2017年10月09日

飲食店の料理にはそれぞれ得意なものがある (飲食店から考える労働とは?)



飲食店の料理にはそれぞれ得意なものがある

(飲食店から考える労働とは?)


A店は料理人がいるホテルだからランチでも魚とか牡蠣とか海老とか他について700円とかは安い,ただこの店の問題は安い飯を使っていることである。
飯は今はいいものを使っているのが普通である。
ただここはお得だが街からちょっと離れている

仮設の食堂では前はあつみ食堂はいつもけんちん汁を出していた,それにはいろいろ野菜が入っていたしあそこでは野菜料理を出していたので良かった
でもそこもやめた,それで独身の建築現場で働く人は今はぼそほそ一人でコンビニの弁当を食べている

B店はチャーハンがうまいが野菜炒めはC店がうまかった,百円ほど安いのにうまかった
今度はいろいろメニューを変えたが野菜炒めは出していない,500円の牛丼とかカレーは出している,自分は牛丼は嫌いなので食べないからメニューが変わってもいいものではなかった

料理だけは店によって特徴がある,今は他は品物でも同じものが多い,ただ食料品はやはり味が違うことはある
ただ果物だと見分けがつきやすいが野菜は見分けにくい,だから値段で買っている
なるべく野菜をとろうとしているが種類がそろえられないのである。
一人だとかえって高くつくのである。

要するに料理店はA店B店C店とあったらそこの得意なものがありそこを売りにすればいいのだが個々別々になっている,でも仮設のように三軒集まれば別々の店を利用できる
離れているとそうはいかないのである。
仮設商店街はそうして一カ所に集まったからかえって一時期繁盛したのである。

今なぜ飲食店で特に人手不足になっているのか?
そこは仕事もきついし誰も働きたくないのである。
時給千円なったとしても安い,それは奴隷でしかないとしている
人手不足はなぜ起きているのか?
それは少子高齢化の影響でもある

4000万人が働かないで年金暮らしとかしている

こんな社会がありうるのか?それだけ余剰が社会にあるということなのか?

日本の飲食店は安すぎる,他の接客業でも安すぎる
それで外国ではそうした職業にチップを与える習慣がある
それはもともと貴族の社会があり対人的にサービスしてくれる家事をしてくれる人に与えた
家で働く人にはその人が家族の一員のように意識するようにもなるからチップが生まれた何か時給いくらだとかなると貴重な時間とか人生を切り売りしているのである。

現代の労働はあからさまに奴隷を使うようなことをしていない,でもシステム的に奴隷化した労働となっている,時給いくらだというのがそうである。
それは人が安価に雇える時は良かったが今や人手がないのでできなくなったのである。

だから対人的サービス業は飲食店でも倍とか高くなる
従業員に払う金が高くなるからだ
すると外食をしなくなり外食産業がつぶれてゆく

「私はあなたにこうしてサービスしてます,それ相応の金をください
千円でしたが二千円払ってください」
「それもわかります,でも自分はそんな金持ちでないですから家で安くすませます,
スーパーやコンビニの弁当ですませます」

こんなふうになると特別の金持ちを相手にするレストランくらいしか残らない,それは都会のレストランだけになるかもしれない。
結局別にそれでまにあうし餓死するわけでもない,外国ではそもそもレストランは特別な場所であり日本のレストランとは桁違いの高さである,だから外国旅行ではレストランに入れないからスーパーとかマックとかですませるほかなかった,安い食堂がないからである。あってもわかりにくいこともある。
日本では安いレストランがいくらでもあるから外国人旅行者は安く旅行できる

ともかく料理は手間だからほとんど自分はしていない,ただ野菜をなんとかとろうとはしている,家事を一人でするだけで手間なのである。
だから気軽に安く食事する所があれば小さな町になると三軒くらいしかない,何かラーメン店が多いがご飯の料理が少ないのである。
一人暮らしになると都会はいろいろあるから便利である。

人手不足というとき賃金もあるが人間は仕事することは何か人生を充実させるということもある,まずお手伝いさんは皿洗いなどしたくない,二三枚洗って終わりである。
でも話しているのは畑のことである。その人がいかに畑をすることに情熱を傾けいるかわかる
その肥料代とか資金は自分が出している,でももらったのはほんのわずかである。
人に与えるほどとれない,金銭的に換算すれば労力でも金でも十倍はかかっているのだ
農業でも趣味でやるとなるとそれだけ金がかえってかかるのである。
そして毎日草むしりであり簡単に収穫ができないのである。

それだけ割りにあわなくてもその人はともかく農業が好きでありそこに情熱を注いでいるその人がやりたいのは皿洗いとか掃除とかではない,農業なのである。
そしてその人の価値は何かなのか?それを考えたら農業をすることだとなる
農業していること自体に価値がある,それがわかるのはもしその人が畑もしないで遊んでいたら何の価値があるのかとなるからでてある。
金銭的なものも抜きにすればそうなる

だから人間の価値は何かというとき金銭的なものからしかみないが何をやりたいのか情熱を注ぐのかになる,そういうものをもっているのかとなる
芸術などは絵を描くしにししてもそういうことは金を払ってでもやりたいのである。
創作にはそれだけの魅力があるからだ
農業もまたその人は実際に金を払ってしているのである。その金を払ってくれる人がいるからしているとなる
要するに本当にしたい仕事がありそれをしている時その人に価値があり幸福だとなる
飲食業など誰もしたくない,奴隷だというとき人も集まらないともなる
それは金銭的問題だけではない,そこに生きがいが見いだせないからである。

だからやりたくない仕事はロボットがして機械化してAI化されてゆく,ベーシツインカムというのはやはりそういう時代を先取りしたものである。
別にベーシクインカムにしても農業したい人はするのである。
何か自分のしたいことをもっている人は働くのである。
それは人間の一つの理想社会を目指すものとなるがそこにも必ず矛盾が生まれてくる
人間社会はそうした矛盾とか何か負の部分が必ず生まれる
いくら理想社会を目指してもそれは永遠にありえないのが現実なのである。
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