は認知症になり無惨に死んだ,最後の言葉は「自分は優秀だった」ということを今の際まで言って死んだのである。
何か優秀なことにこだわっていたのである。事実優秀だからこそそういうことができたことは確かである。この家を作ったということも確かである。
でも最後は無能化されて死んだということがショックだった
一方で馬鹿にしていた人は正直で情の厚い親切な人だったのである。
その人は姉が認知症になっても受け入れてくれた
他の人は誰も来なくなったし嫌がったその人だけは受け入れてくれたのである。
それを見たとき何が人間にとって優秀なのかもわからなちなったのである。
優秀だと見られた人が無能化されて愚かな者だと見えた人が実は優秀だったともなる
それは何か能力かあるとかないとかではない,人間としてかえってその愚かに見えたものが人間として評価されるものだったともなる
だからこうして人間の評価もわからないのである。それは人間の歴史でも有能な人間が必ずしも成功するとは限らない,いくら有能でも時代が違うとその有能さも埋もれたりして発揮されないのである。天才でもその天才が時代によって発揮されないのである。
事業を起こして成功する人が必ずしも有能な人ではない,知っている人が事業に失敗したのは理系であり技術者でも会社を経営するとなると様々な別な能力が必要になるから失敗した,その時代の影響もある
誰も今銀行がなくなるなど思いもよらなかったからである。
事業が成功するということはいろいな条件が幸運に恵まれることも必要なのだろう。
いづれにしろいくら有能でも成功するとは限らないのである。
文明とは優秀な有能な集団が実際は作ったともなる,マヤ文明でも技能集団は支配階級になった,それは高度な知能集団だったのである。
でも最後は太陽の力が弱るとか人間が人身御供にされた
何かそうして太陽の力がなくなり滅びる日にちまで特定してカルト宗教のようになり森に放置されて埋もれたのである。
何かそれは原発とにているのだ,現代最高の有能な科学技術集団が原発を作った
それは今やその回りには人が住まない地域となり放置されて荒野化して森林に埋もれる
チェルノブエリではそこは野生が復活してノロジカとか狼まで住むようになったのとにている
人間の知性が有能さが一挙に崩壊したのである。つまり無能化されたのである。
結局人間は有能だとか優秀だとかいうけどそういうことを決めるのは全能の神しかない
人間がいくら有能でも文明を作ったとしてもそれも最後は限界にきて放置され森に埋もれる,人間は無能化されるのである。
人間がすでに有能だというとき何かそこに奢りがありそれが砕かれるのである。高きものは卑(ひく)くされ卑くいものが高くされるというのはそのことである。
そういう価値判断とか評価は人間だけでは決められないのである。
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