冬の日(円墳-変わらぬものに価値がある)
枯菊や同じ道めぐりまた暮れぬ
冬の日や円墳ここに五つほど
五六個の円墳変わらず冬の暮
老人の住処(すみか)変わらず冬の暮
故郷の古墳変わらず冬の暮
また一つ墓を建てるや冬の雲
文を練る窓にのぞきぬ冬の月
冬薔薇駅に待つ人一人かな
同じよう道を毎日行く,ここ十年がそうだった,家族二人死んで一人になってからも
遠くには行っていない,何かまだ用があるからだ
今日は兄の墓を作ることで相談に行った,十万もしないで作れるので助かった
この墓作ればまた一仕事終わったともなる
何か実家とかなるとそうした仕事がある,だから長男は実家を守るものとして大事にされたことには意味があった,ただもはやそうした昔の家は消失した
結果として墓を守るものも跡継ぎもいなくなったのである。
そしてもうつくづく思うことは何度も書いたが人間は世の中が変わりすぎることである。現代は広域社会だから変わりやすいのである。
そして何か変わらないことはに価値があると思った
横手の円墳でも千五百年なのか変わらないとなれば驚異的だとなる
この辺は津浪とか原発事故でめまぐるしく変わったからである。
海の方に風車が二つできた,これも松原の景色からすると全く変化してしまった
もう昔を偲ぶものはない,右田の松原もないのである。
こんなに人間が変わるものか?
こうなると人間関係でも何でも変わらないものに価値がある
ここに変わらず木があり石があり家があり古墳があり人がいるとなるとそれが価値があり安心をもたらす,もうそれほど変化したのである。
実際もう変わりたくない,変わることに耐えられなくなっている,特に老人はそうなる
変わらずにあるということが何でもないようで価値がある
変わらずに住むことが価値がある
変わらないことで心も安定するのである。
もう新しい人間関係を作るのを老人に苦手である。
前からあるものが親しく変わらないことで精神の安定が得られるのである。