核文明の恐怖(H・コルティコント)を読む
(すでに原発の危険は予見されていた)
福島原発の歴史
この本は1979年発行でありすでにほぼ40年前のことにもなる
ただその時から事故がありフクシマと同じようなことが起きていたのである。
それはスリーマイルとかでもない,それ意外にも事故がありそれは火災事故だったのである。
この統計は1978年である。フクシマの第一原発は1971年3月に1号機の営業運転を開始しである。
図を見ても日本は原発を作るの早かったしその時すでに世界で3番目の原発国になっていたのだ,それはやはり人の技術力が高いから受け入れることができたのか?
アメリカの強引なおしつけがあったのか?その辺はわかりにくい。
この本の題名が核文明の恐怖とあるとき現代の文明が核文明になるということを予想して書いていたのである。
この時東ドイツとあるからまだ東西ドイツが統一されていない,その時ドイツも原発が多かった,その後はやめた,フランスが日本より原発が少なかったというのも意外である。やはり日本はアメリカの影響があって原発が多くなったのではないか?
原子力産業は比較的歴史が浅いことを心にとめておく必要がある。
アメリカでは商業利用がはじまってからわずか25年であり,核兵器生産がはじめられてからも35年しかたっていない,癌の潜伏期間は12年から40年でありまた遺伝上の突然変異は何代も現れないことがあるから私たちはやっと放射線の影響を経験したばかりなのである
様々に放射線の影響が言われる,
癌の潜伏期間は12年から40年でありまた遺伝上の突然変異は何代も現れないことがある
こういうことがあるとする母親などは異常に心配するからもう故郷には原発避難区域には帰らないとなる,最も危険なのはプルトニウムだとこの本で著者は言っている
要するに核のことは人間はわかっていないしその危険性を無視して原発は造られたのである。歴史が浅いというとき未熟な知識ではじまり今でも放射線がどういうふうに人間の身体に環境に影響するのか正確にわからない,だからこの辺はモルモットにされているのである。放射線の影響は長期的なもの次の代とかその次の代にも影響するとなるから深刻なのである。
原子力発電所の設計は著しくこみいっていて自分の専門分野以外の人の仕事を理解しない-お互いに話し合おうともしない-実際原子炉を建設したり運転したりするのにその全体の過程を統合するような役割の個人やグループは全く存在しない
これはフクシマ原発でも同じであった,肝心の吉田所長が復水器のことを知らなかった,それは自分の専門分野ではないからだったと言っている
そして東京の本部との意思疎通もできなくなっていたのである。
要するに誰ももう原発を制御できるものがなくなっていたのである。
最後は自動化しているから機械が暴走して破綻するとなるのである。
人間の力では制御できない代物になっているのが原発だったのである。
それは現代文明全体に言えることである。その全容を知るものはいない,何か巨大な事故があったらもう何もできないのである。
ブランズ・フェリー原子力発電所はいまだかつて火災に対する安全検査をやったことがない,この事故で誰も地域の役所に事故を知らせなかった,実際緊急避難措置はいっさいとられなかった
「安全装置は絶えず工夫が施されているが莫大な金がかかったり原子力産業のスケジュールに都合があったり政治的圧力がかかったりするために安全装置の効果について評価を正しく行うことはほとんど不可能になっています」
これもこの辺の事故と同じだった,浪江の人達は津島の山側に避難した,そこは一番放射線量が高い地域だった,町民には自治体には何も知らせられなかったのである。
ただ東電の社員がいて山より街の方が安全だとそれに従って街にもどった人達がいた
それが正しい判断だったのである。放射線のことを知っていればそうなる
実際はスピーディでそれがわかっていても知らせなかったのである。
アメリカにいち早く知らせていて自治体には知らせなかったのである。
安全装置にしても原子力村とかが形成されて政府の安全委員会など何もできない飾りだったのである。要するに何もしないで多額の金をもらっていた人達が原発には多いのであるそういう人達にとっては原発はいいものだったのである。
東電から巨額の宣伝費が電事連からは800億もの宣伝費が流れていた
そしてそまマスコミの幹部が東電によって中国に招待されていたとき事故が起きたのである。朝日新聞社加わっていたからマスコミで原発に反対するものはなかったのである。
創価系の雑誌でも東電から宣伝費を二番目くらいにもらっていた
原発は金のなる木だったのである。地元でも金がばらまかれた,特に漁業権のある船主は原発御殿が建っていたとかあとでわかったのである。
それも今になると罪深いものだったとなる
原発はまだ歴史が浅く未熟な技術だけでその効果が大きいから安全を無視して作られてきた,それがまた核兵器と結びつき軍事力としての相乗効果があり作られてきた
電気を作るだけではない軍事力として欠かせないものとして作られていたのである。
だからこそこの本では核文明としているのである。
そしてこの辺の事故では核文明の崩壊したと自分が書いたのである。
土や水や空気や人間の基本になるものが汚染されたら住めないしそして放射線の影響はどうでるのか何代も見なければわからないという恐ろしいものだったのである。
なぜそれだけ危険なものを作ったのか?それは核の魅力が大きいからそうなる
北朝鮮を見ればわかるだろう。あのような小国でも核をもてばアメリカと対等に戦えるからである。だから実際は人間は核を操作できないものでも無理して操作していたのであるそれが大事故で核文明そのもの崩壊となりこの辺は住めなくなったのである。
湯川秀樹博士が原発を作るのはまだ早いとして作るべきではないとしていた
つまりまだ日本でも原発を作り操作できる技術はなかった
原子力の歴史は浅いしまだまだ操作できる状態にはなかったのである。
でも無理やり作ったのは政治的な圧力とかアメリカの圧力とかいろいろ科学的技術的問題ではないものがあり作られてきた,
文明の崩壊までになるようなものをなぜ作ったのか?
文明が崩壊したらもとこうもない,終わりだとなるからだ
それなら人間は極端になるが炭をエネルギーとして細々して生き延びる方がいいともなるからだ,文明が滅び水も土も空気も汚染されたら住めないからである
そして遺伝子が損傷して何代にもわたり影響するとなると種の滅亡ともなる
人間はもう絶滅するということである。
そんな恐ろしいものを科学者もとめられなかったしそれ突き進んで行ったのはなぜなのか?
何かそこに人間の業(カルマ)があり人間滅亡,文明滅亡の宿命を核によってもたらされるだからさけられないのか?何かそういう人類史の最後に核が現れ文明は崩壊するのかとなる
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