2017年06月18日

少子高齢化社会が震災の復興をできなくさせている (南相馬市の高齢化率は53パーセントで一番高い方に)


少子高齢化社会が震災の復興をできなくさせている

(南相馬市の高齢化率は53パーセントで一番高い方に)

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40代以下津浪のの死亡者(南相馬市原町区萱浜(カイハマ)

年齢が判明している15,331人のうち 60歳以上の高齢者は10,085人と 65.8%を占めているまた、東日本大震災における震災関連死の死者数は、平成 24(2012)年 3月31日までに1,632人にのぼり、このうち66歳以上が1,460人と全体の89.5%を占めている。


例えば、母の実家のある集落は現在は約100人しかいない小さな村。昨年夏のお盆時期に1年ぶりに帰省したときには、そのうちの10人が他界していました。1年間で、村の人口の1割が亡くなっていたわけです。そして、その集落の最年少が56歳

宮城県塩釜市の58.0%。宮城県女川町55.1%、福島県南相馬市53.5%、宮城県七ケ浜町50.1%と50%以上は4市町。40%台は13市町村、30%台も13市町村あった。


ここのサイトの統計数はわかりやすい、本当に南相馬市が一番くらに高いのである。

高齢化率は六十五歳以下の人口が多ければ下がる、ただ老人の六十五歳以上の割合は三分の一となり30パーセントが平均である。
三人会えば一人は65歳以上である。
ともかく南相馬市53.5%は岩手、宮城、福島県のなかでも一番高いレベルである。
この高齢化が復興はばむ原因になっている

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小高の70以上の人は復興のことなど考えない、金をもらうこととあとは遊ぶことだけである。今度は沖縄に行くかなど遊ぶことしか考えない
かえって補償金で金に余裕ができたからそうなっているのである。

駅にいると鹿島の競輪の券売り場に行く人がいる、駅からタクシー利用してゆく
何もすることがないから老人が金あればパチンコだとギャンブルとかに費やしている
復興などなんにも考えていない、それは仮設に入っている時から変わっていないのである復興を考えて実際に実行しているのはほんのわずかなのである。
ボランティアが一番復興に熱心であるというのも皮肉である。
でもその人たちも一時的なものとして帰ってゆくのが多いのである。
第一そのボランティアも60歳以上が大部分なのである。
そこにもつくづく高齢化社会だと思った
74歳の人も来ていたし今に80歳のボランティアもいるようになるかもしれない
何か猫背になり歩くのも楽でない女性がボランティアで来たけどただ祭りを見に歩いている女性だった、それで土地の人から断られたというのもわかる
室原の人は何か地区の人が集まり拠点を作り復興しようとしているみたいではある。あそこはまだ街からそれほど離れていないからか養豚をしていた家である

浪江でも南相馬市だと近いから自分の土地を見に行っている人はいる、それで徐々に復興に向かうのか?それより老人が多いのだから復興に向かおうとしても苦しい
老人は苦労はしたくないのである。苦労する力もないのである。
この先どれくらい生きるかとなると苦労したくないし余生を楽に過ごしたいとなるからだだから小高や浪江のような所に帰りたくないとなる

この高齢化とは震災前から起きていたのである。それが震災でさらに打撃が加えられた
戦争で焼け野原になったときなぜ復興できたのか?
その時若い戦争引揚者が大量に帰って来た、その人たちが結婚して子供を産んだ、それが団塊の世代となり今は高齢化しているのである。
あのような焼け野原でもその時若い人が多く、子供もその時多かったのである。
それが今の高齢化社会とはまるで違ったものになっていたのである。
その若い労働力が高度成長になり日本は豊かになったのである。
今度は逆に団塊の世代が高齢化したとき日本は少子高齢化社会になり衰退しているのである。

津浪で死んだ人をみると本当に70以上が大半でありまた60以上も多い、その中でわずかに10歳以下がいたりする、20代も少ない、その割合が極端なのである。
だからそもそも震災がなくても津浪がなくても集落を維持できたかとまでなる
それだけすでに子供も若い世代もいなくなっていたのである。
それに津浪や原発事故が拍車をかけたのである。

なぜ復興が遅れているとかできないのかとなる若い人は流出したからである。
戦争のときあれだけ焼け野原になり何もなくなったのに復興できたのか?
それは若い人は多くその若い人は子供を作りその人たちが成長して高度成長時代の労働力となったからである。
復興というときいろいろあるがインフラの整備をまずしようとしている
でも復興が遅れているというとき人手不足とか資材の高騰とかありそれが足かせになっている、労働力がたりないというとき少子高齢化だからである。
老人ばかりで社会に活力が生まれない、介護で若い労働力を使われるようでは日本の経済も衰退してゆく

経済でもやはり人口が基礎のデーターになる、一万以下になると町が維持するのがむずかしくなると計算される、そういう町が増えてくるのだ。
そしてもう今までの町でも村でも同じように復旧するのはむずかしいとなる
別な新たな発想でコミニュティを作り直すということが言われる
それもそうである。小高とか浪江でも宮城県でも津浪だけの被害地でもそうである。
もう今まであったものを復旧することは復興ではない
新たな今までにない市町村の復興である。そもそも元にもどる復旧ができないからであるつまり前あったものを元にもどすのが復旧であり復興は新たなものを興すということである。それは農業は会社経営にしないと成り立たないとなっているようなことである。
それは今までのコミニュティ感覚の農業でなくなっているからだ。

そもそも高齢者が津浪で死んだ人が多かったというときそういう人口割合だったのである子供も極端に少ない、若い人も少ない、60以上とかの老人が大部分だったから割合として老人の死が目立ったのである。
新地の駅前開発でも工事がとまっている、やはり人手不足とか資材高騰とかなにか復興が遅れいてる、進まないのである。
新地駅は復旧ではなく新たに復興したから良かった、新地には若い人が住みたいというとき流出も少なかったのである。だから新地は復興に成功したとなる
他は遅れいてるし復興がなかなかできないのである。
高齢化率が25パーセントと低いからである。南相馬市の高齢化率はその倍だからいかにここが違っていて復興できないか一目瞭然なのである。




posted by 老鶯 at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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