2017年07月04日

押しつけられた強制された人生 (それでみんな人生を後悔する)


押しつけられた強制された人生


(それでみんな人生を後悔する)


人間は生まれたときから何かおしつけられる、第一親からおしつてされる、何々しなければならない、勉強しなければならないとかいろいろなことをおしつけられる
それは必要なことであるからしかたがない、ただ人間は成長しても以前として何かを押しつけられたものとして生きる、親の押し付けが一番にある
親は別に必ずしも子供のことを思うというけど自分の対面や見栄のために子供に勉強でもおしつける、そもそも勉強とは何かといったら親の対面のために見栄のためにするものでもないのである。

子供にとって大人は何かを常におしつけるものとしてある
あなたのやたたいことをやりなさいという親などいないのである。
だから自分は親に関していい感情をいだいていない、ただあなたの思い通りにしないということが家族の中でありそうなったのである
一般的にこういうことせありえないことである。
医者の家に生まれるともう医者になりなさいという押しつけの中で育つことになる
医者になるしかないとまで人生のコースが決められる
そういう押しつけの中で生きることは相当な圧迫感になる

そもそも人間とは他者に対して絶えず何かをおしつける存在なのである。
年頃だから結婚しなさい、お嫁に行きなさい、就職しなさいとかもそうである。
それは別に本人のために言っているのではない、自分の体面のために言っていることが多い、確かにそういうことは社会的に必要であり否定できないしいいことである。
ただ押しつけられるということが何にでもこの世ではある

例えば働かない奴は生きている価値はないとか働いている人は言う、働かない人は泥棒は同じだ、他人の労働によって生きているからだ、そんな奴は許されないとなる
働くことを否定しているのではない、働くことが強制されておしつけられていることを問題にしている
この世の中で別に働くなくてもいいということがあっても生きがいのために働く人はいるボランティアがそうである。働かなければこの世が成り立たない、働かない人はこの世に生きる資格がないとまでなる
働けという押しつけ圧力がこの世で最大のものなのである

押し付けというときそもそも金がなければ暮らしていけないから金がないということは何かをおしつけられる、嫌な仕事でもしなければならない、だからみんな俺たちは奴隷なんだよ、社蓄なんだよと嘆いている
それは社会の最も大きな圧力、プレッシャーが働けということだからそうなる
でも不思議なのは金があれば親の遺産でもあれば働かなくてもいい人は必ずこの世には少数でもいる、その人は働くことを強制されないのである。
そういう身分の人はいる、でもそういう人に対しても働くことの強制がある
そもそも誰かが働いているということはプレッシャーになっているからだ。

この世に生きるというとき絶えず何かこうして他者のおしつけによって生きているのが普通である。宗教なども他者のおしつけである。カルト団体とか組織になるおしつけなのである。それは大きな押しつける力が働いてそうなっている
そのおしつける力は何なのか?別に本来の宗教の求道とかは全く関係ないのである。
政治的組織としてのおしつけなのである。

それは目に見えて社会で勢力をもっているものはみんな押し付けであり強制なのである。戦争だったみんなが戦争をしたいわげではなかった、もちろん戦争したい人たちもいたし戦争にロマンを感じる人はいるしそれはそれで否定はできない
戦争するなということもまた今や押しつけなのである。
戦争をするなという団体が組織化して行動すればおしつけになるのである。
だから右も左も団体化すれば押し付けなのである。
民主主義はただやむをえないものとして多数決で決める、その多数とは押し付けなのである。少数者は多数によって押しつけられるからである。

人間二人でも必ず双方のおしつけがある、双方の価値観のおしつけがある。
そこに対立が生じる、結婚でも対立が生じる、それは様々な押しつけの結果としてそうなる、何かをおしつけないものはいないしまた押しつけられないものはこの世にはない
そしてこの押しつける力が社会で最大限になるときどうなったのか?
ファシズムとなりナチスとかになる、誰ももう戦争を否定はできない
それは強力の圧力となり死が強制されるのである。
その時戦争するという押し付けが圧倒的になりもうその押しつけに逆らうことはできなくり逆らうと社会から殺されるとまでなる

自由を探求してゆく

あなたの思想でも存在でも他者からおしつけられて作られている

すると個としての自由な存在はない、なぜなら他者から押しつけられたものだかである。押しつけられたもの中で思想形成もしている、その本人の思想は何もないとなるからだ
現実にカルト宗教団体でも左翼系の団体でも右翼系の団体でもそれは強力な押しつけるも権力としてさえ強制するものである。
本当に自分の価値観と思想で行動するならいい、他者からの押しつけがあり行動しているすると結果的に右でも左でも操り人形にすぎないともなるのである。

あなたが行動を起すときそうした押しつけられたものではない
真に自主的なものとして自らその価値を知り思想をもって行動する
そうなればその行為は押しつけられたものではない
その行動の価値と意味はその時ゆるがいがないものとなる
ただ右だ左だとおしつけられるものとして行動していれはどっちにしろ操り人形だとなってしまう。

人間はいくら自由社会だといってもこうした押しつける力によって強いられ生きている
真に自由に生きるとしたら労働だって金のためとかにはならない、そこに費やす労働の真の価値を知って労働するのである。そこまで現代で労働していることに価値を見いだしている人はまれだろう。そこに人間の労働の荒廃がある
理不尽な労働が強いられるのは自ら選んだものではなく押しつけられた強制されたものだからである。
趣味のような畑をしている人はその労働は押しつけられたものではない、でも他人の家事手伝いはおしつけられたものだからしたくないのである。
実際はしなくもいいものだからその畑がつづけられている
でも実りはわずかでありそれで一人分の野菜もとれないのである。
でもその女性はその労働を嫌っていないのである。
ただその畑はマイナスの収入でしかない、普通だったらやめているが援助があってつづけいるのである。

結局人生をふりかえるときただ押しつけられた人生を生きているとどうなるのか?
その本人を生きたのかともなる、ただ押しつけられた人生がすべて悪いとはならない
見合い結婚して押しつけ結婚して幸福になっている人もいるからだ
ただ本当に生きるとは他人や組織の強制に生きるのではなく自主的な思想と意志と判断で生きることである
そうして生きた人は不満がないはずである。
不満があるのは他人の押し付けで強制された人生を生きたという人がほとんどだからである。俺は医者になりたくなかった、でも家が医者だから医者にさせられたのだ
別に医者になりたくてもなれないのが普通だから贅沢だとみる一面もある
ただ何でもあれそうして強制された生を生きると後で後悔する
俺は大芸術家に本当はなれたとかなんとか言ってもどうにもならない、人生は一回しかないからである。

そもそも99パーセントは押しつけられて人生を生きて自主的に選び判断して生きた人生はまれだろう。実際はでは自分と一体何を求めているのか?
それさえ良くわからないからそうなる、自分の才能すらわからない、だから才能を開花させた人もまれである。本当は自分にはもっと才能があったというのは本当でもでは自分の才能を追求した人はまれなのである。
こうして不本意な生に終わる人がこの世ではあまりにも多すぎるのである。
結果的にこの世の中はメタンガスのように不満のみが噴出して空気を汚しているのである
自然だと花でも花は自分の本然を余すことなく出して咲いて散ってゆく
そこに後悔はない、自然には人間界のように押しつけるものがないからだ
すでにどういう花として咲くか定められていてそのように確かに花開くのである。
人間にもそれぞれにこうした個性があり花開くのが理想だけどほとんどできていない
別にそれは才能がなければできないというのではない、自らさえ才能の発見が成されていないのである。

清浄の空気の高みに
清廉の花は開く
高峰を望み
夏の日ざしを受けて
本分を尽くして
花は神の御意にかない
天に向き咲き開く
そして天の園でも花は開く






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