2017年11月04日

本の整理に苦労する (本が整理できないのではなく知識が整理できない)


本の整理に苦労する

(本が整理できないのではなく知識が整理できない)

本の整理に苦しむ,本はかさばる,本は重い,整理しにくい,本は物になっているから整理しにくい,読んだ本でも忘れている
なぜそうュのか?本は知識であり知識は物ではないが本だと物となっているから整理しにくいのだ
電子化すれば膨大な本が検索できることが効率的になる,それはインターネットでしている

ただインターネットには本のような専門家の詳しい知識は見つかりにくい,それなりに知識が膨大になっているが専門的な知識は本にある
ところが本は千冊あってもどこに何が書いてあるのかもわからない,ただ本屋の立ち読みのようにランダムに読んでいるとその数行がこれはいいとなり利用する引用するのである気ままにいろいろな本を全部ではなく拾い読みする,するとそこに新しい発見がある
新しい発見があるのはそれは読む方が発見するのであり読む方が引用できるとなると
読む方が独創的になっているからできる

本のあるページの数行からイメージをふくらませて自分なりの文を書いてゆくのである。10冊の本があるとしたらそれが歴史関係だったら世界史とか日本史とかに分類してまとめておいて拾い読みすると相互のつながりが生まれてくる,その時本が活きてくる
だから何かを調べるとか書くとするとき本はその分野のものが多く内容が濃いものだと
自ずと独創的なものが書けるのである。
それはAIのビッグデーターの手法なのである。膨大なデーターから探れば自ずと研究するには有利になるのである。

とにかく知識は膨大である。一生の間に読める本も限られている
千冊読んだとしても忘れるのがまた多いのである。
本でも内容が濃いものは何回も読む,何かあきずに読む,つまらない本はもう何回も読まない,とするともういらない本になっているのだ。
そういう本も多すぎるのである。何か自分は本の中味を読むより本を集めた蒐集家になっていた,本は物だから骨董品のように集めるという人間特有の真理は働く
本を買ったら知識が増えたような気になる,でも実際はそうはなっていなかった
知識は何か物ののように財産とはなりにくい,かつては本が希少価値があったからそうなっていた,今は本はそれほど希少価値がない,情報は本の外でも膨大になっているからだ
ただ本は全部読むのではなく一部分を読むのでも知識の吸収に効果がある
だからものを書くとしたら私設図書館のようなものが必要なのである。
書くときは必ず参考にする本があり知識があるからだ
本が整理できないというとき本ではなく知識が整理できないのである。
一冊の本を読むときでもそこに何が書いてあったのかも忘れているからだ
線を引いていても忘れているから読んだことにもならなかったのである。

本に埋もれてしまったが実際は膨大な知識を消化できなかったのである。
それで本に書かれたものも忘れたとなる
知識も無限だから何かしら消化する必要がある,でもその知識も一部にとどまるのである消化するということは自分なりに自分の体で消化して栄養分にすることである。
ただその栄養となるものも知識の場合は知識の世界にしたらほんの一部だとなる
いろいろ本を買ってもそれを理解する方がむずかしいからそうなる

ただ知識を整理するというとき例えば物だったら四角のものは四角とか丸いものは丸いものとか同じ種類のものを集めて整理する,知識はなかなかそうはいかない,全然関連しないようで知識はみんな関連しているところがある
そういうふうに知識の組み合わせは無限なのである。
だから知識は創造的に利用することがむずかしい,整理もできないのである。

自分の場合は詩に関したもの短歌とか俳句に関連したものとか文学関係は集めた
アマゾンの古本で安いから買い集めた,これはいい方法である。
詩を書くとしたらやはり参考とするものが多いといいのである。
詩は詩でみんな関連しているからである。
最近集めたのは原発関係とか津浪関係であった,これもみんな読み理解すると容易ではない,第一これらは知識として追及していないかったから今になり追及するとなるとむずかしくなる,知識はやはり積み重ねだからそうなるのである。

新しい知識は吸収しにくくなる,若いときからテーマをもって積み重ねたものは理解しやすいが新しいものとなる理解しにくくなるのである。
だからAIとかでてくると理解しにくくなる,新しい機械も操作しにくくなる
それで新しい電気製品を買ったが使いなのが多くなり失敗したのである。
使い慣れたものは使い安いが新しいものは使いにくい
パソコンのソフトでもそうである。これは多機能だから新しいソフトは使いにくいのである。それがいいものでも使いないのである。

情報化社会とか知識社会になってくるのはコンピュターが一般化したとき予想されていたのである,自分はワープロで富士通の親指シフトを使っていたから今も使っている
これで文章が早く打ちやすいから書いている
ローマ字シフトだと遅くなり文章を書くのが嫌になるからだ
知識社会になるとあまり暗記とかは重要でなくなる,創造性とか考えることが大事になる
そのためには暗記中心の教育は受験などは知識社会には適合できなくなる

なぜならAI化すると機械のやれることと人間のやれることが区別されるからである。
翻訳などは相当に進歩したことでもわかる,機械の方が優れてるのである。
それはどういうことなのか?人間にしかできないこと創造することがより重要になるのである。創造することは子供のときからしていなとできない
才能があるないという前に暗記だけの教育ではもう知識情報社会には適合できないからだ今のアナログ的な教育は前時代的なものになっているし変わらることが望まれているのだ暗記中心の教育はAI時代には取り残されてしまうのである。
だから考える訓練を子供のときからしている必要がある
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