鹿島区のの独居老人死亡
( 増える独居老人)
コンビニにきていた這って買い物していた老人が死んだ
這っていたがコンビニの人は助けないし何もしない
それで自分が車まで助けて乗せた
車に乗れるから買い物に来れた
そして家は荒れて住めなくなって車で寝起きしていたという
その家は蔦が這って伸び放題だった
もう買い物もできない、するとどうなるのか、誰か助けなければ生きていけない
姉か妹かが東京にいたらしいが遠くて援助できない
そしてその後どうなったのか?
それはわからないが車の中で死んだのか?どうして死んだのか?
これが独居老人の恐怖である。
誰も助けない、隣近所も助けない、福祉関係が来てめんどうみたのか?
それも今はこの辺は特に人手不足だから施設に収容できたのかどうかわからない
遠くの親戚はあてにならない、そして最期は孤独死になったのか?
孤独死でも近くに親戚とか子供と兄弟がいるといい、東京辺りではどうにもならない。
ともかく独居老人は増大している時世である。
特に原発事故周辺で避難区域になったところでは若い人たちが流出して復興団地に取り残されたのは老人が多い、一人暮らしが多い
この辺では全国平均より10パーセント65才以上が多いのである。
そして介護関係とか看護師不足だから余計にめんどうみきれないとなる
そこで老人は独居老人は野垂れ死にのように死んでゆくほかない時代になる
這って歩いて買い物にしても誰も助けもしないし関心もないのである。
そういう時代になったとき放置されて孤独死が増えてくる
田舎でも隣近所などあてにならないのである。
同級の人は脳梗塞になり脚をひきづって歩いて買い物していた
あの人も車は運転できるから車できて買い物している
となると車があれば脚が悪くても買い物はできるのか?
自分のように自転車だとのれなくなったりする
歩けなくなったら買い物すらできないから一人で生活できなくなる
一人暮らしにはそういう恐怖がある。
今はとにかくそういう人を見ても田舎でも無関心である。
それで自分はひどいめにあったことを書いた。
病気になり介護になったら来たのは強盗と変わりない女性だった
そこで大金を盗られた、次は事業に失敗した人であり自分が弱ったときチャンスと借金を要求するだけだった
ただ相手も金で苦しんでいたからそうなった
こういう時代に買い物もできないような状態になったらどうなるのか?
同級の人は兄弟が近くにいて見ているからまだいい
身寄りもなにもない人はこの人のように放置される
あと来るのは金にならないかと金を求めて来る人だけだとなる
いづれにしろ死ぬ人が多くなる、十年介護していた知り合いの人もあっけなく死んだ
十年は長いなと言っていたが死んだ、それでやっと重荷から解放されたとなる
その女性も相当に疲れた感じだったからである。
自分も介護から解放されて最近余裕が出たので駅で案内などのボランティアをするようになった、それは余裕ができたからである。
介護となるとひどいのは認知症とかの介護となると24時間拘束される
何か絶えず介護している人に気を集中しなければならないから他のことができない、関心を向けられないのである。
そのことを介護が終わって気づいた
いろろいな方面に関心をもてるようになったからである。
いづれにしろ人間はあっけなく死ぬのもである。ころりんと死ぬ、そのころりんと死ぬというとき何か死というのが奇妙になる
ころりんと死んだら人間は楽になる、つまりあっけなく死ぬということはこの世の苦から解放されることなのである。
この世は苦海でありその苦海から逃れる道は死しかないともなる
それで死んでみるとなんだ、人間なんってあっけなく死ぬもんだと思う
それで気が楽になることがある、若い人が苦しいと思うのはエネルギーがあるし生きたいと思う念が身体ともに強いからである。老人は死が身近になる
なぜなら同年代でも世代的に次々に死んでゆくからである。
人間はあっけなくころりんと死ぬな
人間なんか生きているとき悶え苦しんでいるけど結局はあっけなくみんな死ぬんだなと悟りみたいものもが生まれてくる
だからこの世のことにいろいろ拘泥しなくなるのである。
孤独死でもいいや、野垂れ死でもいいや、どうせころりんとあっけなく死ぬのが人間なんだよとかなる、それで苦海から解放されるんだとなるからである。
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