2017年06月12日

駅で柏餅を中学生におごる (与えるにはタイミングが大事)


駅で柏餅を中学生におごる

(与えるにはタイミングが大事)


今日はなぜか受験のために仙台の中学生が来ていた、三年生の二人だった
途中鹿島駅によったらしい、そこで一時間仙台ゆきが待つことになったのである。
何か一時間くらいローカル線だと待つことがある
その待つ時間が人間的なものを産み出す契機となる

その女子中学生は前にお菓子屋があったが腹減っていたが金がなくて買えなかった
金をたまたまもってきていなかったみたいなのだ
だから駅前の菓子屋を見て食べたいと言っていたのを聞いた

それで自分は柏餅を買ってきて食べさせてやった、一個百円だった
それはもらった人は意外だったろう
自分も今までそんなことをあまりしていない
何か自分がもらう方であり与えることがなかった
常に与えられ方だったのである
自分はだからもらったり与えたりするのが苦手なのである。

子供をもてば与えることは義務になるしそれは喜びである。
そういう経験もないというとき自分は与えられの常だったのである。
でも親の介護になったときはじめて与える側に立ったのである。

人間は与えるのももらうのも与えられることもむずかしいのである。
与えられる時は遠慮なくもらうべきである。
その人はその時与えたいし余裕があるからだ
金銭的余裕がある人は与えたくなるのである。
自分は遺産を受け継ぐまでそうした金銭的余裕がまるでなかった
だから常に与えられる側にあったのである。

与えられる、もらうことの上手な人はいる、でもそれが全く遂に遠慮もなくただ与えられることが当たり前となりそれより子供のように何でももらえるとねだるようになる
借金でもいくらでも要求してくるから与えるのも実際は金とかなるとむずかしくなる
金のやりとりほどめんどうなことはないからそこで金の切れ目縁の切れ目になるのがあまりにも多すぎるのである。

つくづく人間は与えるにしてももらうにしても何かめんどうなのである。
与えるにしても相手が嫌がることだってあるし別に金があるから買うからいいともなる
なぜ今回は与えられたのか?それは相手が中学生であり昼間ちょうど金がなく腹をすかしていたからである。そういうタイミングが大事なのである。
人間はつくづくタイミングである、旅とかなると一回しか機会がないことが多いからその時しかタイミングがなかったことに今になると気づいた
でも自分は何かそうした出会いのタイミングを逃したのは失敗だった

人間は変化するものであり状況も常に変わっていると書いた、そのことはタイミングを活かすことがいかに大事かとなる、そのタイミングを逃しているのが多いのである。
与えるにしても与えられにしてもタイミングがあるのだ
それを逃すとどっちもできない、その機会を逃してしまうのである。
人を助けるにしてもタイミングがある、その機会を逃したら後は二度とないのである。
自分が苦しんでいるとき誰も助けてくれなかった
それも自業自得、自分のカルマだったのだけどもしその時助けられていたら恩人となり
終生恩義を感じることになったのである。

意外とそういう機会を逃しているのが人間である。その時来た人は借金とか金がなくて苦しんでいるからできなかった、相手が苦しんでいるときチャンスになったがそれは助けることでなく相手の弱みにつけこむだけだったのである。
相手が困ったとき助けるというとき必ずしも金だけではないだろう
何か金でなくてもできることはある、津浪で苦しんでいたとき泥かきなどをして助けた人は恩義を感じている、恩人だとかなる
恩人になる機会は実際は人生の中でなかなかない、そういうタイミングがあったとしても逃しているのが多い、自分とは関係ないとなりちょとしたことで助けないのである。
そのことは自分が病院に入院するときその人はともかく金が欲しい欲しいしかない金をもらわなければなにもしたくない人だった
だから軽い荷物でももつことを嫌がっていたのである。
そんなことすら人間は他人のためにしないのである。
それも金の余裕とか心の余裕がないからできなかったのである。

もしかしたらこうしたちょっとした親切でも思い出となり鹿島駅のことが記憶されるかもしれない、これはどうでもいいことだが何か小さな駅は人情の駅になることがある
大きな駅はただ通りすぎるだけだからである。
確かなことは今は自分は金銭的にも与える方になっている
その金は無理したものではないからだ、ただ有効にタイミングが良く与えることがむずかしいのである。
だから与えるというとき大きなものでもなくてもささいなものでも効果的な場合がある
それはタイミングが良かった時なのである。
今回はたまたまそういうタイミングがあって与えることができたとなる
自分は与えるにしても与えられるにしても何か苦手である。
社交性がないというか何かうまくない、でも今回はタイミングが良かったからできたとなる、こういう時は与えても恩着せがましくなるとまた相手も嫌になるだろう。
それが中学生とかでありうまくいった、子供なら与えても当然だとなるからだ。

タイミングとは運なのである。株でもタイミング良く買えばもうかる、そのタイミングを逃せばもうけも逃げる、男女の出会いもタイミングである
そのタイミングを逃すとあとは二度とないとかなる、そして一生は短いからタイミングもねんなにない、だからこそタイミングを活かした人が運が強いとなる
運はタイミングなのである。タイミングを活かせないものは運もないのである。
あの人は運が強いというきタイミングを活かした人なのである。
商売でもそうであり何か幸運になるのはタイミングが良かったからだとなる
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