2017年11月03日

もらっていい金とそうでない金がある (金もカルマとなり後で苦しむ人がいる)


もらっていい金とそうでない金がある

(金もカルマとなり後で苦しむ人がいる)

金に人々の感情がこもりカルマとなる (親の因果は子に報うはさけられないカルマである。)

金はもらっていい金ともらってはいけない金が確かにある
もらってはいけない金はそれがカルマになりあとで悪い影響がでてくる
自分の経験では自分がもらったのではないが親が交渉でもらった金はもらうべきではない金だった
それは人の不幸によってもたらさこれた金だったからである。
交通事故で死んだ結果もたらされた金だったからである。

その金をめぐってもめた,そのとき弁護士を頼んだが弁護士は何もしなかった
百万払ったが何もしなかった、実際に交渉したのは保険会社の人だった
結局弁護士は漁夫の利を得たのである。実際に本当に何もしない,交渉すらしない、裁判にもならなかったからである。となると一体弁護士はそんな金を受け取っていいのかとなる?
それは悪い金でありそれがカルマとなる、弁護士は何かそうしした紛争になるときにかかわる
だから弁護士という職業もなにかブラックなものとなりやすいかもしれない。

それはどこにでもある,医者でも金持ちから礼金をもらうことは普通にあるし普通に良くしてもらいたいと金を払うことがある、第一医者になるには莫大な金がかかる、だからこそ医者は跡を継がせるために金が必要となる医者は今やいらない薬を与えたりいろいろと患者に無駄な金を使わせる、子供に跡を継がせるだけに金を使うとかなるのもどうかなと思う
なぜなら医者に向いていないものもいるからだ、そうした人も無理やり医者にするのは社会にとっても良くない、それは政治家にも言える、二世議員が多くなるのとにている、職業の適正はそこで損なわれ社会にとっても歪めたものになる
そうしてもうけた金がいいものかどうか疑問になる、医者は仁術だというとき何か人助けがありそうなったが今は医者は算術なのである。あらゆるものがそうなっているから医者だけには言えないがそれで社会が歪んだものとなってしまったのである。

ともかく金はすべていいものではない,何か怖いものがあるのだ、でも人は自分でもそうだが金はあればあるほどいいものだと思っているのだ。金があればこしたことがないしなければいいことはない
現実社会ではそうである。だから金をいらないとか否定しにくいのである。
でも明らかにもらってはならない金はある、人を殺してまで得た金だったらもうそれは恐ろしいカルマとなってゆくだろう。
百万でも拾った金だとそれもどういう金かわからないから危険がある
得たいの知れない金だからである。

例えば株でもうけるというのは資本主義社会では容認される、だから悪いとはならない、でもそれが巨額になると何か悪魔的になる、現実に資本主義社会では極少数のものに巨額の金が流れている、それで世界を支配しているのはそうした金持ちだという陰謀論になるのである。
その金はどうして得られたのか?ただ株に投資して得られた、一方で汗水垂らしてわずかの金を稼いでいる人もいる、それが社会の大半である。そしてグローバル社会では貧乏な国が富裕な国のために低賃金で働かせるとかなりそれが国のカルマともなる
カルマは国だけではない組織とか団体にもカルマとなる、会社でもそうである。
カルト宗教団体でもそうである。そういうところに属しているだけでカルマとなっている
おかしなのはそういう団体に属しているからこそ救われるとか成仏する信じている人たちがいる
でもいづれはそれがカルマとなりその悪が暴かれるときがくる、その責任が問われる
責任が必ず問われる、カルマとは責任のことだからである。
団体にいればみんなでいるから安心だと思っていてもいづれは一人一人がその責任を問われる
みんなが入っているからいいものなんだよとはならないのである。

原発事故でもそうだった、これほど重い責任があるとは思っていなかったろう、原発を金のために誘致した
地元の人たちもそうである。それを運営した政府とか東電とかでもそうである。そこにはあまりにも大きな責任が課せられていたのである。その責任はとらされるが政府でも官僚でも東電の幹部でもとっていないのである。でも誰かが責任をとらされるのである。責任をとらされたのは地元の人だったのである。
空気も水も土地も放射能で汚染されて住めなくなったからである。遺伝子も傷つき子孫すら残せないとかなったからである。
責任は必ず責任があった人がとらされるとは限らない、全然責任もない関係もない人だってその被害を受ける
人間は責任から逃れられないようにできているのである。

ただ地元の人でも金になればいいと政府と東電からも金を受け取ってきたのである。
だからそうした金はカルマとなり事故となり責任が問われた、そして地元の人たちも責任を言われる
お前たちは恩恵を受けていたのだから責任をとれとなるのである。
つまり金ならなんでもいいとはならないのである。
でももう金ならなんでもいいとなるのが今の社会である。
つまりもらっていい金ともらってはならない金があることは確かなのである。
そこに金の怖さが隠されているのである。

この辺では今は船主が批判の矢面にたたされている,原発事故前から補償金で潤っていたからである。
事故後も船主には一番補償金が手厚いのである。だからいち早く立派な家を建てたのは船主だったとなる
でもまわりの人たちは良く思っていない、それは事故前もそうだったのである。
みんなが船主ではないからである。
金をもらっているときは漁業関係者はもらって当然の金だと思っていたのである。
それは海が汚されたら魚も売れなくなるからだ、そのときは周りでも文句も言えないのである。
それは当然の権利だったからである。でもその金はいいものではないもらってはならない金でもあった
だからこそ今になると批判されるのである。

金はともかくなんでもいい、悪い金もいい金もないとかありえないのである。
もらってはならない金は確かにある、それがカルマとなり後で苦しむことになる
それは自分がもらわなくても親がもらっていたりしたらそのカルマを受ける、自分がそうだったともなる
別に親が不正してもらった金ではないにしろ何かそういうものが一部あったことは確かである。
自分もは恩恵を受けているのだから金は怖いものがあると感じたのである。

でもこんなふうに金に敏感になったら金はたまらないだろう、どうしても貧乏になる
金そのものが不潔なものになり金に触れたくないともなる、そうしてインドの修行者は暮らしている人がいる
金をいちいちそうして悪い金だといい金だとか区別しにくいからである。
小さい金はそういうことはない、大きな金になるとそうなりやすい、遺産関係などがそうである。
だから必ずもめるのである。
そんな大きな金をあなただけがもらう権利があるのか?
それもそうなのである。だから親がどうして遺産を残したのかも問題になるのである。
自分の遺産は親が店をやったりこつこつ働いたものである。でも母は年金を一銭も払わないのに月3万もらい
60歳から百歳まで40年間もらって一千万以上になっていたのである。その金は一銭も使わなかったがその大半は盗まれたともなる,だからこれも何なのだったとなる
それはもともと国の金でありみんなが働いて出した金ともなるからだ

ともかく金はもらっていい金ともらってはならない金がある、これは間違いない、でもそんなことをいちいち考える人はいない、でもそうでも後でそれがカルマとなり親でなくても子とかそのほかの人を苦しめることがあるのだ、濡れ手で粟のように入ってくる金はいいものではないのかもしれない、そこには呪いが隠されているかもしれない、そこに金の怖さがある
ただカルマはつぐづくある、その人は子供のために使う金を親が使っていた、今度は子供が親になったときやはり子供のために使う金を親が使うようになったのである。何か間違いなくカルマとは人間が繰り返される業なのである。
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