冬の日の故郷(写真俳句)
前畑を手入れす老人冬の菊
新築の家の隣に冬柳
冬日さし寄り合い並ぶ石残る
山茶花や石の残りて医院かな
この写真家から読み取れるのは何か?
この老人は前の畑だけど手押し車を押してきたのか?手押し車が脇に置いてあるからだ
前畑だからなんとか畑にして仕事しているのだろう。
前畑とか前田というのは家の前だから仕事しやすいのである。
それは姓にもなったのが日本である。後畑という地名も浪江にある
肉眼で見たときはこの車椅子は良く見えなかったしシャベルも良くみえなかった,写真にとると見えないものも写っているのだ
写生俳句が写俳が一つのジャンルを形成したのは時代である。
新築の家に冬柳がしだれているがそこはもともと古い農家であり新しい家はこの辺ではまだ建ち続けいるからこの辺の変化を示している
次にいつも通る路地裏の医院である。これはこの辺では知られていた,母も通っていた
このお医者さんは老人に親切だとかやさしいと言っていた
もう一人の医者はこの辺では有名だった,その話の出ないことはなかったのである。
でも口が悪く母は嫌っていたのである。
ただ医者としては優秀な人だったのである。
不思議なのは死んでから全く話をする人もいないのである。
一時息子が跡を継いでいたが原発事故で東京にもどり母親は施設に入りいなくなった
そういう家の変わりようが普通にある
この医院はいかにも作りからして古いし地域に親しまれた医院だということがわかる
その頃大きな病院は少なく開業医が多かったからである。
この空家となった医院を見ているとだから不思議である。
冬の日がさして庭には石が並んでいる,それがまるで年寄りが肩寄せ合って並んでいる感じに見える,開業医は人間的な所があ地域に土着して根ざしているのが違うのである。
大きな病院は無機質であり人間味がないのである。
そして勤務医と開業医ではかなり違う,開業医は地域の人と親しくならねばならない,そこでコミニケーションもしなければならないから違っている
この医院にはそうしたものが今でも感じるのである。
ともかくその後には人がいなくなっても何かが残る,近くの空き地には一本だけ松が残っている,それが近くでも誰が住んでいたかもわからないのが不思議なのである。
住む人もこの辺では変わった,だから外から来た人がかなり移り住んでいる
ただ人間は常に変わる,人でも何でも変わる,だからこうした変化は世の常だったのである。ただこの辺はその変化が激しすぎたのである。