2017年08月01日

相馬野馬追い終わる (祭りの意義とは何か?)


相馬野馬追い終わる

(祭りの意義とは何か?)

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旗取りで同じような旗が集まっている
これは同じ村の人なのだろう。
偶然ではこうはならないだろう
青色なのは宇多郷なのか?

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地域社会の人間同士のつながりの希薄化から、地域の力の減衰が叫ばれる昨今、
そのコミュニティを再構築するための絶好の機会に、ねぷた祭りは成り得る
のではないか、


祭りの意義というとき何なのか?野馬追いではその意義は何なのか?
それは相馬藩が一体となる祭りである。それと馬の祭りなのである。
馬を偲ぶ祭りなのである。馬はもう忘れられているからだ

相馬藩が一体となるというのは相馬市では市長が相馬市で出陣式が行うことで誇りをもてとか訓示した,その相馬市(宇多郷)と北郷(鹿島)が合流する儀式がある
野馬追いは地域地域が村々が一体化する祭りである。

でもそれは侍が戦争のために一体化するということが起こりである。
土地の農民はどうかとなると参加できないから一体化を感じるのかともなる
野馬追いは戦争が終わって江戸時代でもつづけられていた
その時戦争とは関係していない,戦争は終わっていたからである。
それでは何のためにしていたのか?

その時も相馬藩の侍が雲雀が原に集結して相馬藩の一体感をもつためということもあったその他に馬を放牧していたから馬を飼い馴らすためにしていた
戦争は終わったのだから馬を飼い馴らすためのものとしての方が役割として大きくなっていた

祭りというとき祀るは死者を祀ることであり供養することである。
だから何回忌とか家ごとにしているのは家の祭りなのである。
そして祭りはどこでも神社があり日本では無数にある。
すると神社ごとに祭りがある,そもそもなぜこんなに神社が建てられたのか?
それは神様を祭りその地域に根を下ろして生活したからだろう。
だから神社は先祖と関係している
先祖が移住してきて神も移ってきた

相馬氏なら千葉氏の系統であり千葉県から移ってきた
その神は妙見信仰である。これは北斗七星であり北極星なのである。
それは遊牧民がもたらした信仰である。遊牧民にとって北極星は移動するときの目印になるからだ
だからイスラム圏とか砂漠の民とかは国でも星印の国旗になっているのある。
最近では天皇にも妙見信仰があり遊牧民とか騎馬民族とかの信仰と関係していたという説がでている

野馬追いの見方としては宇多郷(相馬市)と北郷(鹿島)と合流する儀式があるように相馬藩が戦争のために一体化する祭りだった
だから野馬追いの見方としては5つの郷が雲雀が原に結集する祭りなのである。
飯館村も山中郷であり標葉郷は浪江とか双葉と大熊も入っていたのであり実際に出ていた
相馬藩の主な侍は城勤めではなく農業をしていた郷士でありそこに旗も残りほとんど農家から出ているのである。
つまり野馬追いは侍の祭りであり農民とかの祭りとも違うのである。
ただ相馬氏が土地土地に土着して先祖になったので村々とも関係している
村の代表ともなっているのが相馬氏の侍だったとなる

ただ歴史をたどれば霊山城が南北の争いで炎上して落ち延びたのが今の玉野で鹿島と中村(相馬市)に分かれて落ち延びた,山上に山王神社などがあるのはそのためである。
山王の神が霊山城炎上して落ち延びた武士によってもたらされたからである。
こういうのは由来がはっきりしている,只野姓も郡山近くの多田野村に由来していることは書いた,落ち延びた人たちが真野の中館に住んだからである。

ともかくこうして相馬藩が一体化する祭りであるとき津浪や原発事故では野馬追いが復興の行事としてみなおされた,だから相馬市長も南相馬市長もその旨を言っていたのである相馬藩が大熊,双葉,浪江とか小高でも避難区域になりばらばらになってしまった
それで今回小高から60騎くらい7年ぶりに出たということで話題になった
仮設からではなく帰還した農家からも出ていたからである。
それが小高の復興を推進するものとして小高の人たちも見ていたのである。

つまり小高でも北郷でもそれぞれの地域が一体化する祭りが野馬追いにはあった
ただ今になると社会が複雑化して人口も増えたしみんな会社員になったとき
相馬地域の一体感は希薄化したのである。
だから祭りとして地域の一体化を計ることがあるのだが今は成っていない
それで地元でも盛り上がらないとなる

ただ祭りの意義としたら歴史の伝統の保持でありその意義はある
ただ地元の人がみんな参加できないしみんなで盛り上がることはない
だから歴史と伝統の保持も欠かせないがみんなが参加できる祭りとしての工夫もひつようである。
ただそうなると歴史の保存としての祭りが乱されることもある
ただ前からそうだったが野馬追いは一回見て終わりとなっている
地元の人も参加できないから相馬地域がみんなで盛り上がるという祭りではない
その辺の兼ね合いだむずかしいが何らか新しいものも取り入れないとやがては祭り自体が維持できないとまでなる

そもそも祭りは限界集落では跡を継ぐ若い人がいなくなって維持できなくなっている
祭りとは次代の若者がになうものだろう。
威勢良く神輿をかつぐのは若者である。それはその地域をになう意気込みを示すものである。でも現実はみんな会社員なのだから地域の一員という感覚が今では希薄なのである。だから実際に雲雀が原の本陣山を神輿を担いでのぼるのは氏子ではなく会社員に頼んでいるのである。そういう時代に現実になっているのである。
posted by 老鶯 at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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