「心に青雲」都築詠一氏の人となりをふりかえる
(自分とにたものがあり世代も同じだった)
文明の発達が人間を弱い方向へと引きずりこみました。あらゆる便利さが弱くても生きていかれそうな錯覚を与えました。
(中略)
存在意義があるとすれば、それはひたすら強く生きることにあるのでしょう。
ここで人生の土台とは、まともに生活する、すなわち健康的に生活できることがそうであり、それなしには生きることの理想をいくら掲げても健康的な生活を保てずに、病人や、半病人になったりして、ゆがんだ生活で生きることになってしまったのでは、どうしようもないのです。
すなわち、人は信念や情熱などの精神的生活のみでは現実の世界でまともに生きていけないのです。 (引用終わり)
彼は病弱だとか一人っ子だとか金持ちの家に生まれたとか知った
成蹊大学などはそういうお坊ちゃん大学なのだろう。
なかなか地方の人は入りにくい大学になる,そこに都会と田舎の差があったかもしれない文系だったらどこの大学かなど関係ないだろう。
文学部だったというとき彼はめずらしく短歌でも俳句でも他にいろいろな作家を批判していた,こきおろしていた。
そういう鑑賞力があった人である。これはだからインターネット上ではめずらしいことだった,空手関係の人は武道には詳しくても他の教養がゼロの人が多いみたいだ
ただ武道の面ではそれなりのものをもっているから批判している
実際に文武両道の人はこの世にまれだろう。
どうしても文弱になったりするし文学にかかわる人は病弱のが多いのである。
ともかく都築詠一氏は確かに金持ちの家に生まれ恵まれた環境で育った,それは自分ともにている,ただ相違がその時東京と地方という差があった
あの頃はやはり東京と地方の差が大きかった
東京に憧れ人が多かった,でも地方だと田舎ではクラスの三分の一くらいが金の卵として集団就職したまだ貧しい時代だったのである。中卒が普通にいたのである。
団塊の世代として共通であり親近感も都築氏には覚えていた
ただ別に会ったこともないしプログだけの出会いだった
その後の就職先は編集とか文学関係とかにたずさわっていた,それも恵まれたことなのだろう。そんなところに簡単には就職できない,なぜ朝日新聞社に就職したのかもわからない,右なのだから何か辻褄が合わないがそういうことは人生にはある
ただ彼の強さへの志向は強かった,それも自分とにている,弱いものはなんとか強くなりたいのである。自分も体が弱かった,体が弱いということは実際は精神に相当影響するのだ,頭脳にも影響する,勉強するにも社会で働くにも頭脳だけでだめである。
心身共に健康でないとだめなのである。
自分は強くなりたいので大学の合気道部に席を置いていたが一年でやめた
その時良くやれたなと今でも我ながら感心する
そこで基礎を築いたから今日あるともなる
それまでは高校では落第するような状態だったし人間としても全くわがままだったし集団に適応できない人間でいいところがなかったのである。
人間とは若いとき30頃まですでに人間ができあがる,なぜなら若いときは自分のような体力がなくても無理ができたからである。若いときはやはり一番誰でも力があふれているからである。
そして地方だと家族がいないから栄養とかその他苦しいものとなるからだ
何か自分は体が弱いのに20代とかは苦しい目にあって体力が消耗してすでに老成していたのである。
だからその頃と今の顔つきなどが同じなのである。
なぜ自分がその後まだ生きているのか?
それは30代頃からは家で楽した結果のなのである。家族がなんてもやってくれたから自分は本当に楽だったのである。そのことで体力も回復してここまで生きたとなる
そうでないと早死にしていたと思う
都築氏の場合はかなり空手に励み無理したことが早死になったのかもしれない
過酷な訓練を強いていたからである。
人間はみんな個々にどういう人生をたどるかわからない,生まれもあるから都築氏も自分も幸運だったとなる,彼は平凡な普通の人間であることも共通している
天才という人を知っているけどそういう人は生まれつきなんでも備わっているのである。普通の人は努力しなければできない,武道なんかでも生まれつきがいい人は楽にこなせるスポーツでも天才的な人は常にいるからである。
ただ文武両道の人は本当にまれだと思う
彼が文学に通じていたことは武道家ではまれだろう。ただその評論が十分に展開されなかったのが残念である。
すなわち、人は信念や情熱などの精神的生活のみでは現実の世界でまともに生きていけないのです。
人間は体が弱れば精神も弱るのが普通である。なんか自分はちょっとでも体が弱ると心も弱る,だから都築氏も体がもともと弱かった,それで健康志向が強くなったとなる
もともと強い人は健康に無頓着なのである。
そういう人は無理もできるし強がる必要もないのである。もともと力にあふれていて別に武道などしなくても強いのである。そういう人が身近にいたからうらやましいといつも思っていたのである。ただ最後は弱く無惨に死んだのである。
いかに強き人もまた最後は老人になり病気になり弱くなり死ぬものだと驚いたのである。
存在意義があるとすれば、それはひたすら強く生きることにあるのでしょう。
都築氏はこのことを貫いた,透析のことは語っていたけど17年も透析していたとは思わなかった,でもそのことはあまり言わず弱さをフログでは出さなかった
それが何か英雄的にも今になると思える
介護される人も批判していたが自分はそういうことにもならずプログに調子が悪いといって書き込まなくなったら死んでいたとなる
それだけ強さを言ったのは言葉だけではない,実際の生活で実践していたのである。
震災の被災者にも同情しなかったなどと批判がある
それもわかるが体育館に入っていたときなどは苦しいからそんなことは言えないのが普通である。
でもその後仮設に入ってからはみんなパチンコ通いとか遊んでいただけなのである。
だから自分もそこは地元でも批判していたのである。
空手関係者とかは彼の文学的理解の深さとかはわからない,武道に関しては何か言うことはある。でも武だけの人間となるとかたよった人間になる
ただこの両方を備えるとなると至難だとなる
彼の人となりなかなか理解されなかった,それは文学関係などで理解できない人が多かったからかもしれない,自分は日本文化について理解が深いなと感心していたのである。
天から気合がひびく
そして活を入れる
日本人の心を正さむと
天から気合を入れる
秋のみ空に清らかに
きらめきあう星なれや
天にその気合はなお木霊する
この引用は誰かが引用したのもである。彼の文を引用していたものは残っているが全部は残っていない,それが残念だったとなる
ふりかえるにしてもふりかえることができなくなった
ただ断片的に引用されたのは残っているが少ないのである。
ただ彼がどういう人間だったかはある程度は理解している
いづれにしろ空手関係者は都築氏のことをこきおろしいるが恥ずかしいからやめた方がいい,文については学についてはそういう人は何もわかっていないからだ
いくら武にたけてもいても人間として低劣だとなる,武と精神性は一体化しなければならない,武だけだったらそれは獣と同じようになってしまうだろう。
江戸時代とかもののふは侍はそうではなかった,そこが何か今のスポーツ関係者とは違っていた。
真夜中をすぎてもなおも虫の鳴く命短くせつなきものかもか
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