阿武隈山地の影(詩)
(行政区域としての廃藩置県には無理があった)
海があり森があり飯館の阿武隈高原がありかなたに
吾妻連邦が見える
阿武隈山地の影が覆っている
常に阿武隈高原がさえぎる
水鏡の峠を越えれば
安達太良山を望む
川俣はまた別な世界
いわきは東京に近い
通勤列車が東京へ出ている
いわきから複線になっている
相馬地域は仙台圏なのか
常に阿武隈高原地帯がさえぎる
その影が覆っている
中通りは遠い
その地理的障壁は消えることがない
人の心はその地理の中に閉ざされる
浜通りは常に海からの風が吹く
その風が開放的にする
しかし海は津浪のように恐怖をもたらした
阿武隈山地に閉ざされて
海は恐怖をもたらし閉ざされる
人間の運命は自然によって
あらかじめこ定められている
その定めを越えることはできない
その地の宿命の中に生きる
地理というのがいかに人間に影響するかである。人間は地理によって作られるのである。その地理の定めを越えることはできない
福島県は阿武隈山地で浜通りと中通りが分断されて中通りと会津も分断されている
そういう地理的宿命は帰ることができないのである。
人間の心もそうした地理や風土によって作られてゆくのである。
阿武隈川山地の不思議は日本列島が大陸から分離して形成される途上で古くから存在していた,古い山脈なのである。地層が相当に古いのである。
だから地盤が安定しているから飯館村に核廃棄物をの貯蔵庫を地下深く作るとかの意見も出たのである。
浜通りにとってこの阿武隈山脈の影響は相当に大きい
物心両面でさえぎられてしまう,その影が大きくのしかかってくるのである。
なぜ地理がこれほど影響するかというとやはりそこに住み生活していれば地理の影響を一番受けるからである。
日本は結局山国だからどうしても山にさえぎられる,その山の中に閉ざされる傾向が強いそういう地理である。どこまでも広がる大陸的平地はない,必ず山でさえぎられるのである。だから日本という国は本来は意思疎通がむかしい国である。
父なるラインとかドイツのように国土を象徴してまとめるようなものがないのである。
福島県でも広いから新潟県がどこなのかという話題になった
越の国の範囲となるが東北だという意見もある
どうもその新潟が相馬地域ににているのだ
東北開発促進法の中では東北地方の定義として「青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県及び新潟県の区域」と記されている。
福島県と新潟県が一体化してとらえている,相馬地域も福島県でもあり仙台圏の中にも現代では入っているから中途半端な地域だともなる
新潟県は会津地域にも入る,すると東北なのかともなる
結局は北陸となると富山県が中心でありその富山県は越の国であり大伴家持が古代に赴任してたように奈良か京都を向いている,さらに大阪を向いている
新潟県が向いているのは関東でり東京だとなる,それは福島県ににているのだ
つまりどっちつかずの地域になっているのである。
ただ米沢市は上杉家の藩であり上杉謙信の領地としてあった
それで今の玉野村で丸森の森の木材資源をめぐって伊達藩と上杉藩と相馬藩が三つ巴で争ったのである。だから上杉謙信から歴史的に越の国の影響も及んでいたともなる
ともかく廃藩置県は地理を無視したものであり歴史も無視したからそこで何か一体感をもてないものにしたのである。
会津と新潟は一体の県とした方がわかりやすかったかもしれないのである。
そういうことはいくらでもあるのだ
相馬地域が福島県になるのも何か不似合いだった,そういうことは全国でいくらでもありそれでいろいろもめてもいるのである。
行政区域と地理とか歴史とか風土の区分けは別物なのである。
行政区域としての廃藩置県が地理的歴史的文化的風土的区域化したものとは別物である。明治維新からの廃藩置県はそこで無理があったのである。
それは行政区域としての県という単位であったからである。
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