2017年12月08日

富岡八幡宮4人死傷の深層 (神社も寺も教会も聖なる場ではない)


富岡八幡宮4人死傷の深層

(神社も寺も教会も聖なる場ではない)

  瓦解する神社

神社本庁「恐怖政治」の実態、地方の大神社で全面戦争も

これは何なのだろうとなる,これは急激に起きた事件ではない,前からもめていたのである。
神社本庁と地方の神社の争いがあった,この神社本庁とは何なのか?
これは権力機構としての神社を統括するものだった
悪く言えば地方の神社から金を吸い上げる組織なのとかなる
暴力団の上納金のシステムなのかとなる

なぜなら跡目相続でもめているというとき神社本庁もその地方の神社の宮司になるために争うというからだ
天下り先として地方の神社に神社本庁の職員がなる
そして東日本震災で寄付された御料米が職員に配られていたというのもそうである。
利権化した団体でありただ上納金を吸い上げる本元が神社本庁なのかとなる

そもそも宗教は無形だったものが有形化資産となったときそれをめぐって争いが起きた
カトリックでは土地を所有することによって財産を築き腐敗した
土地をもつだけで相当な財産を所有したからである。それは日本でも寺領がありそこは治外法権のうよになり国のようになり僧侶が支配したのである。
その僧侶が武士になったという説もありえないことではない,なぜなら寺領を武力でも治めていたからである。

平安時代後半は社会が乱れ、強い勢力を持った寺社が自衛するようになり、所有する領地の治安維持や公家・武家・悪党・他の寺社などに対抗するため武装。

ヨーロッパでは騎士団が形成されたし十字軍もあるから宗教は戦闘集団としても形成されていたのである。
そういう歴史があるから権力争いが宗教でも起きてくる

明治維新のとき廃仏毀釈がなぜ起きたのか?それは江戸時代は寺が幕府から役所の一部のようにされ優遇されたからである。それで天皇がもちあげられたとき右が勢いづいて
廃仏毀釈が荒れ狂ったのである。これも宗教の権力争いだったのである。

宗教の争いというとき宗派の争いとかあるがその根底に利権をめぐる争いがある
人間は土地でも建物でも金でもなんでも財産となるものがあればそれをめぐって争いとなる,だから宗教の理想は何ももたない無一物なのである。
キリストやシャカは家もないしこの世に安んじて寝る場所すら確保できなかった
そんなことをまねする人など今はいないのである。

神社も一つの権力化したものとみることができる,神社の意義は何なのか?パワースポットとかとして今では重宝される
神社は土地と深く関係して生まれているからだ,それで津浪で神社が建っている,社がある所が津浪からまねがれたということで話題になったのである。
ここでも烏崎の八幡神社が津浪からすれすれで残ったというのもそうである。
ぴったり津浪の来る高さにあったということも不思議なのである。
そこに霊験があったともなる

神社が場所に関係しているというとき飯館村に山津見神社などもそうである。あの奥深い場所がそうなのである。佐須とは焼き畑地名であり狼は祭っているのは農作物を鹿とかイノシシとかに荒らされるから天敵の狼が神ともされたのである。

神社が場所と深く関係しているというときエレサレムを首都にするということでもめているがやはりそこが聖地だということで争っている
本当は聖地は常に移動している,聖地は常に汚されるからだ,そんなに争う場所に神はいたくないとなるからだ,だから今神は砂漠にその住処を求めたというのもわかる
今はヒマラヤ辺りが聖地となる


古代に度々都を移したのはそこが汚れてしまうからである。政争があったり何やかやと汚れる,平城宮でも呪いの木簡が発見されたりする,それで心機一転するために都を移したのである。それは古代だから移る未開の土地があったかからできたことである。
人間はただ常にフロンティア求めてきたのである。
日本だと北海道になる,そこで空気まで違っているからだ
そのフロンティアが世界的に消失したとき宇宙にフロンティアぁう求めるようにもなったのである。

いづれにしろ東京などに宗教の本部があるとしたらそれは政治化したものであり暴力団の本部と同じである。上納金を吸い上げるためのものでしかない
神社はもともと地域の土地に根ざしたものだとするとなぜ神社本庁に組み入れられるのかわからないからだ,ただ権力機構化して上納金を吸い上げる組織だとなる
ただ巨大組織は宗教でも共産主義国家でも中央集権となり中央に権力が集中されて管理されるようになる

神社でも寺でもカルト教団でもそこは組織化して権力化した団体である。
そういう所に本来の宗教はない,韓国系統のキリスト教団体とかエホバならアメリカ系の政治的団体として日本を支配するための出先機関なのかともなる
そこに自主性はないのである。
宗教をもとるなら組織とか団体とかに入るべきではない,教会にも行くべきではない
そこも組織であり組織的に人を支配するための団体だからである。

創価なども巨大な権力機構であり何をしようとしているのか?
それは権力でもって日本を支配しようとしている,宗教はその道具にすぎない
狙いは権力なのである。どんな人でも人を選ばず会員とするのは票として権力をもつためにそうしている,数を集めるためならどんなことでもするとなる
そして池田大作が死ぬと分裂して内部で権力争いになる
莫大な有形資産をもっているからである。その争奪戦になり分裂してゆく
それがかつて人間がしてきた繰り返しカルマだとなるのだ

何か宗教を看板にしている所はすでに汚れているのだ,だから神社でも寺でもキリスト教関係でもイスラムでもなんでも汚れた場所なのである。
だから奇妙なのはそういう場所に行くと心も汚れるのである。
だからかえって山岳宗教など迷信的だとかなるが山の気にふれて心を清めるのだから宗教施設などで祈るよりいいとなるのだ
まず都会にある宗教施設はもう宗教ではない,政治であり経済であり権力の場として機能しているだけである。

寺には行くな
神社には行くな
教会には行くな

どこに行けばいいのか?山を仰ぎ自然の気に触れた方がいいとなるのだ,そこにこそ神道がある,神がすみ心が浄化される真直になるのである。
posted by 老鶯 at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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