
光につつまれた花
牡丹
我がパソコンの抽象画創作(まず色に感動した)
構図とか建築的だとか絵にもいろいろな側面がある。「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します」セザンヌ−自然を立体的構築的にとらえた。山とか岩は意志的である。男性的である。建築は男性的なのだ。山にも樹にも岩にも強烈な貫く意志がある。一方色はより感性的であり女性的である。色には癒しがあった。私は絵を一応見ていたが描いたことはなかったし才能もないから描けないと思っていた。絵の具で絵を描くことは才能がないものにはできない、絵の具とか書道とかはその道具を使いこなすことがめんどうでいやになるのだ。一度失敗すると書き直すこともできないのも難点であり自分からやる気がなくなった。
パソコンではまず色の新鮮さに魅せられた。絵はパソコンではまず色に感銘する、バソコンの色は絵の具の色とは違う、バソコン独特の色なのである。色とは実際は多様である。赤といっても赤にも百種類くらいの赤がある。色のかもしだす多様性にまず感動するのが絵の基本である。絵が全く描けない自分でもこの色は美しいなとまず感動したのだ。芸術はまず何であれ感動することが必要である。色に感動するというのは変であるが花だと様々な色だからその色からイメ−ジされる。でも自然界の色と人間が作り出す色は違っている。色には自然界が作り出した色とART(技術)を通じて作り出された色があることに気づいたのだ。絵の具でもそうでありパソコンだと今までの絵の具では現せない色を機械の操作で簡単に出せるのだ。これは自然の色ではない、ART(技術)を通じて作り出された色なのだ。だから今までの絵の具ではパソコンで作り出す色は出せないのである。
その色を今度はパソコンで操作して抽象化する、紋様化するのである。パソコンは抽象化、紋様化することが得意なのである。これは明らかにART(技術)によっていることが多い、その人の才能とはあまり関係していない、自分自身全く絵を描けなくてもまず簡単に色を出せる、その色にまず美しいなと感動したのである。それからソフトの操作で色の変化が万華が無数にできあがる。これも単純な機械の操作の結果だから果たして芸術作品と言えるかどうかわからない、ただパソコンでは立体性や構築的なものより色に感動したのである。立体的なものを作るのはパソコンでもむずかしいが色は作り出すのはパソコンでは簡単だしあれ簡単に抽象画ができるなとここに作品として出してみた。これが果たして芸術になるのかどうかわからないが色が美しいということで感動する。パソコンが出す色は今までにない色の美が表現されたのである。これは機械の操作でソフトによって作り出されるから才能とは関係ない、これは何かイメ−ジしていると思いそれに名前をつける。ただ名前をつけても名前と抽象画は一致しない、いろいろに見えるからである。
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