2018年01月22日

同世代の著名人が死んでゆく (西部邁さん(78)が自殺)


同世代の著名人が死んでゆく

(西部邁さん(78)が自殺)


大鵬(本名・納谷幸喜)が1月19日、心室頻拍のため都内の病院で死去した。72歳だった。

「羽柴秀吉」などの名で東京都知事選や大阪府知事選など全国の選挙に相次いで出馬し、話題になった三上誠三氏が11日、肝硬変のため青森県五所川原市内の病院で死去した。65歳

楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった

21日朝、評論家の西部邁さん(78)が、東京都内の多摩川で意識不明の状態で見つかり、搬送先の病院で死亡しました。警視庁は、現場の状況から西部さんが自殺したと見て調べています

都築詠一死亡 腎臓透析17年 遂に力尽きて死す,残したものはプログの「心に青雲」のみ


大鵬は団塊の世代ではヒーローだった,その人も72才で死んでいた,これも意外と早かった,相撲取りは長くは生きられないのが多いみたいだ

羽柴秀吉も城を建てたとかテレビでも有名になった,その人も死んでいたのかこれもわからなかった

星野仙一も死んだ

そして西部邁も昨日自殺したというから驚きだった

そして去年はみんな知らないが都築詠一氏が死亡した,これも自分にとっては大きな死だった,ただその残したものがプログであり全部は残っていないので再検討しにくくなった西部氏だと著作が残っているからできるけど何かこむづかしいところがあり自分には理解しにくかった
自分にとっては都築詠一は簡潔でわかりやすいから理解できたから今でも興味がある
そこから発展させるものがある,対話できるものがあった

人間いくら著名人でも理解できないものは親近感がなく興味ももていなのである。
そして今更それを検討する気にもなれないのである。
西部氏がなぜ自殺したのか?
これも謎だがやはり病気のせいらしい,それと二年前くらいに妻を亡くしたことのショックらしい,とにかくこの病気にだけは勝てないのが人間である。
身内でも健康優良児のような人が最後は認知症になり無惨に醜態を晒し死んだからである何かそうして介護されて死ぬのが嫌で自死した語られる
なかなか自殺の原因はわからない,これも人間は一つの原因ではない複合的な原因で自殺になるからである。一つの原因ではない,その主要なものが病気だったとは推測できる

いづれにしろ同世代が死んでゆく,これから余計にそうなる,80前で死ぬとなると今では早いとなる,スポーツ選手でも体力あっても寿命とは関係ない?
自分の母親もかよわい人だったが百才まで生きたから不思議なのである。

人間の死に興味をもつのは人間は死ぬとその人間について評価しやすいからである。
客観的に評価しやすいからである。
例えば羽柴秀吉は何を残したのか?
巨万の富を残しても何を残したのか?
それを問うとその人間の生きた人生は何だったのかとなる
それは死んでみてそう問いるのである。
生きている内は成功者として通るからである。
田から人間は巨万の富を残しても何かを残したとはならないのである。
その一つの例かもしれない,本物秀吉は違う,それは歴史的人物だからである。

ともかくどんな偉人でも理解できないと興味がないし親近感がないのである。
芸術作品でも理解できないと興味がなくなる,自分が理解しやすいと死んでも作品を残していたらそこからその人を偲ぶとなる
だから西部氏の本は読んだとしても理解しにくい,するとそこでもういくら有名でも関心がなくなるのである。ただ関心をもつ人はもつ,そして死後でも関心を長くもたれる人はやはり歴史的人物だったとなるのである。
実際はほとんどの人は消えてゆくからである。
死後何十年もして語られ人は本当にまれになる,これからは同世代が次々に死ぬからいちいち考えることもできなくなる,あの人も死んだのかあの人もかとなりただそれだけだとなる

でもこの人達は意外と早くしんだなと思う,高齢化社会では早いとなる
三島由紀夫も実は老人になることをものすごく恐れていた,それで若い肉体に鍛えみせびらかして死んだのである。
そして最後は英雄になろうとして自演して死んだ,それは演技だと思っていたがそれを現実に実行したので驚いたのである。
人間は時代の子でありとても英雄にはなれない,吉田松陰も明治に生まれて英雄にされたのである。ただ動乱の時代になると英雄が出やすいことは確かである。
これからそうなってゆくかもしれないから新たな時代の英雄が出るかもしれない

とにかく団塊の世代は死が身近である。大量死の時代になる,その数が多いから火葬場が不足する問題がすでにでている,団塊の世代は学校でも教室が数が多くて用意できないとかあった,それがここにきて火葬場もないとなったのである。

「あだし野の露消ゆるときなく」=化野の石仏には常に露が滴り
「鳥部山の煙立ち去らで」=鳥部野の山では煙が消える事がない
「住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。」=人間が永遠に生きるものだとしたら、いかに世の中はつまらないものだろう
「世は定めなきこそいみじけれ。」

鎌倉時代の徒然草に鳥部野と並び化野が人生の無常をあらわす枕詞に使われております。
こういう時代になってきた,津浪の死も大量死の無常だった,その霊は今も漂っている
そこになんらかの怪があっても不思議ではない,これだけの死があれば怨念か何なのか
漂っているとなる

タグ:自殺 西部邁
posted by 老鶯 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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