2017年06月14日

メカニカルなものとヒューマンなもの (AI社会でもヒューマンなものが残る)


メカニカルなものとヒューマンなもの

(AI社会でもヒューマンなものが残る)


現代はなんでもmechanicalなもの機械化することが多い、人間にとって機械は欠かせないそれで今は本当に人間社会は全自動化を目指して人間は働かなくてもいい社会になる
それが本気であり夢物語でもなくなっている
その時人間は何をするのか?人間はいらなくなるのか?
そもそも人間とは何なのか?そういうことまで問われる時代となる

それを英語でmechanical comnicationとかmechanical workとかmechanical learning
とかmechanical responseとか前にmechanicalをつけるとわかりやすい
その反対がhuman comnication human work とかなるからである。

それを駅で考えると mechanical stationとhuman stationになる
なぜなら無人駅でも自動化しているからそこはall mechanical stationなのである。
人間はいないのである。これからの社会はそうなってゆく
鉄道はローカル線だともうからない、だから極力人間を雇わない、全自動化した方がいいとなる、それで実用的にできる、実際そうなっている駅が多くなっている

ところが今日の鹿島駅で報告したようにそこに人間的なものが必要になる
盲人が一人定期的に通っている、その人が乗るとき危険なのである。
それで導いてやる必要がある、それは機械にはできない、そのことで盲人団体が無人駅化に反対しているというのもわかる

駅で感じたことは人間は無人化してゆく、機械化してゆく、駅でもスマホを見ている人が多い、すると回りも機械化しているしそこにいる人間もスマホだけと会話しているとかなる、もう人間はいらないとなる
でもそうなるとどうなるのか?人間的なものがない駅は何かが欠けているとなる

それで中学生が近くにお菓子屋があったとき腹が減って食べたいということを言った
それは貧乏ではない、たまたま金をもっていなかったのである。
それで買えなかった、それで自分が買って食べさせてやった、それがヒューマンなことだったのである。
自動化して機械化したらそういうことはなくなる、ただ機械化して自動化した駅を機械的に通りすぎるだけになる
そこにその駅の印象は消失するのである。
人と人は会話も情もかわさなくなる、人間なんていらなくなる、そしてロボットが観光案内でもするようになる、それも必要だがやはりヒューマンなものがなくなるということはありえないのである。

ただこれは駅だけの話ではない、どこでもこういうことが起きてくる病院でも学校でも店屋でも日常的に起きてくる問題である。メカニカルなもの自動化するとヒューマンなものは何かとかえって問われるのである。
そしてそのヒューマンなものの価値が上がってくる
医者でもAI化して診断するときでも医者の価値はヒューマンな対応が問われる
それが何かというとき医者はもう病気に対して処方するより人間的な対応がより求められるから悪いとはならないしそういう適正がないとすると医者失格にもなる

そういうことはどこの職場でも起きてくる、今だってすでにメカニカルなものの中で働いている、それが高度な仕事と思われるものも機械化するからだ
すでに翻訳は機械翻訳を参考にして翻訳者は訂正しているのが仕事になっているのだ。
いくら機械化してもそこにまだ人間がかかわる余地が残るからだ。

でもそもそも人間的なものヒューマンなものは何かというとき明確ではない
例えば情報というとき情に報えるというとき情報はただ機械を通じて伝えられるものではない、情報はまさに人間の情を通じて与えられるものである。
ただ道を教えてもそうである。だからこそありがとうと言うのである。
機械にスマホになればそれもなくなる、人間はいらない、土地の人でも教えてもらう必要がない、そこにはもう人間の情は通わないとなる
そういう世界とは何なのか?殺伐とした世界となってしまうだろう。

別にAI化の前に機械化するということは何か人間的なものを奪われるのである。
車社会になると歩くということがなくなる、それで街はシャッター通りになった
歩くということが人間的に見えるというのもあまりにも機械化したからメカニカル化したからそう見えるようになったのである。歩くことはもっともヒューマンなこと人間的なことだからである。
歩いて旅した時代なら世は道連れとかなりそこに人間的な交流が生まれるが車では生まれないのである。ただ通りすぎてゆくだけだとなる

そもそも全自動化店でロボットがそこにいるだけの店に人は行くとしてもそれだけでは満足しない、それでかえって人間的な対応してくれるサービスをしてくれる店を求めるようになる、だからこれからの商売は自動化する機械化する店と人間的対応する店とに分かれる、いくら機械化しても人間的なものヒューマンなものを求めるからである。
かえってそういう店が繁盛するということにもなる
自動化した店は店として利用してもまた人間的な店も残るのである。
それはどういうものかわからないけどそういう商売はなくならないのである。
かえって機械化するとそういうものが歩くことが人間回復になるように求められるからである。

飲み食いするにしても人間はただ腹を満たすだけではない、そこで会話したりすることが人間的になる、だから何か一人暮らしだとそういう場を求めるようになる
ただ飲み食いするだけではものたりないのである。
そこに人間的なサービスがあればいいとなるのだ
これからの世の中は機械化するけどスシだって実際に回転寿司となるとそうなっている
でも何かそういうものでは腹を満たすだけで満たされないということもある
そこに人間的なものを求めるのが人間たる所以なのである。

家庭でもすでに家事は機械化している、一人暮らしても家事は困らないのである。
オカズは買えばいいし料理はめんどうでもそれも機械化してゆく
その時妻の役割は何になるのか?お手伝いさんとか今はいらないのである。
だから一体なぜ皿二三枚洗うのにも雇う必要もないのである。
それでも人間的なものが必要になる、より人間的なものの価値があがる
一人暮らしだと淋しいからやはり女性がいると安らぎがあるとかなる
いるだけでもいいとかもなっているのが一人暮らしなのである。
ロボットと対話しても人間の代わりにはならないからだ
そこで求められるのは家事をすることではなくなっているのだ。

ともかくこれからの経済は社会は機械化であれ自動化であれAI化であれさらにすすむ
でもその反面人間的なものがかえって強く求められるのである。
するとその人間的なものは何か問われる、人間的なものの価値がかえってあがる
すると機械的なものと人間的なものとの区別をして対応する必要出てくる
そこに価値観が変わるからだ、それにどう対応するか教育ですら変わらざるをえない、
それは悪い方ばかりになるとはならない、なぜなら人間的なものがかえって価値あることは悪い社会ではないからだ。
そういう人間的なものが一番欠けた社会で殺伐としたとなった社会だからである。



posted by 老鶯 at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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