2017年06月13日

鹿島駅のトタン屋根がいたんで直す (鹿島駅の駅舎もレールが使われていた)


鹿島駅のトタン屋根がいたんで直す


(鹿島駅の駅舎もレールが使われていた)

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網は安全のため

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ここのトタン屋根も直すーレールの梁
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レールの柱-ここは気づきにく

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ここのトタン屋根も直す

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明治29年に製造とある


レールの製造は国産化が難しく、しばらく輸入の時代が続いたが、1900年(明治33年)に官営の八幡製鉄所が設立され、翌年11月からレールの生産が開始された」

多摩川(六郷川)の六郷川橋梁も、当初はイギリスから鉄と石材を輸入して架けることにしていたが、予算削減のため木橋に変更された


東京の駅もレールを使っている

お茶の水駅(レールがふんだんに使われている!)
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トタン屋根がいたんで直す作業がはじまった。その範囲も広い、鹿島駅の駅舎は明治29年に建てられたから古い、今日良く見たら駅舎は鉄道のレールを使って作られていた。
それは原町駅がそうだったがここもレールを使っていた
これは東京の駅でもレールを使っている、お茶の水駅はレールの駅だった

「お茶の水」の語源は「お茶に使われる水」。現在お茶の水と呼ばれている場所には、高林寺というお寺があったんだ。そこにはきれいな水がわいていて、それを当時の将軍徳川家康に献上したところ、家康がとても気に入り、その水をお茶をたてるときに使うようになったんだって。

お茶の水というのにもこういう謂れがあった、インターネットでは調べやすいから知識が増える

「こちとら江戸っ子でぇ、水道の水で産湯を使ったお兄いさんよ♪」
という啖呵はこの水道の水だったんだそうな。

水道がすでに通じていたのが江戸だった、ローマ帝国の水道が石ではりぷくらされていたように水道は文明の基本にあるとすると江戸は文明都市だったともなる

何でも昔を偲ぶことは歴史を知ることである。それはささいなことからはじまる、むずかしいことだけが歴史ではない、身近なものにも常に歴史がありそれを発見する作業が必要になる。東京は歴史がわかりにくがこういう所に歴史があり興味が湧いた
別にお茶の水駅とかには何回も学生時代おりたがこんなことに興味をもたなかった

鉄道マニアなどコミ障の人が多いとか批判される、ただ人間はつくづく身近なものを見ていない、灯台下暗しなのである。だからこの鹿島駅でもここにも鉄道のレールを使われていたのかとはじめてわかった。他から来た人も必ずしも見ていないだろう。
何かわかりにくいからだ。

そもそもなぜレールの柱を使ったのか?明治30年にはまだ日本で鉄のレールが作ることができなかったのである。輸入品だったのである。それは主にイギリスから輸入したとなるイギリスで鉄道が作られたからである。だからイギリスの鉄道は明治以前からあり古いのである。
このレールの柱から感じたことは日本はその時貧乏であり鉄のレールが作れていないということだった、だから貴重だから柱にも使ったのである。鉄の柱も作れない時代だった。そこに歴史があったのだ。
人間は今だけに生きるのが多い、しかその今が実は歴史の積み重ねがあり今があることを忘れている、ただこうして鉄のレールが柱などに作られていることで昔をしのぶことができるのだ。

いづれにしろ鉄道はその保守管理に駅でも駅舎がありホームがあり高架の通路があり待合室がありとか金がかかるのである。
鉄道はレールだけのものではない、駅舎もホームでも鉄道の一部なのである。
だから絶えず人が来て保守管理が必要になるのだ。それで鉄道が維持できなくなるというときそうしたことに金が人手がいるからそうなる
阿武隈急行が維持できなくなるというのもわかるのである。
鉄道のインフラの維持は金がかかりすぎる、その割には乗る人が車の時代になり少なくなりすぎたのである。

橋にしても鉄か石で作ろうとしてもできなかった。木の橋にしたのは安上がりだからだった、そういう時代があったということも歴史をふりかえる意味がある。

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