2017年10月07日

飯館村の蕨平(わらびたいら)の地名の由来は (植物地名は日本には多い・・・)


飯館村の蕨平(わらびたいら)の地名の由来は

(植物地名は日本には多い・・・)

蕨平 (わらびだいら) [宮城県伊具郡丸森町]
蕨平 (わらびだいら) [福島県相馬郡飯舘村]

蕨の野草地で家畜の放牧をつづけていると家畜が食わないために徐々に広がる
野焼きを繰り返しても増えるようである,ワラビが若葉を広げる姿は春の到来実感させるが家畜の放牧では極めて有害な危険な草であり,いかにしてワラビ防除するかは畜産上の大きな課題とされている(四季の博物誌-荒垣秀雄)

ワラビは、「ワラ」が茎をさし、「ビ」が食用になること・・・つまり「茎が食用になる」という意味に由来するという説がある。また、アク出ししたワラビの色が、燃やしたワラに似ていることから「ワラ火」に由来するという説とか、ワラビの若芽を「童菜(ワラベナ)」という方言から「ワラベ」が転訛したという説がある。

この説明はどういうことなのだろうか?飯館村の蕨平は牛を飼う農家もいた,今も40軒があったがもどって一軒で牛を飼っているという,この蕨平は戦後入植した人が名付けたものではない,もともと蕨平という地名があった,蕨が繁茂していたからその名がついた,しかしそこは家畜を放牧するには適した場ではなかった
蕨平に住んでいた人とあったがその人は今でも山菜をとって食べているという
老人だから気にしない,ただ山菜は一番放射性物質が蓄積されているし飯館村となると何か不安に普通はなる,その老人は全く気にしていないのである。

蕨とつく地名はある,鹿島区の橲原(じさばら)の蕨跡はわらびの植物ではなく藁火であり藁を燃やした跡なのかもしれない,それとも蕨が一杯もともととれた場所だったがとれなくなったのか?やはり植物の蕨と関係して名付けられたというのがまともかもしれない

山菜は、アイヌ語では何と言いますか。
:オハウコプとかキナと言います。地名の中では、ハルとも言われます。春志内は、アイヌ語で「食 料の多い沢」という意味ですが、この場合の食料とは、山菜を指しています地名にまでなるくらいですから、山菜がいかに重要だったかわかりますね。

アイヌ語の「クッタル・ウシ」(イタドリが生える所)。イタドリの漢語表記「虎杖」から、「虎杖浜」の地名が成立した。なお、「クッタル・ウシ」に当て字をしたものが、近隣に存在する湖、倶多楽湖の地名由来である。

日本は植物が豊富だし山国だから山菜も豊富である。日本の紋様が植物が多いのはやはり風土である。ヨーロッパでは動物類が多いからだ。
日本人の生活は縄文人の生活は狩猟,採集:漁労である。とすると採集するのは食べられる植物である。その植物に詳しくなる必要がある。
地名は風流とかではつけられない,何か実用性がありつけられる,だから花の名前の地名はまれになる,わらびでも食べられる茎に注目していたのである。

北海道には原初の状態が残っている場がある,一面に虎杖(いたどり)が繁茂していてそこが虎杖という地名になっていた。虎杖も食料になっていた,アイヌも狩猟,漁労,採集民族だから植物を食料とするから縄文人と同じだった

クッタラ湖にも行ったことがあり何かなつかしいとなる,地名を知ると何かその土地に親しみが出るのである。旅をずいぶんしたから地名に興味をまず覚えた,地名は何かその土地を探るものとしてある。

この辺では津浪や原発事故で一時原初の状態にもどった,海沿いは湿原になり沼があちらこちらにできた,日本には沼という地名が多い,それは湿原になっていたからである。
そういう湿原地帯を田んぼにしてきたのである。

芹田,蕗田,蕨田,蓬田・・・・

こういう田んぼの地名があるとき田んぼになる前の原初の状態をさしていたのである。

八木沢の麓の大葦とか薔薇坂という地名があるがこの薔薇坂は何なのだろうとわからなかった,薔薇から薔薇の花をイメージしていたからわからなかった
ところがそこが原発事故で放射能汚染で住めなくなり荒地化したのである。そこでは牛を飼っていたがいなくなった,そこにカモシカが出てきたときは驚いた
そしてそこは野茨にひっかかった,それには刺(トゲ)があるから痛かった
そこがなぜ薔薇坂となったのか?それは茨(いばら)のことだったのである。
つまり原初の状態だと茨が密生している所があった,そこに踏み入れると刺にさされる
それで茨城の地名が生まれた由来がある
地名の由来を知るには原初の状態をイメージすることが大事なのである。

原町の雫(しどけ)というのもシドキであり食料としていた山菜である。ただあそこは海岸だからシドキがあったのかとなるとわからないが高台であり森のようになっていた
だからシドキもとれていたともなる

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伊達市に楮畑という地名がある。楮(こうぞ)は和紙の原料である。それからゼンマイという地名もある,これは蕨の方が古いのだから新しいとなる
焼き切りとかあるのは焼き畑地名である。
焼き畑地名はともかく多いのである。
山菜はあまり好きではないけどアシタバもテンプラはうまかった,テンプラにすれば山菜でもうまいとなる。飯館村は山菜を常食としていた
それが原発事故でできなくなるということは飯館村に住むことのメリットというか文化さえ喪失させられたともなる
飯館村を見たとき一番原発事故の酷さを実感した
なぜならそこは森につつまれた自然のある村だったからである。
それが今や無惨な姿となってしまったのである。
だからあれを見ると原発事故を起こしたものに怒りを感じるのである。
ただ飯館村でもいろいろであり補償金もらって良かったという人もいるだろう。
便利な所に移ってそっちが良かったともなる人もいる
飯館村はやはり不便だからそうなる人も現代ではいる

ともかく蕨平というところには何回も通っている,家が散在して淋しい所である。
ただ飯館村はあれだけ広いのだから牛を放牧したりる土地があるから良かったのである。これからあれだけ広い土地をどういかすのか?
帰らない人が多いとしたらどうなるのか?蕨平でも40軒あって一軒しか帰っていないというからだ,高齢化もありやめる人も多い,それは農業でも漁業でもそうなのである。
みんな老人になりつづけられなくなっていたのが多いのである。
それでこの際補償金をもらってやめるとうい人も多いのである。
ただ飯館村の特徴は山の村では山菜を常食としていた,それが豊かさであった
それができないことは原発事故が飯館村を見るとき一番ひどいなと感じていたのである。

「生態学の研究によると,それほど地球の深いところまでを必要としないということであるこの土地部分は表層土壌また地表土と呼ばれ,わずか50センチからTメートルに満たない厚さの土地にすぎないのであるが,今日我々が利用しているのはこの地表の形成にはなんと数千年にわたる植生の積み重ねがあるという」
(エコノミーとエコロジー-玉野井芳郎)

飯館村の田んぼや畑の地表はけずりとられているのが無惨なのである。
つまりここに言うようにその地表を作るのには数千年の歳月を要していたのたである。
それだけ自然というのは長い歳月で作られてきたものである。
それが一瞬の原発事故でだいなしにされた,数千年の歳月で作られたものがだいなしにされたのである。そこに原発事故の罪深さがあった
自然というのもがそういうものでありそれが意識されていなかったのである。

山菜を常食にする山村の生活は縄文時代からつづいていた
それが一瞬の原発事故でだいなしにされた,回復できないようにもされた
つまり原発事故とか科学工業文明の怖さは自然から離れて自然がどういうものか意識されなくなったことである。
だからこそ無造作に破壊されてしまうのである。
数千年で作られてきた表層の土壌である。それが一瞬の事故でだいなしにされる,回復不可能にもされる,その怖さを意識しない,原発と生態系はマッチしていないのである。

南相馬市ではあまり表層の土は削っていない,それほどの汚染ではなかったからだろう。飯館村は削り取られたのが目立つから無惨だったのである。





posted by 老鶯 at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
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