2017年06月12日

人間関係も外交関係も何でも日々変化している (人間はその変化に気づかない)


人間関係も外交関係も何でも日々変化している


(人間はその変化に気づかない)


人間というのはも日々変化している、その情況も同じではない、家族でもその情況は常に変化している、なぜなら子供が成長するから変化している、いつまでも同じ状態のものはこの世にはないのである。
人間関係も常に変化するのは情況が変化するからである。
自分はこれまで介護とか自分の病気とかで弱い立場にありその弱いが故にそこにつけこまれてひどいめにあってきた、でもその時は何もできない状態だったのである。
でも介護が終わり自分の健康も回復したとき違ってきた
何か頼る必要がなくなったのである。弱い立場ではないのである。
でもそういう変化に気づかず相手は弱いと思いつけこんでくる
それは相手の変化を見ないから察しないからそうなる
そして今度は反撃されることがあるから注意すべきである

つまりこの情況というのはあらゆる所で変わるのである。日々変わっているしそれが良くわからないのである。
外交関係でも常に変わっている、なぜなら中国との関係でも10年前と今では全く違った情況が生まれている、10年前だと中国があんなに発展していないだろう
すると日本ではまだ中国は貧乏国の後進国だと見てしまうのである。
10年すぎる中国はみるみる変わってしまっている
いつまでも世界は同じ情況になっていない、人間はその変化に対応できないのである。
イギリスもいつのまにか衰退してしまっていた、それでも大英帝国がなおあるように錯覚するのである。
日本とアメリカの関係もいつまでも同じではない、そんなにいつまでも日米同盟がつづくとは限らない、どこかですでにその情況は変わっている
それは中国の関係でも韓国の関係でもロシアの関係でもそうである。

ともかく世界は常に変わっている、この辺は津波と津波や原発事故でまるで変わってしまった、ただその変化に対応できないのである。
避難解除になったからといってすぐに帰れるわけではない、その心境とか情況も常に変わっているからだ、仮設に住んで復興住宅に住むことでも変わっている
そういう変化がこの辺は激しいのである。だからどういうふうに対応していいかわからないとなる

科学技術の面でも常に変わっているからこれについてゆくことも年取ればむずかしくなる老人は時代に技術についていけなくなる、だから老人は金をもっていても弱者化してゆくのである。時代の変化に対応できないからである。
車社会になったとき車をもっていないものは弱者になっている、だから老人でも車を80でも90でも運転しようとする、弱者になりたくないからである。

人間関係でも家族関係でもなんでも常に情況が変わってゆくことがわからない、すると突然離婚になったり何か破綻したりする、それは突然そうなったのではなく情況が変わるからそうなる、離婚でも経済的に苦しいからできないとなっていても何かで経済的に自立できるとかなると離婚になる、情況が変わるからそうなる

あらゆるところで情況が変わり変化してゆく、強いと思ったものが弱くなり見る影もなくなる、老人になるとそうなりやすい、そういう親が老化して弱者になることをまざまざと見たとき信じられないとなるのだ。
あらそるものは変化である。その変化に気づかないから相手が弱かったからいつまでも弱いと思っていると強くなっていることがありそのために今度は逆に攻められてひどいめにあうことにもなる

人間関係もいつも同じではない、それはそれぞれの情況が変わっていることに気づかないのである。それで突然変わったとかなる、それは相手がいつも同じ情況、状態にあると思っているからである。
個々人の単位でもそうだが国の単位でもそうである。今の日本は高度成長時代の日本とは違う、子供の貧困が6人に一人もいるとかなるとなんでこんなに貧乏になったのかとなる
そういう情況があることをなかなかのみこめないのである。
それは過去の繁栄を経験した人は余計にそうなる、なんでこんなに日本は落ちぶれたのかとなり信じられないとなるのである。

人間は情況を変化を見誤ることが致命的なにる、夫婦でも友達関係でも何でも情況が変わるからいつまでもつづくとは限らない、友達も結婚すれば別だとなる、
そして結局人間の関係は金の切れ目が縁の切れ目であり仏の顔も三度までとかなり縁も切れるのである。仏の顔が三度までというとき相手はいつまでもその人が仏のような人とと思いつづけている、でも情況が変わるし同じことは何度も聞かれないのである。
もういいかげんにしてくれるとなり切れるのだ。
人間の関係はまず常住なものがない、切れやすいのである。
それがこの世の人間関係だとつくづく思う、ただ家族は60年つづいたからその歳月故に死んでもつづいていることがある。その絆は死んでも切れないのである。
他の人間関係はつくづく金の切れ目が縁の切れ目とかなりやすいのである。
この世の人間関係の無情がある

だから外交のむずかしいのは相手の国でも常に情況が変わり変化していることを見誤るからである。アメリカでもトランプ大統領になったとき変わったがそれがどのように変わるわからない、アメリカの変化がわからないのである。
そのことから外交でも見誤り失敗するのである。
それほど人間はとりまく情況が常に変化している、それに対応できない、相手を察することもできないから失敗する
仏の顔も三度までというとき金を貸してくれたらまた貸してくれるだろうとなる
それも三度まででありそれ以上はないというということを思わない
それで金が貸してくれないというときその人は愕然として怒りにもなるのである。
なぜ変わったのだとなるがそういう情況を作り出していたことに気づかないのである。


何か巨大な勢力でも権力でもいつまでもつづかない、だからいつまでも今ある権力があると思うと失敗する、たちまちそのような権力も雲霧消散するからである。
まるで幻のように消えてゆくのである。そういう変化を人間の歴史はこれまでつづけてきたのである。津波でも原発事故でもそういう大きな変化でありもう対応できなくなっているのだ。
津波でも原発事故でもそれだけが変化ではとない、過去には二度の戦争があったし過酷な変化がありそのために犠牲になった
そういう変化があるのがこの世でありさけられないとみるべきだったのである。
でも平和がつづくとそれがいつまでもつづくと思ってしまうのである。
平和であることこそがまれなことなのである。
むしろ一生の間にはこうした大きな変化に見舞われることこそが人間社会でありそれは歴史をふりえればわかる
その変化こそが人間の歴史であり繰り返しだったのである。


人間万事塞翁が馬  (じんかんばんじさいおうがうま)

「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである。」という事です。

原発にしてもこの辺では悪いものではなかった、富をもたらすものだった、それが事故になったら一転して大きな災いとなり苦しむだけだとなった
でも見方によっては他に移っていいと思っている人もいるかもしれない、多額の補償金をもらって良かったと思っている人はいる。
原発事故でもすべてが悪いものとして働くだけかとなるとそうでもない面があるかもしれない。この辺などは前よりスーパーが二軒新しくなったりといい面があったからだ。
もちろん悪い面の方が多いのだが町自体が急激に衰退するということはなかった

ともかく人間は情況が常に変わるからこういうことが起きてくる、何か幸福になるのか不幸になるのかわからないのである。まず幸福の原因が不幸になり不幸の原因が幸福になっていることは普通にあるしみんな経験している
自分が幸福だったことが苦しみのどん底に落された。親が二人死んでただ苦しみしかなくなったのである。30年間の幸福は一瞬にして消失したのである。
それは津波や原発事故でもそうだったのである。
有為転変をまねがれえないのがこの世なのである。人間の歴史自体がそうだったのである
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