只見線の旅
(会津柳津町の人口減少がひどい)
柳津町の2008年〜2012年における赤ちゃんの出生数は、年平均で23人。人口千人当たりでは5.8人(全国平均8.4人)となり、全国の1,741市区町村中1349番目。同期間の1人の女性が生涯に産む平均子供数を推計した合計特殊出生率では1.48で836番目。
テレビで柳津町が人口が減ってさびれていると報道があった,柳津町は福満虚空蔵尊圓蔵寺で有名である。だから最盛期で4500人でありここ15年で1000人減った
この減少は町全体に相当に影響する,次の世代も子供もわずかしか生まれていない
若者は流出してゆく,40パーセンとの高齢化率である。
この辺は原発事故で35パーセントとかの高齢化率になったのは小高が避難区域になり若い人が流出したからである。
会津は原発事故の影響はほとんどなかった,ただ福島県ということで風評被害はあった
それにしてもこの数字から見ると危機的状態にある,もともと人口が少ない,それにさらに減少してゆく,すると町を維持できるのか?
深刻な状態である。やがて限界集落化してゆく,町自体を維持できなくなる
これが深刻なのは次の世代の子供も生まれないから跡継ぎがいなくなる
老人だけの村になり跡を継ぐ子供も生まれないのである。
限界集落に向かっているという恐怖である。
やがては町自体が消滅してゆくという近未来が見えることなのである。
山間参観地域は会津はほとんど過疎地域になっている,阿武隈高原地域も過疎地域になっている,原発事故でそれに拍車をかけた,飯館村では蕨平に40軒あった農家が一軒しか帰らないとかもう村が維持できるのかともなる
浪江でもこれから帰ってくる人がいるのかというと疑問である。
もう町として維持できない状態になっている
この辺は原発事故のためだったが会津は関係なく過疎化していたのである。
それは全国的に起きてくるこれからの日本の未来なのである。
怖いのは減り始めた人口がさらに減ってゆく,負のスパイラルに入ってゆく,若い人はますます流出するし子供を産む世代も極端に減っているのである。
最後に残るのは老人だけでありまさに限界集落となり町時代が消失してゆく
そうなったのが原発事故の避難区域である。
そこには老人だけが帰り若い人は帰らず流出したからである。
これからの恐怖はこうして人口減少して負のスパイラルに全国の市町村が陥ってゆくことである。それに先駆けてこの辺が原発事故でそうなった,津浪の被害地域でもそういう現象が起きている,若い人が流出して復興できないのである。
浜通り地域は仙台が近いから仙台とつながり高速もできたし鉄道も廃止されることはない工事関係者が増えて前の三倍に増えたというときまだそういう効果がある
只見線に乗ったけど比較するとあまりにも違う,一両の電車であり常磐線は一時間おきには出ているが
豪雨災害で不通に それから約6年
JR東日本は2017年6月19日(月)、福島県と「只見線(会津川口〜只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」を締結。同県が鉄道施設や土地を保有し、JR東日本が列車の運行を担う「上下分離方式」で、復旧させる方針であることを発表しました。
只見線は、磐越西線の会津若松駅(福島県会津若松市)と上越線の小出駅(新潟県魚沼市)を結ぶ135.2kmの路線です。このうち会津川口〜只見間27.6kmは、2011(平成23)年7月の豪雨被害により橋梁が流出するなどして不通になっており、バスによる代行輸送が続けられています。
JR東日本が会津川口〜只見間を鉄道で復旧します。工事費総額約81億円の負担割合は、福島県が3分の2、JR東日本が3分の1です
それにしても工事費が81億円というのは驚く,この辺で津浪で流された常磐線が5年過ぎて復旧したが400億円だった,鉄道はこのように金がかかるのである。
復旧しても保線とかにも金がかかる,駅にいるとしょっちゅう駅や線路や電気関係など点検しているからである。
県で三分の二とか金をだすから復旧できる,でもバスだったら金がかからない,もう鉄道を維持することはそれだけ大変なのである。
ただ鉄道がないと観光面とかでもさらに町でもさびれてゆくのが問題なのである。
只見町には雪祭のとき一泊した,柳津町には粟泡饅頭をもらって食べた
粟とかは山国らしい食料である。檜枝岐などでは米は食べられず蕎麦が主食になっていたあそこは前は本当に秘境だったからである。今はかえって尾瀬に来る人がいるからにぎわっているのである。
只見町雪に埋もれて遠きかな一夜泊まりて雪踏み去りぬ
只見町には雪祭りの時,一夜泊まった,秋にも泊まったことがある
その只見町から小出に行く車両は一両だったのである。
あれでは鉄道を維持すること自体が容易ではない
会津から小出まで自転車で行ったこともある,そして小出町の前を流れている魚野川でとれた鮎を食堂で食べたことを覚えている,とれたてなのでうまかった,それも安かったのである。鮎はもう新鮮なものを食べられない,久慈川では鮎がとれるがそこから鮎を買ってきてもらったがやはり冷蔵庫などに保存しておくのでうまくなかったのでがっかりした
魚野川釣りする人の映えにけり一両の電車来たりて去りぬ
魚野川夕べ岸辺に待宵草一両の電車只見より来る
只見線は生活路線としては維持しにくいが観光路線としては魅力がある。
ともかく旅というのは旅がはじまる前に計画を練るときから次に実際に旅しているときと意外と見逃されているのが旅の後に回想する旅があることなのである。
その回想する旅をするには記憶する旅をしないとできないのである。
団体旅行した人はどこに行ったかもわからないと言っていた
旅というのは意外と記憶することが大事なのである。
豪華客船の旅のことをテレビで写していたがあれは旅ではない,贅沢なホテルに泊まると同じである。
旅というのは今はそうしてなくなった,だから旅人も現代ではいないのである。
旅とは江戸時代のように歩いて旅するときあった,電車より自転車がそして歩くことが旅になるのだ。車とかバイクでも早すぎるのである。通りすぎる旅になってしまうのである
そうなると相当に時間をかけないとできない,勤め人はできないとなるのだ
今自分がしている旅はこうして旅をふりかえり書くことである。
そうして紀行文をでも書くとなるといかに旅が記憶されているかが大事になるのだ
だから不思議なのは旅でも自分が本当にそこに行っていたのか?
そういうことが今になると不思議になる,そこに行ったという記憶さえ消失している人がいるからだ,30,40年前にあそこに行った,そこで泊まったということが本当なのかとまでなる,そこで泊まったとしてもその民宿の人でももう30年,40年たつと老人になっているのである。そしてもう死んだかもしれないということにもなる