2017年11月07日

晩秋から冬(城の俳句十句) (城は季節でも周りの環境で印象が違ったものになる)


晩秋から冬(城の俳句十句)

(城は季節でも周りの環境で印象が違ったものになる)

wakayamaaa11.jpg

晩秋の熊本城や古木かな

和歌山城白壁に映ゆ朝の菊

晩秋にたずぬや大き彦根城

塩の道松本城や秋深む

足軽の長屋あわれや冬たずぬ

実りありここも一国秋田城

城外に虫の音あわれ会津かな

打ち曇り雪に暗しや鶴ヶ城

冬の日や老松残る盛岡城

二すじの冬の川流る盛岡城

弘前城雪に埋もれて門古りぬ

老梅の根を張り冬の弘前城

弘前の遠くや雪のしきり降る


長々と城の石段登りつつ白壁映ゆる秋の朝かな


標高約49mの虎伏山(とらふせやま)の上に建てられ白壁の天守閣の美しさから、別名「白亜(はくあ)城」、山の名前を取って「虎伏城」などとも呼ばれていました。

城は必ず旅したり観光すれば見る,その街の中心にある,城がわからないと歴史もわからないとなる,でも城がどういう印象が残るかというと城によって違う,それはその辺り景色とか季節によっても違う,今回は秋から冬の城である。

不思議なのはなぜ和歌山城が印象に一番残っていたのか?それは白亜の城というように白壁が映えることとその時季節が秋だったからである。秋に白壁が映えるからである。
それが鮮明な記憶となる,記憶として残っていた:それから石段が長く坂になっているのも記憶に残る,何か城というとき平城が多い,ここは平山城であり高い方の城だったからである。ただ城というのは全体を見るのがむずかしい,ここは天守閣が二つあったというのもわからなかった,事前にそうした知識がなかった
今はインターネットとかあるからそうした知識が得やすい

城といっても城だけではない周りの景色とか季節で印象が変わるのである。
熊本城をたずねたときは晩秋であり城の前の公園に太い古木があってそれが印象に残った彦根城はと大きな城だということが印象に残ったがここから琵琶湖が見えるのはわからなかった,ただここは関が原が近いから地理的に要衝だった

そんな松本城の特徴のひとつは、外壁に黒漆(くろうるし)を塗った「漆黒(しっこく)の城」であること。「これは、小笠原氏のあとに入城した石川数正・康長親子によるもので、豊臣秀吉の大阪城が黒で統一されていたことから、秀吉への忠誠のしるしと言われています」と林さん。それに対し、姫路城のように「白亜の城」は徳川家康の時代の城とされるそうです

そうなのか,秀吉時代の城だったのか?城というとたいがい白壁である。ここはだからめずらしい,松本は他に塩の道の終点として有名なのである。
相馬藩でも塩の道はあるがここは本当に日本海の糸魚川まで長いのであ。塩は牛で運ばれた,牛繋ぎ石などが市街に残っている,そういう観点からも松本を見ると違ってくる

新潟県の新発田城の足軽長屋は昔のままに残っている,これはまさに長屋である。長屋は庶民が暮らしていたのだからこれと同じだった,つまり長屋と武士の家の差が大きかったとなる,今はこの辺の市営住宅でも部屋数が三つとかあるがここでは一部屋くらいだったただこういうのは戦前でもあった。日本人はもともと狭い所で住んでいたのである。

会津の鶴が城は有名だが何か印象に残らない,平城だからかもしれない,何か特徴がない奇妙なのは城の外に田園風景が広がり晩秋に虫が鳴いていたことを記憶している
それは何を意味しているのか?会津だと白虎隊とかドラマ化されているけど庶民はそうした悲劇とは関係していないのである。かえって明治維新の時恨みをもっていた農民が一揆を起こしていたのである。会津の落城でも庶民には関係ないことでありそれで侍中心の
城があるところよりその北の喜多方が(きた)が商業で栄えたので蔵が多いのである。
どうしても旧来のものに縛られるから侍の街は新しい時代に適合できないからである。
ともかくただ冬になると毎日雪であり雪で暗かったという感じになる
雪国にはそういう暗さがどこにでもある

盛岡城は石垣だけであり中津川と北上川が流れて環境的にはいい,都会にしてはいい,
ただここの歴史は良くわからないが周りの環境がいいのである。
岩手山も見える,北上川がて流れているとか都会では景色に恵まれているのである。

建築年代を示す明確な資料はないが、いずれも江戸時代初期と考えられ、木部をあらわし古式を伝える遺構である。各門は、桝形ますがたを構成する土塁に囲まれ、雪を考慮してか下階の屋根をひときわ高く作るなど、配置や構造に工夫がなされている。

弘前城の城門は見るからに古い感じになる,雪を考慮していたというのも雪国らしい,弘前というとき青森は東北でもここからは東京より遠いという感覚になる
でも新幹線で近くなったこともある
青森は福島県からでも果ての国だという感覚になるのだ
弘前で見た雪は何か朝であり爽やかであり美しかった,雪の感覚は同じ雪でも相当に違っているのだ

心からしなのの雪に降られけり 一茶

この一句には一茶の深い思いがある,しなのの雪にふられるということはその土地に生まれて長く住んでその気候とともにあったからである。
そういう感想はその土地に住んだ人でないとわからないのである。気候の影響は人間には大きい,性格まで作る,雪国の人間が何か陰気になってしまうのもわかる
海に近いところは開放的になる,山国はどうしてもと閉ざされた感覚になるからだ
これは別に雪だけでなは,心からその土地になじめばそうなる,心(こころ)とはここのことでありここに長く住んだ人がもつのが心なのである。
それで原発事故で避難した人達はその心の場を失ったから悲劇だったのである。

しなのの雪に降られて一茶死ぬ

そこは終の住処でもあったからそうなる,人間は最後はみんなそうなってしまうのである。

青森の魅力は地の果てという感覚である。そこは冬には雪がしきりふり埋もれる,だから東北でも青森県は特殊の地理的環境にある,観光では魅力あるとなる
ともかく城というとき季節でも周りの環境でも違った印象をもつのである。
だから春とか秋とか二回くらい訪ねればいいとなる,たた全国になると城も多いからむずかしい,自分は恵まれたのでめぐり歩いていたのである。
今は何か旅行する気力がなくなったのである。

俳句という文芸は一句とかで鑑賞するのがむずかしい,短すぎるからだ,でもこうして城の俳句とかで十句とかを一つの作品として読むとそれなりに深い鑑賞ができる
これは一つのつながりがありそれで全国のつながりができるからである。
日本全国を一つのものとして見るのである。こういうことは現代はしやすいのである。
芭蕉の「奥の細道」が古典になったのはやはり一つのつながりとしたからでありその中に俳句があるからである。

今なら新幹線とかあれば何度も行けるということもある
だから季節ごとに行けばまた印象が変わるのである。
ただ問題は旅しても後で記憶に残るかが問題なのである。
自転車旅行を推奨したがこれもすべてだかいいとはならない,ともかく疲れるのでゆっくり鑑賞できないのである。電車で行けば体力的に余裕があるから見れるということもあるだから旅は電車でもいい,いろいろな手段ですればいい,でもそうなると自分のように一生が旅に費やされるとなってしまうのである。
それだけの時間が必要になるからである。そしてたちまちその旅も終わったとなる

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/181503796
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック