2017年07月16日

鉄道の明治の時刻表の考察 (そのスピードで時間の感覚が鉄道で変わる)


鉄道の明治の時刻表の考察

(そのスピードで時間の感覚が鉄道で変わる)

railwaymeiji1.jpg
人力車で引っ張るもの
乗合場所が橋をわたる
帆掛け舟が上ってくる
筏流しがいる
昔の宿場が残り茶屋がある
岸はコンクリートの岸壁になっていない
自然のままである。

railwaymeiji122.jpg

富士山を背景に六郷川橋梁を渡る車両を下流側から描いたもの。手前を横切るのは六郷渡船で多摩川を上り下りする筏や船舶との間で
河川交通事故などのトラブルもあったという。左側の町並みが川崎宿で、新田屋・萬年屋会津屋など旅籠の屋号が書き込まれている。

鉄橋が先にできて汽車が通る、でも川は渡し舟だった、鉄橋が先に作られていた


日本最初の鉄道時刻表の中で、発着時刻に「○字×分」のように「字」を使用していたのはこのためです。


品川〜川崎間には新しい駅「大森」が追加されている。この駅は鉄道開業の4年後、1876(明治9)年に開業した。この翌年、1877(明治10)年に、エドワード・S・モースが新橋行の列車の窓から、崖の途中に貝殻の地層らしき様子を見つける。これが後の大発見、大森貝塚である。大森駅を発車した直後、列車の速度が遅かったから見つけられたかも!?

もはや速すぎて途中駅での奉迎ができなくなりました。新幹線が行幸を大きく変えたと言えます。さらに東京近郊の場合、車を使うようになります。

不定時法の下では、鉄道はまず運行できない。鉄道開通にあたり工部省鉄道寮では、「芝増上寺の大鐘を愛宕山に移して、定時法で鐘を鳴らしてはどうか」などと提案している。



なぜ大森駅ができて大森貝塚が発見された、それはスピードが遅かったからゆっくり見ていたからだとなる、これも面白いと思う。
急行と普通車でもスピードが違うから外の景色も印象に残りにくい
そして新幹線になると天皇の行幸もできなくなった、一瞬にして過ぎ去るとなると天皇の顔を拝める時間もないとなるからだ
時間の感覚は社会を変える、時間は時代によって作られ技術によって作られているのだ。時間は文明の産物である。マヤ文明があれほど時間に執着したのもそのためである。

空間感覚でも時間感覚でも時代により文明により違うのである。
電車の旅は駅がポイントになり駅の名前だけ覚えたりしている、外の風景が思い出せないのである。黒松内とかは函館から札幌の間にあり黒松が多いからその地名が生まれた
そして黒松内のペットボトルを買ったときその黒松内の駅に一時とまったことを思い出してその水を飲んでいるのも不思議である。
電車の旅は駅名しか記憶されないことが多い、その電車の旅から地名に興味をもったとなる、地名というのは駅名だけではない何か呪術のようにその土地の地霊のごとく働いていることがあるのだ、それは単なるその地の目印ではない、その土地自体を象徴するものとしてある、ただ方角地名が多いがそういうものにはない、南相馬市などがそうである。
相馬市の南だとしか意識しないからである。

いづれにしろ駅でも待っている時間があるとそこに人間的な時間が生まれる
鹿島駅とか浜通りの駅は夏でも海からの東風がそよぐから涼しいとういことはある
今は合歓の花が咲いていた
そこで昼寝したりゆっくりと休んで電車を待つのが人間的なのである。

涼しさや海より風や駅に待つ

合歓花そよふく風にゆれにつつ駅に電車を待つ人ありぬ

とある駅木蔭に休み電車待つ北海道の夏旅の思い出

そんなことがあったなとか電車の旅が長いから記憶に残ってる
ただ電車の旅だった早いから何か心に残りにくいのである。外の景色でも印象に残らないのである。
新幹線だと余計にそうなる、それで不思議だったのは仙台から盛岡に行ったとき
岩手山がすぐ近くにあると錯覚したとであり青森の弘前から津軽鉄道で終点の中里に行ったときも近くに感じたのである。これも空間が狭くなった不思議なの感覚である
ただ途中が省かれてしまうから途中は見ていないとなる

まず江戸時代から明治時代の変化は今より大きかった、今良く三〇年前のドラマとかみるが今とさほど変わらない、テレビが見ると小さく旧式だなというくらいなのである。
車も古い型だなと見るくらいなのである。変化がほとんど感じられないのである。
江戸時代から明治時代を経験した人は本当に驚きだったとなる
その変化についていけないもなっていたろう。だから学校に反対したり鉄道にも馬車の人たちが反対したのもわかる

時ということを時刻表で表現できずに字を使ってたというのも発見である
何時というとき字になっていたのだから感覚的には当て字としては変である。
それは万葉集でも漢字にしたとき日本語の大和言葉の意味が失われたとかある
明治には三〇〇〇くらいの造語が漢字で作られた
だからこの変化も大きかったのである。

ともかく鉄道にはすでに百年以上の歴史がありそれをふりかえること時代は歴史である。自分も鉄道の旅が長いから興味がある、鉄道に技術系とかで興味がある人もいるしいろいろである。鉄道はそれだけ文化ともなっていたのである。
だから鉄道が廃止されることは足がなくなったというだけではない
文化も喪失したという感覚になるかもしれない、それだけの影響をもったものなのであるだから鉄道は簡単に廃止していいのかという議論にもなる
鉄道を探求することは様々なことがあるからきりがないとなる


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