盛岡短歌十首(秋から冬)
(盛岡は芸術都市:詩人の街(続)
盛岡は芸術都市:詩人の街
盛岡の城跡歩み静かかな紅葉に映えぬ岩手山見ゆ
盛岡の城跡に来て寒しかな散れる紅葉を踏みて帰りぬ
中津川岸辺のベンチ石により秋の日さして流れの音聞く
中津川は流れ静かに木の葉散り岸辺をそぞろ歩む人かな
盛岡の中津川の岸老木や秋の日のさしてそぞろ歩みぬ
盛岡に銀行古りぬ秋の薔薇咲きてあわれや街を歩みぬ
盛岡や朝の光りに紅葉映え流れ二筋街中流れぬ
盛岡の公園の池凍りけり城跡静か昔の跡かな
真向かいに迫り望みぬ岩手山雪にし寒し朝の盛岡
雪埋もる小岩井の森聞こゆるはしきりにたたく啄木の音
盛岡は街として東北では魅力がある,東北では街自体に魅力がある市は少ない,
盛岡は街としての魅力もあるし自然環境としてもいいのである。
岩手山があり北上川が流れ中津川が街中を流れている
それで落ち着くのである。城跡もありと城下町の雰囲気もある
そこに啄木と宮沢賢治が詩人が育ったのである。
それは盛岡という街があったからだともなる
田舎だけではそうした文化とかははぐくまれない
ヨーロッパでも中都市にフィレンツとか他でも文化が栄えたのである。
盛岡の雰囲気と仙台の雰囲気はかなり違う,盛岡はなにか鄙びたものとハイカラなものが混合している,それは戦前から明治からでもそうだったのである。
だから賢治みたいな詩人が生まれたのである。
鄙びたものとモダンなハイカラな文学を創造したからである。
それはやはり盛岡という街があったことも影響しているのである。
平泉は古都だとしてもそこにあるのは金色堂だけであり跡は大泉が池とかあるが街はない周りは田んぼだけなのである。だからみちのくの古都として偲ぶといっても金色堂だけだから淋しいとなる,後は北上川と田んぼを見るだけだともなるからだ
仙台も森の都といっても何か盛岡と比べると城下町としてもそうした雰囲気を感じないのである。
街には明かにそれぞれの雰囲気があり個性がある,だから何回も原町市だった,南相馬市の原町区と城があった相馬市が雰囲気が違うと書いてきた
それは外から来た人にはわかりにくいのである。
原町はいち早く明治以降原町機関区としていち早くモダンな近代化した街だったからである。
小岩井農場も牧場も近代的な農業として作られたのである。
それで賢治の「注文の多い料理店」という童話が作られたのである。
他でも街には個性があるが一回くらい行ってもわかりにくいのである。
仙台とか盛岡は近いからわかりやすいとなる,会津若松市は有名だけどあそこに城下町の雰囲気がそんなに感じない,なにか城から離れた所が田んぼになっていて虫が鳴いていたのが印象に残ったのも不思議である。
城下町として感じるものがそれぼとない,ただこれは人によって感じ方が違うから感じる人は感じる,自分が東北で一番魅力を感じるのは盛岡である。
あとは弘前市だけどそこは遠いからわかりにくいとなる
みちのくは平泉までだったというとき盛岡まで芭蕉も行っていないというときみちのくと言っても広いからそうなる,青森はみちのくとしても果てになるからだ
盛岡は仙台からも近いから身近なのである。
新幹線で今や仙台から五十分でありここから仙台へ行くより本当に早いのである。
だから新幹線で盛岡に行くと不思議になる,岩手山でもすぐ近くにあるように見えるから不思議である。新幹線は距離の感覚を変えるのである。
岩手県に盛岡がありそこに啄木とか賢治が生まれたのも育ったのもやはり環境が影響していたのである。詩人をはぐくむ街として盛岡があったともなる
仙台からだと詩人は生まれにくいだろう。ヨーロッパでもフィレンツにルネサンスが生まれたのはそれだけ文化を育む都市だったとなる
ただ一回くらい行ってもわからなかった
盛岡の城跡は石垣でも端正に感じる,平地にあり平城であり落ち着いた感じになる
城跡の雰囲気でも違っている,ただ盛岡の歴史となるとわからないことがある
仙台の青葉城とはまるで違った感じである。山城と平城の相違が大きいのである。
そして何か落ち着く平静の感覚になるのは城の石垣が幾何学的に整然として配置されているからである。ピラミッドを見ると落ち着くというときとにている感覚である。
東北では小高い丘とか山城系統が多い,白河城でも二本松城でもそうである。
会津は平城である。盛岡は城跡と街が調和している,北上川と中津川が街中を流れているのも情緒がある。心洗われる感覚になる
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