2017年10月21日

ベーシックインカムに自分は賛成 (嫌々ながら仕事している人が多すぎる)


ベーシックインカムに自分は賛成

(嫌々ながら仕事している人が多すぎる)



ネットがざわついた「ベーシックインカム」に希望はあるのか?


希望の党がベーシックインカムを一応実施するのは別にして取り上げただけでもやはり先進的なことかもしれない,そんなもの空理空論であり馬鹿げているというので取り上げることもしなかったからである。
それは全くの理想論でありとるにたらない空想にすぎないとなっていたからである。

でも現代のゆきづまり社会の変化に対応できるものとして今とりあげられている
現実にスイスとか小国では実施されているのである。
これも賛否両論がある
例えば武田邦彦氏などは反対している,それは彼がエリートであり底辺層のことを知らないからである。底辺で働いたこともないからである。

自分は若い時は流れ作業とか底辺の仕事しかしていない,大学のアルバイトでも底辺の仕事,肉体労働しかしていない,武田氏くらいの東大卒のレベルだと家庭教師でかせげる
要するにこの世にそうしたエリートは少ない,みんな俺たちは社蓄なんだ奴隷なんだとなっているのが普通である。働くことでもそう感じているのである。
働くこと自体に生きがいを感じていないのである。

自分はそうした底辺労働,流れ作業などばかりしていて完全に労働意欲を失った
それはロボットと同じ仕事だからである。三流大学でも出ているのにそんな仕事しかしたことがない,だから社会からドロップアウトすることになった
その後はこれも実に不思議なのだけど仕事していない,それも老人になるまで仕事はしていない,稼いでもいない,旅ばかりしていたともなる
そういうことが許される環境にあったからそうなっていたのである。

それも自分には自分にあった仕事が与えられない得られないということにあった
そういう人の方が世の中の大半なのである。
だから奴隷なんだ,社蓄なんだと言うことになる

だからAIとかロボット化は人間にとって悪いものではない,誰も流れ作業などしたくないのである。一つのネジをボタンをひたすら組たてる仕事に生きがいを見いだせないのである。家だったら大工でも一人で家を請け負い作った人がいる
そうできる人はやはり大工として生きがいを感じるのである。
農業も金になちらないとかいうけど生きがいを感じる仕事なのである。

だから知っている人は趣味なのだが小さい畑で仕事していることに生きがいを感じているしそれがその人の価値になっている,何もしなければその人の価値がなくなるからだ
ただ金にならないというだけでその人に不本意な仕事をすると奴隷だ,社蓄だとなる
今そんなことができるのは家事自体仕事がなくなっている
機械化しているしもう買ってなんでもできる,この前けんちん汁の材料が売っていた,汁もついていた,肉を入れて簡単にできた,それがうまかったのである。
これには野菜が入っているから自分は好きだったが食べることができなかったができたのでうれしかった,家事は一人暮らしでも困らないのである。
だからその人はただ話し相手とかにきて畑のことを話すのが仕事だともなる
家事の仕事は皿に二三枚洗うだけだから必要ないからである。

これはAI化すればますますそうっなってくる,人間から仕事がなくなってくるのだ
すると人間が何をするのかということになる,知的な分野でもそうなる
ビッグデーターは素人でも学者になりうる,古代史関係で自分はそれを利用した
ビッグデーターになると膨大な地方史や古代の情報をキーワードから調べると見えてくるものがあったので書いた
ビッグデーターから自ずと見えてくるものがある
そういう利用の仕方は図書館でも何でもできなかった
今は本も古本だと安いからボタン一つ押して本を集めビッグデーターとのように活用しているのである。

そういうふうにAI化で社会も変わってくるのである,それに適応するには時間がかかるがベーシックインカムを将来の政策として検討したことには意味がある
そしてオリンピックなどは今の時代にもう何のためにしているかもわからないものとなった,今までは何か世界的に意味があるものとして行われていたが今はその必要性がなくなってきたのである。
だから時代と共に人間の社会は変わりそれに適応してゆく政策も必要になる

ベーシックインカムはいろいろ問題があるしそんなこと実現しえようがないというのもわかる,誰も働かなくなる怠け者になり遊ぶだけの人間になる
それもありうる,でも働く人は働く,なぜなら退職した人がいかに働きたいか?
それでボランティアを探してしていることでもわかる
ボランティアは金をもらうためではない,生きがいのためにしているからである。
まさにその時こそ人間は働いているのだ。自由意志でボランティアで働いているのであるそれはベーシックインカムを実現していると同じなのである。
退職して金に余裕があるから時間にも余裕があるからできるからである。

だから豊かになればベーシックインカムが架空のことではない,現実味を帯びてくるのである。全く荒唐無稽なことでもない,現実に退職した老人がそれを実行しているではないかともなるからだ。
自分のしていることもそうである。プログで書いていることはボランティアであり何の収入も得られないけど生きがいを感じるかからしているとなる
芸術的創造とか人間は創造的行為となると無料でも金をはらってでもしたいのである。
つまりそれが極めて人間的なことなのである。
画家でもなんでも芸術を追及するとき絵が売れないとか金にならないとかなる人が多いからである。そんなことを関係なく創造を追及できるのがベーシックインカムとなるからだこの理想もまた現実でくじけたりすることはある,でも現実的にそういう条件が調ってきたとき実行してもいいとなる。そういう環境がAI化などで調いつつあるからこそ今や空理空論でもなくなりつつあることは知るべきだろう。

posted by 老鶯 at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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