2017年04月25日

国造(くにのみやっこ)が最初のクニ そのクニ(郷)が原発事故で破壊された


国造(くにのみやっこ)が最初のクニ


そのクニ(郷)が原発事故で破壊された


●鉄道の上り下りの感覚

毛野国」は分割され、都に近いほうを「上毛野国(かみつけのくに・こうずけのくに)」、遠いほうを「下毛野国(しもつけのくに)」とした。

奇妙なのは常磐線が開通してもいわき市までは通じていない、上野までも通じていない、上りと下りというとき都に近い方が上りになり遠い方が下となる
東京を中心になるとき東京に近いが方が上りになり東京より離れることが下りになる

現在は地方から東京に行くことを「上京」と言いますが、江戸の頃は「東(あずま)下り」と称しました。
天子様のおわす京(大坂)が千年の都で、江戸は発展途上の振興地扱いだったからです。
ですから、都会から運ばれてくる洗練された品物を「下りもの」と呼び、それ以外の地方産出のものを「下らないもの」と呼びました。

この感覚は今でもある、でも常磐線が開通して違和感を感じたのはいわき市から東京へ通じていない、仙台にしか通じていない、すると仙台へ行くのが下りになっている
仙台へ行くのは今は上りという感じになる。
駅にいると本当に仙台から行き来する人が多いのである。それはいわき市から通じないということもあるがそれだけではない、新幹線で仙台から行き来する人が多いからである。もともとここは仙台とのつながりが多いから仙台が東北の中心となると仙台へ行くのが上りとなる感覚になる、そもそも東京やいわし市方面から人が来ないから余計にそうなったのである。

「京に上る」というとき何か意気込みがあった、前は東京に行くことでてある。
実際に経済的には地方の会社でも工場でも本社が東京にあるのが多い、それで出張して来る人が結構多いのである。東北サッシの社長は本社は神奈川県にあるとかなる
ホンダとかイスズとか自動車会社も本社から出張してくる人がいた
工場でもそうである。だから実際は上りとなると東京であり下りは東京から東北の方へ離れる時下りになる。
でも常磐線がいわき市から東京へ通じないのだから仙台経由になると仙台へ上りとなる感覚になる。一方通行になったからである。

国造(くにのみやっこ)が最初の国

白河国造
石背国造
阿尺国造あさか
道奥菊多国造みちのおくのきくた
信夫国造 しのぶ
石城国造いわき
染羽国造しめは
浮田国造うきた
伊久国造
思国造

kamikenoooo1111.JPG
「国造本紀」の国造系譜 - 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ

この国造で注意しなければならないのがと染羽国造浮田国造である。
染羽国造は「標葉」になって今の浪江町である。
国造みると浮田-染羽が最初の国である。
だから相馬氏が支配して相馬市とか南相馬市となる前の国は浪江町と鹿島であり鹿島には浮田という地名がありそこが浮田国造の置かれた地域だとなる
そこは海から離れた所であるから地域的に住みやすい所であった。
そもそもなぜ鹿島区に古墳が多いのかとなるともともと浮田国造とあり最初の国が設置されていたからである。
それは毛野国と関係していた、毛野は大きな勢力でありそれで毛野系統の国造が置かれた
相馬市であれ南相馬市であれ中心は浮田国造が置かれた鹿島区が中心であった。

このことは注意せねばならない、なぜなら古代にはここに生活の中心があったからであるだから古墳が多いとかなるし寺内の前方後円墳から金銅双魚佩(ぎょはい)が発見されたりしている。万葉集の真野の草原もこの地とされているのはそのためである。
この国造は中央の政権があったとしてそれによって記録に残ったのではない、もともとそこが人口が多いとかクニとしての力がありそれで中央政府から認められて記録に残されたとなる、でも古墳だと原町の桜井古墳が大きいのだからそっちに国造があっても不思議ではない、しかし小さな古墳は小池とか横手に多いのである。

最初のクニというときそれは生活感覚で最小のアイディンティティをもてる範囲を示していたのかもしれない、クニとして意識するということは上からのおしつけではない、何らかの共通の共同の世界がコミニュティが形成されたからクニとなった。
このことは現代にも関係している
鉄道では磐城太田駅があるがなぜ磐城になったのかとなる、もともと高駅という名だった高という地名があり和名抄では高郷のことだろう。
そして浪江町から双葉、大熊とかは車でもいわきナンバーなのである。いわきの勢力下に入っている地域だともなるし相馬氏と岩城氏が争った時は境目にあったとなる

いづれにしろ国造はその範囲が地理的にも生活でもクニとして意識されたのである。
人間は地理が大事だというとき共通のアイディンティティがまず土地から形成されるからである。理念などからは形成されないのである。
アメリカとかは余りに大きいから理念から国家が形成されたs 人工国家になる
でも自然村とか自然国家となるとまず土地から形成されているのである。
土地に根ざしたものとしてクニが起こっているのである。
第一大和というとき山戸であり山の入り口とかであり狭い村の範囲が大きな国となったことでもわかる、ヤマトとはもともと国造のような小さな村の範囲だったのである。
そこに形成されたアイディンティティが国の基になったのである。

ただ地理からみると浜通りとかは地形の変化がない、ところが飯館村とかなると高原になり山に囲まれているから別世界になる、それは地理的には別な国の感覚になる
丸森もそうである。伊久国造になり地理的には別な世界であり別なアイディンティティが形成されるのである。
古代とかなると交通が発達しないから地理的に隔絶して生活していた。
そういう時代でも中央からの大和政権がかかわっていたことも確かである。
縄文時代には国はないからである。つまり国造が置かれたとき中央で国として認めたとなるのだ。だから国造には天皇の系統が記されているのである。
だから古代から中央と地方のかかわりがありそれが現代にも引き継がれている
国家と地方自治体の対立がありそれが原発事故で露になったのである。

●人間はそれぞれのクニを基にアイディンティティを形成していた

奄美の郷(クニ)
奄美の郷人(くにびと)
沖縄の郷(クニ)
沖縄の郷人(クニビト)
アイヌの郷
アイヌの郷人
ホピの郷
ホピの郷人
郷という言葉と
郷人という言葉を
心をかめてつぶやく
統治のない 郷(くに)
原子力発電所のない 郷
核兵器のない郷

(山尾三省)

山尾三省の不思議は原子力発電所のない郷を志向していた
核兵器のない国にするとかは誰でも言っている、連合でもカルト宗教団体でも盛んに言っている、創価でも言っていた、でも創価の聖教新聞では東電の宣伝を一番していたのである。宣伝費を一番もらっていたとなる
核兵器には盛んに反対しているが原発にはほとんどあらゆる団体が推進派だったのである朝日新聞すらそうだった、なぜなら原発事故が起きたとき、中国旅行に朝日新聞社などマスコミの幹部が全部招待されていたからだ。

だから原子力発電に反対しているというのはまれだったしほとんどそれに注目している人もいなかったのである。なぜだから原子力発電所のない郷(クニ)を志向していたのか不思議だとなる、ここに注目している人はまれだったと思うからだ。

いづれにしろ現代の感覚ではこういう郷(クニ)となるとグローバル化でもありえないとなる、だからこそ原発事故だから町や村が離散状態になったというわけでもない、国家の中にグローバルな大企業の中にみんな所属しているからそうなった
みんな田舎でもその土地によって生活していない、みんな会社員として生活しているからである。
つまり郷(クニ)に所属している感覚が薄れているのである。国家に所属しているという感覚より大企業に所属している会社に所属しているのである。
戦争のときは国に命を捧げたのだから国家に所属していた、それが今はそうなっていないだから愛国心なども薄れているのである。
愛国心の基は愛郷心でありその郷とはクニのことだったのである。
人間はアイディンティティを形成できるのは国造(くにのみやっこ)が最初の国だったように狭い範囲だったのである。

そして原発事故ではその郷(くに)は奪われて離散したのである。そしてその郷を回復することが望まれているがそれが不可能にもなっているのだ。
なぜそうなのか?郷というものがすでに喪失していたということもある
グローバル経済でもそうである。
米でもいろいろ食べてみる、会津のひとめぼれを食べたから次とつやひめを食べてみるかとなる、これはやはり一番人気で売れていた、次は何を食べようか、最近は北海道の米もうまくなっているのか?今度は秋田小町を食べてみようと思ったらこの辺で売っていない、無洗米は売っていない、自分はめんどうだから無洗米しか食べないからだ
それがアマゾンの通販で売っていたのである。それも送料込みで値段は高くないのである味噌でも近くに作り売っている、でもそこではダシ付きの味噌ではないから自分は買ってない、時間がないしめんどうになるからだ
こんな生活自体が郷(クニ)が喪失させている原因になっている
お袋の味とか故郷の味はない、どこの郷でも味わえるからだ
ただ会津でも秋田でも山形でも故郷の米を食べればそれが故郷の味だとはなる
ただもともとそういう郷(クニ)の感覚は希薄化していたのである。

ただその土地に生きるものは地理的にはその土地からアイディンティティを形成するのは変わりない、そこに地域地域の文化がcultivate-耕されてculture(文化)になったのである。
それは大きな単位になるときドイツでもそうだがゲルマンの文化が形成されたとなる
国単位で違った個性の文化が醸成されたのである。 
posted by 老鶯 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/179546253
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック