2006年11月24日
冬の日(石鰈)
石鰈会津へ送る冬の日に
冬の日や遠くに行けぬ暮らしかな
石鰈は冬が旬である。一般的には北の海でとれた魚がうまい、南の魚は色があざやかでも食べてはまずいものが多い、会津に送るのは会津の身知らず柿を送ってくる人がまだいるからだ。この人は戦友であるからまだ物を送ることで消息がわかる。でも実際は自分では送ることもできなくなっているのだ。会津ではこうした魚は食えないからありがたがられる。柿はいくらでもス−パ−で売っているのだ。今は何でも送ることができるから金さえあれば世界中のうまいものが食えるだろう。
ただ隣の市地五穀で作ったパンあるんだけどこれを毎日食いたくても自転車だと買いに行けない、やはり買い物も行動範囲を車がないと制限される。送ってもらうと確かに食べ物をなんでも食えるかもしれんが送料が高いから食べ物まで通販で買ったことはない、つまり車がないということは贅沢もできないのだ。それにしても今や近くにス−パ−があれば十分な贅沢である。昔の人は贅沢を言わない、食べ物で文句を言ったことはない、この前はチリから来た安い葡萄やら安い中国のほしいもやら食うものがありすぎて余ってしょうがないのである。今の時代食い物はどこでも余っている。白菜、レタスなどがとれすぎて廃棄処分になったりと食い物は過剰なのだ。
これが江戸時代になると飢餓があり悲惨だった。大金があっても近くで米を買う店もなかった。金がいくらあってもなんの価値もない、これは砂漠で旅行していてもし水がなかったらその水の価値は命だから金には変えられない価値となる。ものの価値は時代により場所によっても変わる。今の時代、近くより常に遠くとなってしまうのだ。でも近くで食料でもなんでも自給自足的にまにあわせていた時代は近くが協力する世界と必然的になっていた。なんでも近くで生活するほかないのだから近くの人が助け合うように経済的にもなっていたのだ。近くが生活だから飢饉になると近くでまにあわなくなるから悲惨な結果にもなったのである。
石鰈から考える文明の問題(資源は枯渇する)http://www.musubu.jp/jijimondai26.htm#ishi
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