常磐線俳句十句
(新地-相馬-鹿島-原町-小高-浪江-いわき)
原町 相馬市
(新地駅)
暑き日や新地に海見え道しるべ
新地町海風そよぎ沙羅の花
金華山駅より見えてて夏の海
駅に見ゆ雪の蔵王や境かな
(相馬市)
城下町夕暮れあわれ藤の花
(鹿島)
田舎町草むら深く月見草
田舎駅待つ時あれや合歓の花
(原町)
ひまわりや原町機関区電車来る
(小高)
街道の道の辺の碑や草萌ゆる
(浪江)
大堀の左馬茶碗と柿なりぬ
(末続駅)
畑に人末続駅や菖蒲かな
(いわき)
なでしこやいわきの海の朝明けぬ
静心相馬の城下長々と藤の花垂れ暮れてゆくかな
何かその村であれ町であれ市であれその雰囲気にふさわしいものがある,花でもそうである。
相馬市というと中村神社の藤の花が印象的になる,相馬市の不思議は何かしんみりとする街なのである。そのことは何回も書いた,城下町の雰囲気が一応あるとなる
原町(原ノ町駅)はもともといわき市は平機関区があり原ノ町機関区があり大きな駅だったのである。だからこそ原ノ町は近代化して発展した,無線塔も建ったり相馬市の城下町より発展したのである。駅前通りがにぎわったのもそのためである。
相馬市は街が駅前通りではなくもともと城下町のままだったのである。
だから今でも細い路次が碁盤の目のようになって残っている
城下町だったところは近代化したとき発展しにくくかった,それは外国でも歴史区がありそこはもともと古い場所である。その周りが近代化したビルの立ち並ぶ都市として発展した,会津でも会津の北にある喜多(北)方が商業が発展してあれだけの蔵が建ったのである会津の城のあるところは侍の街だから商業に向いていなかったのである。
駅には市町村でも何か他と違った特徴がある,それはやはりその土地土地によって違ったものが歴史的に作られているからである。
特に地形が変わるとそうなりやすい,これは歴史がわからなくても峠を越えたり海が見えたりするとその土地の変化が肌で感じる
関が原では必ず春でも雪が残っている,その関が原を出ると近江となり何か景色がなごむとういかおだやかに感じて春の山々が見えた
仙台と山形の境の面白山トンネルをぬけると春でも山には雪が残っているから山国を感じる,そういう地形的境が節目となる
新地は宮城県の伊達藩に属していたが外から来た人は常磐線に乗った来た人はそんなに変化を感じない,でも地形的には一番海に近い,だから駅が津浪で流されて新しく高くなったので牡鹿半島とか金華山が駅から見えるのである。
新地の特徴は海が近く山が迫っていることである。
陸前浜街道があるが小高辺りで碑がありその時は草もえる時期だった,相馬から小高まで来るとそれなりに遠いなとなる,浪江は相馬焼を庶民化した大堀があったが原発事故で消失した,でも水戸黄門で左馬茶碗のことをドラマ化したのは面白かった
庶民化した茶碗であり走り駒というのを描いてはならないものだったのである。
相馬藩御用の窯が相馬市の城下にあり田代家が受け継いでいたからである。
こうして何か市町村には駅々でも特徴がある,ただ外から来るとこういうのはわかりにくいのである。
いわきは古殿から峠を下り海に出てテントを張りとまった,その朝になでしこが咲いていたのである。だからなでしこが何かいわきにふさわしいとなった
その場にふさわしい花がある,それは人によっても感じ方が違ってくる
また旅の仕方でもそうである。古殿から御斎所街道を下って遠野を通りいわきの海に出たからこそ一段と海を感じる,山から海へと何か解放感を味わうのである。
何か自分は今は介護十年して旅はしていない,でもこれだけ旅すると旅しなくても旅しているのである。これも不思議だとなる,旅は意外と後から思い出す旅が大事になる
いかに記憶をたどってゆくかが大事になる
人間は最後は旅でもそうだが記憶だけになる,記憶をたどるのが老人だとなってしまうのである。だからこそ原発事故で避難した人は故郷を失った人達はその記憶の場を失ったから悲劇だったのである。
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