年の暮(短歌十首)
(家とともに生きる人間の一生)
変わりやすかった今年の天候
大輪の白菊の映ゆ八畳の間姉の誇りし柱によりぬ
北風の唸り石垣反りにけり政宗ここに冬の月かな
北風の家にうなりぬ我今に主となりて守り住むかな
我が齢この家とあらむ北風の唸り吹きつも継ぎて生きなむ
我が母の面影石にしも宿りて見えむ冷える夜かな
我が街の駅の寒しも見送りぬ無人駅しも年の暮れなむ
誰を待つ我今日も駅に見送りつ年も暮れなむ
けたたまし鳥の飛びにつ風に舞い木の葉吹き飛ぶ今年も終わる
今年また荒々しくも時はすぐ夜のふけても北風唸る
志高くもあれな都築氏の齢の尽きて冬の星見ゆ
故郷に苦労したる女(ひと)もがな皺を帯びつつ北風唸る
今年は天候の変化が激しかった,それで体の調子を悪くした,熱射病になり体が震えたり吐いたり吐いたりもした,夏は紫外線が強くて昼間は外にも出れなかった
そして秋が短くまた急に冬が来て冷えたのである。
この天候も異常なのだろう。秋は長く感じたが短く急に冬になった
一年をふりかえると母が死んで三周忌とか姉が死んで8年とかなるけど残された家とともに死者を偲ぶ年でもあった
広い家でありそこに大輪の白菊が咲いているのにふさわしい
今や家に生きているのが自分である。
今年も仙台には一回しか行かないし半年以上相馬市にも行かなかった
家ですごすことが多かったのである。
プログの方は安定してきたので一カ月60とか記事を書いた,自分の場合一記事が長いから60となると相当な量になるのである。
それだけ余裕ができたともなる
何か政宗の青葉城は石垣の反りが急である。城も家であり今になって家の主となったのが自分だったのである。
この家に本当に住んだと感じたのも不思議である。この家の全体に住んだという感じはなかったのである。今は全体に自分一人で住んでいるから家と一体化しているのである。
姉が自慢した柱によるときもそうである。母の面影を庭の石にみるときもそうである。
だから死者は長年暮らした家にとどまっているというのを感じる
だからその家がなくなると死者も感じられるなくなるかもしれない
それから駅でボランティアしたことも成果だった,一時通報されて警官に職務質問されたり嫌なことがあった,その時駅に長くいたときだった
長くといっても買い物帰りにちょっと寄る程度だったのである。
その後はさらに短い時間しかいないからボランティアとも言えない
でも駅のことについてプログで書いたようにいろいろあったなと思う
何か別に誰かを待つというのではないが見知らぬ人が来て見送っていることが不思議なのである。そこが自分の一つの働く場になっていたというのも不思議である。
働くというのでもないが何かそこがworkingする場になっていた
無人駅には確かに別にそれでもまにあうのだが足りないものがあった
それを自分は何か多少でも補ったという感覚がある
この町に生きるものとして何か働くことがあったのかとも思う
それは誰も認めないものでもあったが自分は感じたのである。
都築詠一氏の部も作り書いただしばらく書いていなかった
なかなかふりかえることがしにくくなった
ただ10年間くらい毎日読んでいたからそれで死んだのに驚いた
同世代でもあり共感することが多かった
文学に造詣が深いのでめずらしいなとも思った
なかなか文学となると芸術となると語り合える人は少ないからである。
別に語ったわけではないがあれだけのものを書ける人はそうはいない
それが死んで心の青雲のプログも閉鎖されてログが消えたことは残念だった
そこにインターネットの問題があった
本を出していたらその本は残るからである。
一部は残っていたが消えたのもあり残念だった
いづれにしろ何か今年は天気のせいなのか?荒々しくすぎたという感じである。
荒々しいということは実際は自分が介護になってから津浪とか原発事故になってから荒々しいものとなっていたのである。それが今年も天気で継続されたとなる
木の葉が吹き飛ぶように今年も死んだ人がいる
無情迅速である。ただ自分も後何年生きるのかと数える年になった
それでも人生百年時代はとなると先が長いのか?
それとも80くらいで終わるのかわからない,あと十年生きればいいと自分では思っているそのくらいまでなら金もなんとか尽きることはないし健康でいられるのかとも思っているからである。
いづれにしろ介護になってから家とともに奮闘し生きたとなる
家というのは実際は人間にとって寝起きする箱ではない,精神的なものが付与されているだから家という建物と家にまつわる家族とか精神的な場でもあった
だから家と共に死んだ家族を偲んでいるのである。
そして家は大きい家でないと心も広くならない,狭くなってしまうのである。
人間にとって家の影響は大きいなとつくづく思った
だから浪江でも3000軒の家が壊されているとか飯館でもそうである。
それは家という建物だけではなくそこにある精神的なもの思い出とかも消失することがある,家のもっている重みは大きいのである。
日本では家はイエというとき単なる建物だけのも意味ではないからである。
あをによし 奈良の山なる 黒木もち造れる室(むろ)は 座(ま)せど飽かぬかも
〜聖武天皇 『万葉集』 巻8-1638
「 はだすすき 尾花 逆葺(さかふ)き 黒木もち 造れる室(むろ)は 万代(よろづよ)までに 」 巻8−1637 元正太政天皇
まさにこれを自分の家で感じた
奈良の山というとき故郷でありその木で作った室でありそこに住むと飽きないというのを感じる,そして万代までも住むとなる
常に姉誇れる柱我が家に寄りて頼もし北風唸る
この柱は橲原(じさばら)の木を使っているから万葉集の歌とにているのである。
そしてこの家の主となったのは家族がみな死んでからだったことに気づいた
家の主となるのとただ借りて住んでいるような感じとは違っていた
家全部をかたづけたり掃除したりしていると家の全部に眼を配らねばならないからである
その女性は苦労した,だから普通より老けて見える,その苦労を語る,でも問題は病院に金がかかったり仕事でも皿二三枚洗うのでも疲れたとかなり人を使うのはつくづく雇う方が大変だなと実感した
だから会社で人を雇いたくない機械化したいというのがわかる
雇う方の負担が人間の場合大きすぎるのである。福祉事業ではないからである。
ただ今の時代金がない人が多すぎる,それより金を何か自分からみると法事だとか病院でも無駄なものに使っているように見えるのである。
医者に通う金がかかりすぎるのである。
また本当に明日食べるものがないという貧乏ではなく贅沢のために貧乏している人も多いのである。そして借金している人も多いのである。
ともかく今年も終わった,比較的いい年だった,気力も体力も回復してきた年でもあった来年はどうなるのか?それほど変わりないのか?
創作の方に励むことができることは確かである。