2017年12月20日

丸森の春(詩と俳句)


丸森の春(詩と俳句)

丸森の全体的な写真

marumoriiii123.jpg

桜花夕日に映えて山の里

春の暮水面に夕日映えるかな

鶯や岸辺に鳴きつ日の暮れぬ

川岸の砂地に春の日碑の古りぬ

蛇行する流れや遠く春の暮

丸森に河口想うや春の暮

丸森の峠越え去る夕桜

(金山城)

山吹や峠を越えて丸森へ

木の根古り石垣残りシャガの花

橋渡り水面に秋の夕日影

川下りいわれの石や秋の暮

石の風呂栄し家や冬の暮


丸森の春

新地より峠を越えて丸森へ
広らかに流れる阿武隈川
その岸辺の砂地碑の古りぬ
春の日さして我がそぞろ歩めり

川は悠々と流れゆく
その長々とした川も遂にかなた
波立つ太平洋にそそぐかな
港に船や海にい出るも

金山城の石垣古りて残りぬ
伊達と相馬の攻めぎあい
城主も変わり境の城かな
蔵王はなおも厳しく雪に閉ざしぬ

流れの岸に謂われを語る岩々
船は下るや岸に鶯の鳴く
橋を渡りて丸森の街並
斉理屋敷の栄えし跡かな

丸森を去るやまた越ゆ峠かな
伊達と相馬の境かな
夕桜の色濃く心にしみぬ
我が通いし道の親しも

写真を見ればわかるけど丸森は地形的に景観的に魅力がある,山間を阿武隈川が流れてくる,その山の向こうに厳しく威厳のある蔵王が聳えている,春でも雪が厚くとおっている新地も景観的に海と山が迫りいい,丸森は阿武隈川と山々と蔵王が映えるから景観的にいい,新地の峠を越えると景観が一変するのである。

日本では川というと短いし船も行き来しないから川が景観として映えない
外国では川がなければそもそも文明すら起こらなかったのとは大違いなのである。
ラインは父なる河というときそうであり四大文明が大河から生まれたのでもそうである。川なくして文明もありえなかったのである。川が文明を作ったのである。

阿武隈川はそれなりに長いし大きい川としてある,だから丸森辺りでは舟下りがあり楽しめる,川では東北では阿武隈川とか北上川とか最上川がある
阿武隈川でも一応船運があって荒浜に出て江戸へ物資が運ばれた,でもそれほどでないから知られていない,阿武隈川とかでも途中船の通りにくい場所がありそこを工事したので有名になる,最上川だってそういう場所がある,日本の川は外国のように舟運に適していないのである。

ただ丸森辺りから川は広くなってすでに海が近くなっているのである。
丸森まで来ると海も近いなと感じる,でも亘理からでも河口まで自転車で行ったが遠い,相馬市から丸森までも自転車で行けばそれなりに遠い
でも自分は何度も丸森には行ったのである。
最近の発見では森の中へ入る川がありそれをさかのぼった処は秘境だった
そしてその森の中に入って出れなくなったのは恐怖だった
それだけ丸森は地名のごとく森が広く深いのである。杉林だけどその木材資源は江戸時代から豊富だった,それで米沢藩と伊達藩と相馬藩でその木材資源をめぐって争っていたのは有名である。

丸森は石でも有名であるがそこまで自分はわからない,丸森は地形的にまだわからないところがある。だからこそ森に入る川がありそこに秘境を発見したのである。
秘境は飯館村にもあった鹿島にも橲原(じさばら)を上った奥にある,そういう場所がまだこの辺ではあるし他でもあるから外からきたときそういう場所には入りにくいのである
ある地域を知るときたいだい常磐線とか六号線にそって行く,でも福島県は会津まで横断しないとその魅力がわらないのである。福島県はそれだけ広いかである。
ただ六号線にそって行くと行きやすいから自転車でも飯館村とか丸森の方へは行かない人が多いのである。
ただ最近は六号線を自転車で通れないから飯館村とか遠回りして行く人が増えた
でもあの八木沢峠を自転車で上るとなると辛い,電動自転車だと上れるからいいが人力となると容易ではない,そういう処があるので自転車旅行は問題なのである。

いづれにしろ自分は丸森へは何度も坂を越えて帰ってきた,それが記憶となっている
それは自転車で行き来したからそうなっているのである。
自転車だと坂が記憶に残りやすいのである。あそこを苦しいけど上ったなとかが記憶として残るのである。丸森はあの峠を境に景観が一変するからそれが魅力である。

丸森の秘境へ
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