巨大なる機構会社などが機能不全に陥る社会
(そして恐竜のように自滅してゆく?)
肥大化した組織が自壊する5つの理由と、小さな組織の台頭
明治維新後は近代化であらゆるものが国家の役割をにない,国家のために富国強兵を目的として社会が変えられた,強力な中央集権国家になった
それは対外的に外国と対抗するためである。
警察でも中央集権国家の中で侍に代わり生まれたものである。
軍隊も明治以降は国家の軍隊として生まれたのである。
藩の時代は藩中心の軍だった
つまり明治時代以降は国家中心の国家のために尽くすものとして社会が変えられたのである。
江戸幕府時代の藩をなくして廃藩置県にして四民平等しにしたのもそうである。
西南戦争で国民軍が西郷隆盛のひきいる武士集団に勝ったことで国民の軍隊となった
明治からは強力な中央集権国家に変貌したのだ
言葉でも標準語に変えられた,明治維新後は欧米とか列強と戦うための強力な中央集権国家になっていた,その継続としてアメリカとの熾烈な戦いがあり敗れたのである。
まず江戸時代は国家は意識しない,天皇も意識しない,それぞれの藩が国だったのであるだから国家意識をもつことはない,
天皇などは地方では知らないということもあったろうそれが強力な中央集権国家になったとき天皇が国の中心となり太平洋戦争に向かったのである。
明治以降は国家のために生きていたのであり一般的に個々人の価値観に生きることは許されないことがあった
だから絹を生産するのも国力を充実させるためでありその輸出で外貨を稼ぎ軍事力の増大に使っていたのである。国家のためにと働かせられていたのである。
一に国家,二に国家,三に家があったのかもしれない,その家も国家に尽くすものとしての家だった,戦後の家父長制は国家の意向が働いていたのである。
戦後はそうした国家のためにという価値観は否定されてきた,そして今度は企業戦士となり会社のために働くようになり高度成長時代を築いたのである。
でもやはり中央集権国家というのは制度に残っていたのである。
地方でも国家から中央から地方交付税とかを配布されるから経済的に中央が支配する体制ができあがっていた
そしてあらゆる分野で国家が関与する,官僚がその税金を使うようになった
それが警察でもそうであり医療関係でも病院であれ福祉施設であれ銀行でも国家が関与して経営する,国民健康保険自体が国家が運営するものだからである。
だから教育でも明治以降は学校制度ができて中央集権の国家のために尽くすように作られた,学校自体が国家のためにあったのが明治以降なのである。
寺子小屋だったらそれはただ読み書きそろばんを習うだけであり国家など関係しないし,江戸時代などは村が中心であり国家など関係していないのである。
そういう巨大な国家運営するための機関が組織が肥大化する,その巨大機構が機能不全に陥ってくる,制度疲労を起こしてきているのが現代である。
巨大なものの危険はあまに巨大化して肥大化してそれで社会までおしつぶしてしまう。
東電なども国家並の巨大企業でありそれは福島の一地域に原発を造った時,事故となり住めなくなった
それは国家が地方などつぶしてしまう力を持っていた
それは巨大なるがゆえにそうなったのである。
巨大なるものの危険性はそうして自然でも一地域でも破壊する力を持つことである。
そして巨大なるものは巨大なるが故に自ら制御できなくなる,結果的に原発事故のようにメルトダウンして何もできない,そこには人は住めなくなる
それはあたかも恐竜のようにも見える
恐竜は巨大なることの故に自滅したのである。かえってネズミのようなものが盛んに動き回り適地に逃れて生き延びた,恐竜は巨大なるが故に動くのも遅いし小回りがきかないから自滅したとなる
国でも必ずしも大きな国がアメリカでも中国でもロシアでもそうだが強いとも限らない
なぜ北朝鮮のような小国を相手にアメリカが右往左往しているのか?
それは核だと大国に対等に対抗できるからである。アメリカでも一発核弾頭がうちこまれたら大被害になるからである。
だからアメリカでも中国でも大国が必ずしも強いとかならない
そこには巨大なるがゆえの弱点が生まれる,小回りがきかないとかまとまりがないとかなる,それは大企業でも同じである。小回りがきかないから時代に適応できない
ネズミはこまわりがきいて動き回るから自然災害からも逃れられたとなる
巨大なるものは強いようで弱点をもっているのである。
日本は小さいにしてもまとまりがあり小回りがきくとか大国にはない強みをもてる
だからその利点を活かせば大国にも抗することができる
なんでも大きなものが有利とはならないのがこの世界なのである。
いづれにしろ巨大機構は機能不全に陥ってゆく,警察だって巨大な機構だけど個々のこまかい対応はできなくなっている,
病院は肥大化してただ税金を使い国をつぶすまでになっている,
国家の巨大機関が機能しなくなる,官僚はただ税金の無駄使いするだけだとかなる,それは国家が巨大でありこまわりがきかない,大きな政府より小さな政府がいいというとき税金の無駄使いなどなくなるからである。
何でも政府で無償化というとき無料のことではない,必ず税金でまかなうことなのである。
政府ではとにかく税金でまかなうほかない,公務員とか官僚でも別にかせぐ組織でないからである。
いづれにしろ現代の制度疲労化した社会は何かの拍子に自壊するかもしれない
それが原発事故でもあった,原発の内部を知るものは一人もいない
吉田所長も肝心の復水器があることを知らなかった,それは水を流して原子炉を緊急に冷やすものでありそれを知らないとは致命的にもなっていたのである。
原発は巨大だから複雑だからそれを誰も制御できなくなりメルトダウンした,現代の社会も同じようなことが起きてくる,巨大な機構でも会社でも機能不全に陥ってゆく
そして手がつけられなくなり自壊するのである。
たから今度は警察機構が崩壊したら機能不全に陥ったら自警団を組織するとかなるかもしれない。学校が崩壊したら自主学習の小規模の塾に通うかもしれない。
銀行がつぶれたら小規模の金融組織が作られて地域に機能するかもしれない。
マスコミだとインターネットのyoutubeのようなほぼ個人で放送できるものがかえって繁栄する
大きいだけがすべていいとはならない,小さいものには小さいものの良さがある
そういう社会そのものの転換期が明治維新から140年とかすぎてきている
制度疲労はもう機能不全になり腎不全のようになってしまうかもしれない
それは死を意味しているのである。
【グロ−バル経済批判(国家機関とか大企業の問題)の最新記事】