なぜ心の青雲の都築詠一氏は昭和天皇を批判したのか?
(明治維新にその根があり光厳天皇を賛美することになった)
「心に青雲」の著者の都築詠一氏は右である。でも昭和天皇を常にこきおろしていた。
それはなぜなのか?昭和天皇には何か蓄財だとか民を思う心がなっかた
ただ一身上の保身のみがあり戦争についても責任があるのに責任逃れした
それで光厳天皇を賛美していた,ただ光厳天皇という人は知らなかった
南北朝の争いで自ら反省して最後は乞食までして隠棲して死んだ
だから昭和天皇もそうあるべきだとして常に批判していたのである。
天皇は自分の保身しかなく蓄財にのみ関心があり民のことは思っていなかった
何かそれが極端だからこれも右にしてはどういうことなのか?
それは左の人が言うならわかるが右の人がそれほどまでに言うことが理解できなかった
その根はどこにあったのか?
それは明治維新にあったのだ,明治維新が過度に賛美されたことは天皇賛美と天皇礼拝に通じる,天皇が現人神(あらひとしみ)になることに通じていたのである。
それで最近明治維新が見直されるというとき天皇も見直されるのである。
それは中国の文化革命のようなことも起きていた
神道派が力を得て廃仏毀釈になった,これは中国の文化革命とにている,イデオロギー闘争であり思想闘争である,これもまた宗教の争いのように見えて権力闘争にもなっている江戸時代は寺が優遇され神社はないがしろにされたとかその不満が宗教の争いとして噴出したとなる
天皇とは何かというとき常に政権争いの神輿としてもちあげられることがあった
天皇は本当は中立であらねばならない地位にあった,それで姓がなかったのである。
姓があるというこは平家なら平家に属することになる,源氏なら源氏に属することになるからだ。
宗教は権力争いにからんでいた,そもそも宗教は本願寺であれ比叡山であれそこが僧兵もいて城と同じだったのである。
だから信長は宗教なら中立を保て浅井氏とか一方につくなと警告していた
でもそれを破ったから比叡山は焼き討ちされ信長の容赦のない殺りくになったのである。それで寺院というのは権力に敵対するものだからそうなった
寺院には信長の前は職人でも仕えているしそこは一つの国を形成していたのである。
治外法権のような領土をもっていたのである。それはカトリックでもあったし宗教が権力を持ち集団化するとそうなる,今でもカルト教団はそういうことがある
宗教の名のもとに団結して権力をもち世俗社会を支配するのである
だから信長がそれを許せなかったのである。
天皇というのも明治維新で近代化にはそぐわない存在だったけど尊皇攘夷派によって薩摩長州によってもちあげられすぎたのである。
それは神がかりになりその後太平洋戦争に結びついたのである。
つまり明治維新から太平洋戦争は一連のものとしてあった
明治維新に太平洋戦争の種はまかれていたのである。
それで明治維新の明治の元勲とが呼ばれた人が批判されるようにもなった
そして「心の青雲」の著者の都築詠一氏は幕臣だった,だから薩摩長州の勢力に不満だったのである。天皇でも薩摩長州にもちあげられたから不満だった
幕臣は薩摩長州に恨みをもっていたのである。武士の出だった内村鑑三も幕臣だったから終始薩摩長州が権力をにぎったことで腐敗したことを常に批判していたのである。
何かこういうところに歴史の継続がある
権力争いで必ず恨みが残るのである。
天皇というのは何なのか?それがなぜ明治維新の時持ち上げられたのか?
それは水戸学派の天狗党など過激な思想となりイデオロギー闘争となり廃仏毀釈となり天皇絶対制を作り出した,それは近代化すること民主主義とは相反したものであったが無理やりそうさせられたのである。
都築詠一氏が昭和天皇をあれほど批判したのは明治維新も評価しないことに通じていた
そして光厳天皇に光を当てた,だから光厳天皇論は都築詠一の思想の骨格にある。
歴代の天皇で自らの過ちを認めた天皇はいないだろう,なぜなら昭和天皇でも現人神とされたのだから神が過ちを犯すことがないしまた敗れることもないからである。
だから昭和天皇は謝罪はしていない,ただ神ではない人間天皇を宣言しただけなのである
この考えは会津とかに共通したものだし東北でも薩摩長州に踏みにじられたから不満が今でも残っている,いづれにしろ光厳天皇が一人間に立ち返りその過ちを認めて隠棲して死んだということそれは日本ではまれなことだったのである。
ありえないことでもあったから都築詠一氏は共感したのである。
日本ではこれから天皇自体が問われ天皇制は維持できなくなるかもしれない,天皇に対する崇拝とかはなくなっているだろう。天皇をyoutubeで悪人だとこきおろしているから驚く,明治だったら戦争中だったら不敬罪になり警察に逮捕されて刑務所にぶちこまれる
警察権力が天皇を警護するものとしてもあるだ,菊の紋が警察の紋であることでもわかる警察権力と天皇は密接に結びついているのである。
天皇は常に権力と関係して存在したのである,だから南北朝の争いでは天皇が二人になり日本が二つに分裂してしまったのである。
天皇がお墨付きを与えて薩摩長州が官軍になった,それで靖国神社は薩摩長州の神社となったが西南戦争で長州の神社にもなった,そして山口県から首相が出るし今も出ているのはそういう支配構造が明治維新にできたからだとも言う人がいる
いづれにしろ都築詠一氏の遺したものは何なのか?それは死によって永遠に中断してしまった,ただ昭和天皇批判とか明治維新の見直しはなされるようになった
つまり天皇の宗教的権威がそがれてただの象徴となったときそうなった
日本に天皇が必要なのか?そういう議論までになるのはやはりそれだけ天皇というものの権威が落ちた現れなのである。
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