駅で感じた全国との連帯感
(必ず外から来た人がいて話して感じた)
今回の津浪や震災でいろいろあったがプラスの効果としては全国の人が仕事であれボランティアであれ集まったことであった
昨日も駅で横浜から来た人と話した、野馬追いのことを聞いたので答えた
その人は野馬追いの期間にいるから見る
野馬追いはみんなに知られて見ているわけでもない
でもここに来たらそれを意識する、宣伝にはなる
こういうことは今までなかなかなかった、全国の人が集まるということはなかった
一旦これだけの災害とかなると全国から人が集まる
その時感じるのは人間が全国的につながっているという感覚である。
駅にいると必ず外部の人がいてそのことを感じる
それはどう影響するかというと全国的につながっている、日本を意識する
外国人も来れば外国も意識する
とにかく日本人といっても何をもって日本人と感じるのか?
それを感じるのは戦争やこうした大災害のとき感じる
それは国難であり国をあげて全国から人が集まりとりくむからそうなる
ここに日本人というか日本国というかそういう大きなものを意識する
これは別に知識人だけではない、現場で働いている人も全国から来ているのだからそういうものを感じる、もともとそういうふうに広域化社会にグローバル化社会に生きていても物が入っているだけでは感じない、人間が入ってくると違ったものになる
外国人でも一人の人間がくるとその国を意識する、それが物が入るのと人が入るのとは違うものとなる
小高辺りとか他でもいろいろな人が全国から来てかかわりかえって外部の人と話して面白いと感じた書いている人がいたがそれも今までは閉鎖的な内部だけで生活していたからである。ただ外部のもの拒否する傾向が田舎には強い
でもこういう状態になるとそういう意識が変えられたとこともある
全国の人が来るし南相馬市の桜井市長が世界的に有名になったように世界的にも影響したのである
全国的にも世界的にも交流が活発化したのである。
するとこの辺の閉鎖的なマインドが心が解放して全国に目をむけるという効果はあった
自分の場合は駅でそれを経験したのである
もともと駅はそうした外部との接点の場所であり交流の場でもあった
それまではあまり意識しなかった、第一外部の人がそれほど入って来なかったからである今もまだ外部の人が来ている
そして自分が外部へ興味をもつというとき全国を隈なく旅してある地域のことをイメージできる、どこから来たかを知るとその場所がイメージできる
外国でも全部ではないにしろある程度イメージできる
やはり一回外国に行ってその地を踏むのと踏まないとの差は大きい
ネバールでも一回行ったからどういう所か実感しているからだ
いづれにし全国意識、日本意識、グローバル意識でもこの辺は大災害によって養われた
それはプラスの効果だった、マイナスとして作用することもあったがプラスの効果もあった、これだけ外部からの人が流入するということはこの辺では経験していないからであるそれで精神的に開かれた地域になったということもある
まず物だけが入ってきても世界でも日本でも目を向けることはあまりないだろう。
人間が入ってくると別なのである。
これはまた観光ではない、仕事を通じて入ってきていたから違っていた
外国の人でもそうである。観光だとただ表面だけを見て通りすぎる傾向がある
仕事となるとその土地と深くかかわることにもなる
ともかく災害が日本は本当に多い、その時必ずボランティアとか来たり自衛隊が活躍したり外部からの援助が必要になる、その時日本全国との一体感を感じるのである。
それは不幸でもプラスの面として働くのである
原発事故は別にして日本は災害が多いからそういう助け合う意識が全国的に必要な国なのである。
タグ:日本人の連帯意識
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