常に変わる社会の人間や物の価値
(資本主義社会はその変化に対応するシステム?)
最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。ダーウイン
人間の価値は常に変動している,農業時代は力持ちが価値があった,だからどこの神社でも比べ石がありその石を持ち上げると一人前として認められた
米俵とかをかつぐことができないと一人前に認められないからだ
女性すら力持ちの方が嫁としていいとまでなった,美人でも農作業ができなければ役にたたないとなるからだ
大きな祭りの藁人形をかつげると一人前として認められたとかもある
それだけの力があれば大人の仲間入りできたのである。
だから農業時代の価値基準は力があることだったのである。
それは男女でもそうだったのである。女性も農家に嫁げば力仕事をしなければ勤まらないからである。
人間の価値は常に変わっている,明治時代になると福沢諭吉が「学問のすすめ」を書いた人間の価値は侍のように刀をさして武道にすぐれていればいいとはならなくなった
学問が立身出世になるから学問に励めとなったのである。
実際学校で勉強嫌いででも自分でもそうだが勉強できないものは力仕事を以前としてしなければならない,建築関係でも力仕事をさせられる,すると体力がないもの力持ちでないものは勤まらないのである。
だから自分は勉強嫌いであり社会のことがわからないで失敗した
なぜなら自分は体力がないのだから勉強して頭を働かす仕事をするほかなかったのであるそういう自覚が全くなかったのである。
自分は他の人と比べて体力がないのだから勉強して頭を使って生きるという自覚がもてなかったのである。
ともかく価値は常に変動している,職業でも前は繊維関係とか石炭関係とか花形産業であった,鉄道も国鉄時代では地方でも有力な就職先だったのである。
国鉄職員が多かった,それで社会党が国鉄の組合をバッグにして野党第一党となっていたのである。そして民営化したとき社会党の力もなくなり消失したのである。
産業自体の価値が時代によって技術革新によって変わるのである。
だから人間社会では変化に対応できないものは滅びるのである。
日本が経済大国になったのは電気製品などの製造業が世界一になり世界に売れた結果として経済成長して豊かになった,その時電器製品がテレビなどが日本の製品が一番すぐれていたからそうなったのである。今ではそういうテレビとか電器製品は韓国と中国とかと同等になり売れなくなった,自動車だけはまだ日本の製造産業を支えている
他は韓国でも中国でも追いつかれて東芝でもシャープでも売られているという時代になった
アメリカがなぜ世界を以前としてリードしているのか?
それは日本のような電器製品からITに移行したからである。インターネットなど通信とかコンピュターなどの技術革新をした結果とてして世界をリードしている
今度はAI化による技術革新時代に入るとまた人間の価値が変わる
常に人間はそうした技術変化がありすると社会自体も変わってしまう
今までの体制では会社でも生き残れなくなる,人間を見る価値観も変わる
新卒一括採用とかも変わる,会社を発展するにはどういう人間がいいのか価値があるのかという見方が変わるからである
今までのように人間を見ない,会社にだけ忠実なロボットのような人間はいらないとかともなる
価値が変わるというとき過去には塩が価値があり塩が経済の重要な産物であった,それで砂漠では塩と金が同等のものとして取引されていた
それだけ塩が価値があった,日本でもいたるところに塩の道があり塩が重要な産物だったのである。
でも今は塩などいくらでもあるし米ですら減反政策とかなり余ると価値のないものになるこうして価値が常に変動している
石油の値段が下がった→アメリカがシェール石油をとる技術を発明したため
ある会社が価値が上がった→何かの新技術を発明したから
ある会社の価値(株)が下がった→技術が停滞して遅れをとったため
会社の株がグローバルに上がったり下がったりしているのは価値の変動が常に起きているからである。それがグローバル資本主義のシステムなのである。
その他でもいろいろな要因が株は上がったり下がったりする
経済も変動する社会に合わせるからそうなるのである。
こうして変動する社会に対応するのが資本主義だからこそ矛盾していても生き残っているということになる
強い者が勝つのではなく適応するものが生き残るというのが資本主義社会の思想だから生き残っているのかとなる
職業でも地方では銀行員などが硬いものとしていい職場とされていた,でも地銀はもう役割がないとかなり証券会社の出先機関の役割しかないとかいづれはなくなるとか言われる銀行自体が事務などがAI化されて不用になり大量リストラに現実にされている
AI化で人間が不用になるのが四十パーセント以上日本であるというのも驚きである。
AI化で効率化されると人間の価値も変わり不用となりリストラされるのである。
そうして価値から考えるとき,みんな金に紙幣に価値があると思っている,でも金といっても紙は紙切れにすぎない,黄金ではないからだ,だから金は数字にすぎないというとき今ではそうである。だから突然その貯金の数字でもゼロになるという恐怖につきまとわれているのだ
それで現物で米俵を蔵に蓄えるとか黄金でもつとか土地をもつとかなったのである。
チューリップバブルではチューリップが異常な高値となり売買されたのである。
それはバブルだからそうなった,つまり金をもっていても金自体には価値がない
その金で買えるものに価値がある,だから投資というとき価値があるとういものに投資しているのである。だから投資先も常に変わることにもなる
それを見抜けば株式市場でもうけられるとなる
それには相当な知識が必要であり素人には無理だとなる
投資信託でもその基本的なことすら理解できないのが自分だったからである。
人間社会は常に価値が変わっている,原子力発電は福島の事故が起きる前は価値あるものだったのである。電気自体の価値は現代社会ではその価値は増大している
電気自動車でも膨大な電気を必要としている,ただ原子力は事故が起きてから中国でもソーラーパネルとか風力発電とかにシフトしている
だから突然に価値が急変することがありそれで株の暴落にもなるのである。
いづれにしろ資本主義社会では今や銀行であれタンス預金であれ金だけ蓄えていてもそれは紙にすぎない,数字にすぎないという感覚をもつ必要がある
金の価値も常に変動している,金をもっていたとしてもインフラになれば半分に価値が下がることもあるし文字通り紙屑にもなってしまうのである。
資本主義社会が投資から成り立っているというときそれは価値あるものが変化する
時代時代によって価値あるものを追及して投資して新しい分野を開きそこに富が生まれる
だからdarkness tigaで多国籍企業の価値は下がらないから株をもてと言っていることはそういうことかと理解する,株というのが投資というのが資本主義社会の基本にある
でもその資本主義社会でどう生きるかわからないのである。
銀行も間接投資会社でありやはり株式会社資本主義社会のシステムの中に作られていた
でも本来は間接投資より直接投資が本来の資本主義なのである。
ただ株のことが投資信託でもわからないから銀行がプロだと思ってまかせている
でも今や証券会社の出先機関が銀行なのかとなっているのである,だからもう必要ないと言われるのである。
これは常に価値が変わっているからそうな,銀行に金を預けていれば利子がつく時代が終わったとき銀行はもう必要ないとなる
だからそもそも銀行員でないにしろ銀行を利用する人も銀行の価値や見方を変えねばならないのである。一体銀行は何するところなのかとなる
それも時代の変化で価値が変わったくるからそうなる
その価値が変わることについていけないから銀行でも今までと同じように見ている
それで失敗するということがある
ただでは正直金をどうすればいいのか?資本主義がそういう仕組みでシステムで動いているということは理解しても現実にどうしてその資本主義のシステムで働いたり利益を得るのかとなるとなかなかわからないのである。
そして自分の場合は他にすることがあるからまかせる,でもその結果としてもうけることができず損するともなるのである。