2017年06月07日

ゴミ集積場のトラブル (これも民主主義の自治が関係していた)


ゴミ集積場のトラブル

これも民主主義の自治が関係していた


隣接地がゴミ集積所になっていることを分かっていて土地を購入しましたが、想定し得ない近隣の住民が増えたことで、ゴミの量が圧倒的に増えました。」「仮にこちらが「もう、自宅前はゴミ集積所としては提供しない!」「清掃局は戸別回収に応じるを言っている!」と近隣へ主張した後でも従前の場所にごみを捨て続けられたら、不法投棄で訴える事は出来ますか?」といった相談が見られます。離婚・男女問題分野に「近隣 ゴミ集積所」に関連する相談が多く寄せられています。


10年前、土地の一角にコンクリートのゴミ置き場(不動産会社所有)が隣接している家を中古で買いました。当時、ゴミ置き場があるから安かったという事はなかったです。今までは、収集日にカラス対策として網を被せていましたが、最近ゴミを捨てている近所の方達が、そこに固定式のゴミ箱を置きたいと言いに来ました。景観や不法投棄の心配から反対していました


においの問題はゴミ集積所までの距離と言うより、風向きがかなり影響すると思われます。
幸いうちのゴミ集積所は、まれにですがカラス等でゴミがばら撒かれても、近所の人が率先して片付けをしてくれるので虫とかの被害もありません。


「自ら処分しない一般廃棄物については、その一般廃棄物処理計画に従い当該一般廃棄物を適正に分別し、保管する等市町村が行う一般廃棄物の収集、運搬及び処分に協力しなければならない。」

もし何の法律も条例もなければあなたはあなたのお住まいの市や町のどこのゴミステーションに持ち込もうがあなたの自由になってしまいますね。でもそれは許されませんよね。と言うことは何らかの法律か条令が存在していると考えるのが妥当ではないでしょうか。


自分の家の前がネットをかぶせたゴミがカラスとか猫に食い荒されて道路一面に広がった自分の家の前なのでそのつまにしておけず掃除した、車も震災以後は通る場所になったので困る それが度々そうなっているから困る
このゴミ集積場の問題はなんかめんどうだった

●利用している人が明確ではない

●組が四つくらいに別れている

●設置する場所が問題

●市では金の援助はするがあとは地域で決めろという

ここのゴミ集積場は誰が利用しているか明確ではない、組の人が数人はしているが他の組もしているしそれが三つ四つくらいの組に分かれている
車で遠くから捨てに来る人もいる、その人は組の人で遠くに移った人である。
だから組の問題でもない、近隣の問題なのである。
それよりゴミを捨てる人の問題である。利用者の問題である。
でもその人たちが誰かわからないのである。

そしてなぜここにゴミが増えたかとなると近くの空家に外から来た労務者が住むようになったからである。九人も住んでいるという、となるとゴミの量も増えたのである。
これもこの辺がまだ工事関係者入ってくることの問題だった

市の環境課に相談したが設置する場所とかはゴミを捨てる人たちで決めてほしい、その場所に問題がないなら費用の九割は支払うという、でもその設置場所が問題なのである。
街中ではそういう場所がなかなかない、それで網をかぶせるだけとなる
するとカラスとか猫に荒らされるのである。

道に設置しようとしたらそれも所有者がいるとか人に迷惑になるとかで問題だった
道でも通行権はあるとかの法律も学んだ
このゴミ問題はそれを利用する人たちの自治が要求されているのである。
住民の自治がないと市の方では金は出すがなにもしないとなるからだ
これこそまさに自治が要求されるから民主主義だとなるのかもしれない。
でも自治となると住民の合意になるからその手続きもめんどうだし誰かまとめ役が必要になる、自治といってもみんな勝手なことを言っていたらまとまらないからである。

つまりゴミを捨てる人に責任がある、その責任を果たす必要がある。ゴミ捨てる一人一人に責任がある、その責任を自覚することからはじめねばならない
それは確かに民主主義になる、一票が平等に与えられているがその権利はあるが責任も生じているのである。
ここではそれが具体的な問題として現れているのだ
だからゴミを捨てる人を特定しなければならない、なぜならその人たちが利用しているから責任が生じているのである。

なぜこれほどゴミ集積場でもめているのかとなると明確なルール、法律がないからであるまたそれも決めにくいからだろう。そこには様々なその場その場の問題が生まれているからである。だからルールが作りにくい、するとゴミを捨てる人たちでルールを作り監視してくれとなる
でも組という明確な組織もないからめんどうになる
何かここにも法律問題とか政治とか民主主義の問題がある
政治というと国政になるが卑近なところにも政治があり民主主義がある。
そこで学ぶことがかえってある、法律も具体的な問題の中で身につくしわかりやすいのである。
自分が理論好きである。だから法律も勉強すれば興味をもったかもしれない
社会の問題もこれも学問としてあるからだ
具体的な社会の中で活きる学問があるからだ

民主主義はともかく自分たちの利益、権利を主張することに傾きすぎた
ゴミを捨てるとしても何かを利用する権利があるとしてもそこに責任が生まれる
それはささいなことでもそうである。
漁業権にしても海を東電に売り渡す権利があるのかと書いたがそれだけの権利が生じるとなると責任も問われることになった、だから今になると漁業者への反発が大きくなったのである。今までは知らないし何か被害がないから感じていなかったのである。

責任というときだから国政を担当するとなるとその権限も大きくなると権利も大きいと責任もそれに比例して重くなっているのである。
何か権利があるというとき必ず責任が付随している、その責任を誰が負うのかとなる
それは原発事故でも問われてきたのである。




posted by 老鶯 at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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