原発事故で機能しなかった地方自治
「安全神話」が権力と一体化して作られたため
そもそも原発自体が一方的権力で作られたものだった、それはアメリカから押しつけられたということもある、アメリカの核戦略とかありそれはヨーロッパともフランスとかも関係してすすめられていた。
だから「安全神話」はこうした権力によって作られたものだった
それはカルト宗教団体とにているのである。
一時東電がオウムと同じだとか言われたのもそうである。
オウムがサリン工場を隠密裏に作り製造していたからである。
そこには理系卒の科学者が技術者がかかわっていたのである。
それが宗教と一体化していたからオウムというのはやはり現代の複雑な科学文明の鬼っ子として生まれたのかとみる
創価はどっちかというと庶民のカルト団体である。貧乏な時代に生まれたからそうなる
オウムはそういうカルトとはまるで違った極めて現代的なカルトだった
それから幸福の科学というのも科学とつくから現代的カルトである。
そして政府と東電(大企業)が一体化して「安全神話」を作りカルト宗教団体化していたのである。
だからこうしたものは現代の文明から必然的に生まれたものだったとなる
それはピカートが言うナチスを生んだ構造がありあのような恐るべき、表現し得ないような犯罪集団と化したのと構造はにているのである。
なぜそうなのかというと「安全神話」が成立したのは権力があったからこそできた
権力と宗教が結びつくときどうなるのか?
この辺では原発が安全ではないというと住めなくなる可能性すらあった
3分の一くらいが直接働かなくても原発と経済が関係していたからである。
大内村で三分の一が原発で働いていたとすると結構豊かな暮らしがあのような小さな村でもできていたとなる、飯館村でも住めなくなった長泥でも原発で働いていた人がいたのである。飯館村は県では咲いていれレブルの収入しかなかった。
何か今でも補償金で売るい、回りの人を気にしないで暮らせる都会生活になじんだとか報告されている、福島市などに家を建てた人もかなりいたのだろう。
桃源郷とか言ってもそれは外から見た人のことでありそこで暮らす人はまた違っているのである。
こういうふうに権力によって強力な「安全神話」が中央の政治と大企業によって作られたとき地方自治体は対抗も何もできなかった。
安全ではないというときそれを科学的に合理的に追求しても無駄である。
そこには専門家の科学者も御用学者としてかかえているしそれが「安全神話」の宗教とさえなっていたからである。
カルト宗教団体が罰があたるとか脅していたり自ら呪縛されているのと同じである。
つまり安全だ安全だと題目を唱えていれば安全だという感覚に原発にたずさわる人々も思い込んでいたのかもしれない、だから安全でないということはタブーになっていたのである。それが権力をもっているからできたのである。
情報もマスコミでも800億円とか電事連から広告料として払われていたから完全に安全でないとかの報道は片隅に追いやられていたのである。
権力と宗教でも一体化するとカトリックのように大きな害をもたらすことになる
人間は心の罪とかより権力に従うし権力を畏れているからである。
権力というとき経済力とか報道力とか政治力とか今なら科学力とか技術力とかありそれらが一体化したものである。それが「安全神話」を作ったのである。
科学とか合理性とかが安全神話を作ったのではないのである。
だからカルト宗教団体が批判できないというときお前ら神に仏にたてつくのか、罰あたるとかで何も言えないと同じなのである。だからこそ「安全神話」になり一種の宗教までなっていた。それは内部の人もそうなっていた、安全を作るより「安全神話」になり宗教のようにただ安全、安全と題目を唱えていれば安全だとまでなっていたのである。
原発が事故をおこしたあとも全くその事故の処理ができなかったのもそうした安全神話がありそれが一挙に崩壊したからである。
安全神話があれば第一事故が起こることを想定していないからである。
実際はスヒーディが風向きを測定して放射性物質が流れる方向を測定していたし東電の社員の人は知っていたのである。
それで津島の山の方に浪江町の人が避難したとき東電の社員の人がいて街の方に引き返した方がいいと言って引き返した人たちがいたのである。
東電の社員は知っていたが政府からも東電からもそういう指示は浪江町の町長にも自治体には報告されなかったのである。
なぜなら「安全神話」が作られて事故は起きないとなっていたからそうなった
そうなれば避難訓練などする必要がないからである。
だから政府と東電が一体化してカルト宗教団体化していた、権力があるから報道もおさえることができたからである。
そういうことはカルト宗教団体では今でもしているからである。権力をもっているからできる、そのことが今回のような大事故になりもう回復できないような状態にしたのである
そして地方自治体が機能しなかったいうとき中央政府から30キロ内は避難命令がでて住めなくなり6年もすぎてもう回復できないような状態になった
科学的には30キロ圏内ではない、風の影響によるから30q圏内で区切ることは必要なかったのである。それがまた南相馬市などでは混乱させられた要因である。
小高が避難させなければ補償金で三つに分断されることもなかった
南相馬市として一括してもらって分配を決める、その時個々人にすべてを配るのではなくその時こそ自治体の自治体を発揮して市の開発とか復興に使うべきだったとなる
そういう指導がなされていれば市は分断されなかったのである。
つまりなんら自治体としての自主性が機能しなかったのである。
その時住民自治もなかったのである。住民もただ金をもらえればいいとしかならなかったそれは一時的なものとして消費され消えてゆくがだけのものになる
後々の発展にはつながらないものとなって消える
また地方自治といっても日頃からそうした土壌がないならできない、急に自治でやれとか言っても日頃そうしてなければできない、そういうものもなかった
中央指導であり地方自治体は下請けであり決めるのは中央官庁だという構造もそうしていたとなる、地方自治も問われたの原発事故だった
市長が何もしないとか役所は何もしないとか言うのは簡単だけど住民も何もしなければ何も変わらないとなる、原発事故はただ科学的な問題だけではない現代社会そのもの文明から起こされたともなる、現実にカルト宗教団体でもそうだし現代文明から生まれた病的な現象でありそれが社会を破滅するほどの力をもつから怖いのである。それはナチスと同じ構造でありそういう社会に生きているからそういう異様なものが生まれてきて席巻してしまうとなるのである。と