2018年02月08日

老人は時代の大きな変化についていけない (今まで信用していたものが信用できない)


老人は時代の大きな変化についていけない

(今まで信用していたものが信用できない)


津浪から原発事故で経験したことは何なのか?
それは信用の崩壊だったのである。
なぜなら原発は安全だ安全だと「安全神話」まで作られていたからである。
その安全神話を作ってきたのは政治家であり官僚であり大企業であり科学者でありマスコミだったのである。
それらが一挙に信用を失った,もう信じられないとなった
科学者も事故は起きない,原発は安全だと言っていたしマスコミは巨額の宣伝費をもらっていた,だから原発の安全神話が作られた

それは日本の戦争の時と同じだった
日本は神国だから負けないという神話を信じていて戦争していたのである。
それは政治家であれ官僚であれ大企業であれ科学者でも技術者でも全勢力が戦争に向かっていた,日本は負けないのだという神話が形成されていたのである。
だからその時日本が負けるとか言うと危険人物にされていたのである。
この辺でもみんながそうすりこまれて利益を得ているから原発は安全なのかとか疑問をもち口にだすと危険人物にされていたし住むことさえできなくなっていた
なぜならみんななんらか三分の一とかは原発にかかわり利益を得ていたからそうなった

そういう今まで信用していたものに対して信用が失われた,それが致命的である,そうなると何を言っても信じられないとなる
そうした人達が指導したものが信じられないとなる
その不信感は簡単にぬぐいされない,一旦犯罪にあうとだまされたりすると人は信じられなくなる,信じようにも信じられなくなる
本当にそうなると信頼を回復することは至難になるのだ
一旦信用を失ったらもう回復することは不可能に近くになる

そういうことが今まで信用していたものが信じられなくなるのも時代なのだろう
時代が変わるからこれまで既得権を得ていたものが総崩れになってゆく
銀行のことを言ってきたがこれも地銀などはもう存続できない状態になっていたのだ
だからなりふりかまわず投資信託とか株とかをすすめる,そして手数料だけはもらう,それもアメリカだったら0、03とか率が低いのに日本ではとにかく手数料が高い
3パーセントとか高い,そして証券会社からも手数料がとられ税金もとられる
だからもうかることはまれなのである。

なぜそういう商品を売りつけるようになったのか?
銀行がもうける先がない,金を貸してもうける先がなくてそうなった
地銀などは信用第一であり地元では信頼されるエリート集団だったのである。
それで人も律儀で固い職業であり信用される人達だったのである。
それがまるで変わってしまって証券会社の一支店化していたのである。
その変化も大きかったし自分は気づかなかった
そのことはyoutubeとかで盛んに放送されている
youtubeはあまり見ていなかったがこれは今まではとは違う
信頼できて学習機能があると思って今は毎日見ている
テレビよりいろいろと勉強になるのである。
情報分野でも常に変化しているから追いつくことができなくなる

地銀は既得権益化して政府の補助金とかで生き延びてきた,もうマイナス金利でそれもできないから窮地にたたされた,地銀の合併が要求されるし金融庁からも株とか投資信託をすすめるのはひかえろとか警告されるようになった
ただそうして地銀が地方から消えたらどうなるのか?
有力な就職先がなくなる,すると地方は疲弊するともなる
地方にはいい就職先がないから地銀などはいい就職先であり安定していたからである。
そういうものがなくなると地方はますますま衰退することになる

この世の中を成り立たせているのは信用だというときその信用がなくなるときどうなるのか?
この金をもっていて通用するのか?ドルも世界で通用していたが本当に通用するのか?
これは紙切れではないか?何かそうした根本的なところでも信用を失うと世界は破綻する
資本主義がそれでもう終わりだという人が増えている
それはほんの一部の者に富が独占される,奪われるシステムでありそんなものいらない,信用できないとなり機能しなくなる
今の地銀がそれを象徴していたのである。
こういうことは時代の変革期には次々に起きてくるのかもしれない
今までの既得権者は明治維新の時のように侍はその特権を失い新たに職を見つけなければならなくなる,新しい時代に適合した職を見つけなければならない
そういうことが資本主義社会の要の銀行で起きていたのである。

つくづくこういう時代は老人は不利である。時代の変化についていけないのである。
パソコンは20年くらいしてきたからできるにしてもそれだってスマホの時代になるとまた違ってくる
ただyoutubeは内容が濃いし信用性が高い,匿名でもない,顔も出しているから今までとは違う,学習能力が高いのである。
これによってかなりの信頼できる情報をえる,得るだけではなく学習できる
マスコミだとテレビだとか一方的であり学習機能がない
何回も見れることで記憶して再考して学習できることが違っている
自分がしている抽象画も無数にあるインターネット上の写真とか絵とかから変形して作っている,これも自分でしていて不思議だとなる
これもインターネット時代に生まれた芸術だともなる

いづれにしろ時代が変わるとき産みの苦しみがある,それがいたるところで起きてくる
それが時代が大きく変わる時だからそうなっている
易性革命とは天変地異が起こり政治でも変わらざるを得なくなった
津浪とかもそういう働きをしたのである。
明治維新の時,太平洋戦争で日本が完全に負けたときそして津浪原発事故とか資本主義が終わりを迎えるとかになる
そういう時代の変化の節目が70年ごとに起きていたのだ
それは一面苦しいものとなる,一方で新しい日本を作る再生するものともできる
それはこれからの若い人たちの肩にかかってくるのだ
老人はそうした重荷をとても負いないからだ
ただこれまで生きたことで各自が何かを教え与えることはできるのである。

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