正月短歌十首(2)(万葉集の新年の歌)
(今年は穏やかな年になるのか?)
一輪の石に刻みぬ冬薔薇
新年や姉の遺影のほほえぬその自慢せし柱によりぬ
姉と母今な亡きしも我をなお家に見守年は明けにき
姉と母なおこの家にありにしや我を見守り離れざるかな
新しく兄の墓をし我建てぬここに安けく眠るべしかな
新玉の年や苦しき時過ぎて我が家にさらに幸を賜わむ
新玉の年の緒長く苦しき日過ぎて憩いぬ我が家なるかな
新年に満月光り穏やかに今年は明けぬつつがなきしも
あらたまの年は明けにき穏やかに神見守りて実りもあらむ
駅に立つ今年もここに成すべきの我にありなむゴミを拾いぬ
新玉の年に言ほぐすめらぎの日本の栄より増すべきを
笠女郎(かさのいらつめ)の大伴宿禰家持に贈れる歌二十四首
わが形見(かたみ)見つつ思(しの)はせあらたまの年(とし)の緒(を)長くわれも思(おも)はむ
新玉の年替えるまで相見ねば心もしのに思ほゆるかも(巻17ー3979)
新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)(巻20ー4516)大伴家持
笠女郎の歌はいい歌である。これが恋の歌だというときそれだけではないものがある
折口信夫が言っていたように恋とは乞うであり実は死者を思うことだったというのは深い見方である。
形見という時,万葉集時代など写真はなかったから物として残したものから死者を思っていた,今は遺影があり遺影から死者を偲ぶ
この意味を良くわからなかったが家族がみんな死んでただ偲ぶだけになったとき理解した
日本には正月の文化があった,それが希薄になったのはやはり農業から工業社会とか別な社会になった結果である。正月は晴れの日でありご馳走が食べられたとかあった
それも日頃美味いもの食べているからない,ただ年が変わるだけだとなった
なぜなら天皇でも大嘗祭とかあったように稲作文化と密接に結びついてあったからであるだから年の初めに豊作を祈るのが天皇であった,天皇は日本国の司祭でもあったからだ
神主でもあったからである。そういう役目があったのだか何か現代になるとその役割も喪失してきたのである。
ただ日本の文化の伝統ば言葉の中に残されていた,新玉でもそうでありそれは年を新たにして一年をはじめるということである。
ただ人間というのは人間の力だけではどうにもならない,今回の津浪や原発事故をそれをしらしめたのである。人間は神から離れてありえないのである。
いくら科学が発達しても人間には限界がありそこで神に祈るのである。
今年の新年は確かに雪がふった,ここではすぐに消えたが降ったことは降った
それが吉事(よごと)いいこなのか吉兆なのか?それは稲作と関係していたのである。
冬がかえって寒いと雪がふると豊作になるということが伝えられていたからである。
ともかく自分は介護から看取りからと一人で苦しかった,それは十年もつづいた
それで消耗した,でも何か今年は楽である。
死んだ人も今は笑っている,姉は陽気な人だったから今も笑っているという感じになる
それは遺影を見てそう思ったのである。
だから気が楽になったという感じになる,そして以前としてこの家を自分を見守っている感じになる
だから家というのは家族が死んでもいつづける場にもなる,墓はまた別でありそこに死者がいる感じにはならないのである。家には確かにいるという感覚になる
それでいつも姉が自慢していた柱のことを思い出すのである。
その柱が姉のようにも思えてくるのである。
だから家には重みがありそれは家が寝起きする箱ではない,そこに精神的なものが付与されているから違っている,物でも物が憑くとか物心とか物は単なる物ではない,精神的ものが付与される,それで親の使っていたものにもものが憑(つ)いているから簡単に投げられないとなる,一方でそういう物がついたものを投げることによって捨てることによって新しい生活がはじめられるという意見もあるのもわかる
いづつれにしろ自分はこの家を継ぎになうものとして生まれた,複雑ではあったが兄の墓も新しく建てて何か心安らかになった,死者と生者の関係はつづいている
だからそこに安らかな関係にならないと祟りになったりする
靖国神社の問題はまさに死者が靖(やす)らかに眠ってほしいとなっているがそれがなかなかそういうふうにならないことが問題なのである。
その死者の霊が靖らかでないことは危険にもなる,その霊が死者が戦争をまたはじめるマルスの霊,軍神とかになるからである。
国単位になるとそうした死者をどうするかはむずかしい問題になる
自分のように家単位だと死者も今は安らかになっているな,自分も安らかになったなという心境になる,そうならない家もありその家には暗雲がなおあり不気味な物の怪が出ているからもしれない,それが怖いのである。
成仏しない霊が荒御霊になってさまようとなるから怖いのである。
それは災いをもたらすからである。
天皇はすめらぎは日本の国の安寧とか豊作とか祈る司祭だった,でも明治維新からは軍神ともなったのである。だから批判もされる,ただ日本の伝統としてありそれも日本の文化だったとなる,だからいちがいに否定はできないのである。
あらたまの年の緒長くというのは誰でも思うことである。まず万葉集時代となると平均寿命は何才なのか?もう長く生きる人がまれなのだから年の緒を長くと祈るのはわかる
でも現代のような高齢化社会になるとあまりにも長生きになるとそれも成り立たなくなる早く逝かせてくださいと祈ることにもなるのである。
ともかく今年はスーパームーンで地震が起こるとか警告していた人があった,確かに東京で震度3の地震があったからないことはなかった
でも弱い地震だからたいしたことがなかったとなる
それより気候も穏やかであり今年は何かいい年になる,平安な年になるのではないか?
それは自分の気分とも関係してそうなる
皆様も良いお歳を・・・・・
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