2017年06月26日

AIの判断と人間の判断 (データーの処理能力の相違なのか?)


AIの判断と人間の判断

(データーの処理能力の相違なのか?)


AI化はすでにコンピュターが生まれたときインターネットが生まれた時はじまっていたのである。コンピュターがインターネットが人工知能ではないか?
インターネットに接続して知識を吸収していることがすでにAI化した中に入っていることではないか?
インターネットは天文学的な膨大な情報がある、それも日々増加している
それは本の世界とも違う、ただ本でもインターネットのように検索可能にすると本の情報が利用しやすくなる、それも実際はできる

AIと人間の根本的な相違は情報の処理能力である。なぜ将棋でもむずかしいものがコンピュターにもう勝てないのか?それは人間の能力をはるかに超えた情報の処理能力だった
その譜面を記録しいるのが人間にはとても及ばないからだった
つまり人間の記録する記憶する能力はコンピュターと比べるとあまりにも小さいのである人間の記録する記憶する能力は非常に低いのである。

第一人間は忘れる、自分の書いたものも忘れる、それでプログでも何でも書いたものを記録したものを読んでこんなことを書いていたのと改めて発見しているのである。
人間ほど忘れやすいものはないのである。
旅行してもどこに行ったのかもわからなくなる、特に団体旅行だおしゃべりなどしていると回りの景色も心に残らないのである。
だから写真撮ったりメモすることも大事になる、そこから思い出す作業ができるからだ
つまり旅でも何か記憶していないと忘れて行ったということにもならないのである。
それで自分は旅を記憶したものを短歌や俳句や詩にしている、でも記憶していなければできない
でも時がたてばなんでも忘れることが人間の弱点なのである。

コンピュターの優れた面と人間の優れた面がAI化で浮き彫りにされる
例えば株式予想とか天気予報とか何かそうしたものは膨大なデーター処理することによって見えてくるものがある、何か予測するというとき過去のデーターが必要になる
ところが人間はその過去のデーターでも膨大であり一部しか目を通せない
その一部のもので判断するから誤るのである。

それは地震とか津浪でもそうである。その記録でも実際は膨大である、相馬地方でどのくらいの地震があったのか?江戸時代でもあったが小さいと忘れているしまた記録がわずかだからその記録から読み解くことがむずかしい
でもそうした過去の記録はあったが無視していたのである。

現代になると地震でも記録されるからその記録は膨大になる、そのデーターはもう人間では処理できない、大きな地震でも全国的になると震度5などいくらでも起きているからだそういうデーターを処理して予測することがコンピュターにできるようになるのか?
すでに株はAI化して予測している、その膨大な情報からチャートして図を形成すればわかりやすい、一秒感覚で売買して利ざやで稼いでいるいうから驚きである。
それは結局膨大なの情報の処理能力がコンピュターにあるからなのだ

それに比べるとあまりにも人間の情報能力は小さすぎるのである。
すると予測することも判断することも誤ることになる、そして人間の判断能力がAIより優れているとは限らないのである。
例えば戦争でもAIが判断したらアメリカと日本の国力とか総合的に膨大なの情報から判断したら負けるとでる、でも日本では人間が判断すると負けないとなる
その判断は人間だと政治力とか経済とか神がかりなものとか他にも恣意的に判断する
日本は神国だとなれば戦争にも負けないとして戦ったことでもわかる
それはカルト宗教団体ともにている、神の加護、仏の加護があるから負けない
そうして選挙運動している団体もあるからだ

何かそうして人間の判断は不思議に科学者でも非合理的な判断をする
おそらく科学者が科学的に合理的に判断すれば原発事故は起こらなかった
そこに政治的経済的判断が介入してきた、政治家は原発を作りたい、地元の人も金になる仕事が欲しいとして安全を無視する、それは科学的合理的判断ではない
一旦高く土盛りして原発を建てたのにわざわざ金がかかる経済的にコストがかかるとして土地を削った結果として津浪の被害にあった
高い所だと電源が下に置くからコストがかかったからである。
人間の判断にはそうした科学的ではないものが必ず入ってくる
そして「安全神話」が作られたというときもそうである。
それにはマスコミを加担して強力なものとなっていた、マスコミもまた判断を誤らせるこためにあった。

だから人間の判断がみんな正しいとは限らないのである。もちろんAIのコンピュターの判断も正しいとはならない、AIの判断に従ったら致命的なもの人類滅亡になるというのもありえないことではないからである。
ただ原発をAIが予測したらどうなったのか?
様々な見地から膨大な情報を駆使して判断したらどうなったのか?
まず日本だったら地震が多いから建てるべきではないと判断しているかもしれない。
人間の判断はそうはならない、政治的なものや経済的なものや他にいろいろな要素があり判断しているからである。

AIというより科学者が発明したものだから科学的思考が入っている
そして原発でも科学者が判断すれば事故にならなかったかもしれない、そこに政治的なものや経済的コストとか他の要素が入ってきて科学的に判断できなかった
それで湯川秀樹博士が原発を建てるというとき時期が早いと言っていたのはそのためである。現実にアメリカの旧式のお古のマーク1の原子炉を買わされていたから危険だったのである。そして日本ではまだ原発の技術が不十分だったからである。
だから日本では技術的に無理なのに政治的経済的なものでも判断してそれが事故につながった。

何かを判断するとき将棋だったら確実に膨大な譜面を記録してその情報から判断している駒一つどう動かすかの判断が膨大な情報からしている、すると人間が記録しているのは記憶しているのはわずかだから人間の判断は誤るとなる
それは将棋という限られたものゲームのなかだから解析されてもうコンピュターには勝てなくなったのである。
ただ判断をすべてコンピュターにゆだねることはできない
でも人間の判断も誤るとういことである。それが甚大な被害につながる、戦争でも300百万人死んだとか今回の原発事故とかなる、それは科学的な判断ではない
政治的経済的なもの神ががかりなものなどの判断が加わるからである。
また民主主義は大衆のファナテック(狂信的)なものが加わりナチスのようなものにもなってくる
そこではもう科学的合理的判断はできなくなり甚大な被害となる
もしかしたらAIだったらそんなあまりにも馬鹿げた恐ろしい戦争などするなと判断する
でも人間はそのAIの判断には従わないのである。


posted by 老鶯 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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